ドボーン。
 足から水に飛び込んだ瞬間、ひんやりとした水の感触。ついで表面を突き破る抵抗感。そして。
 ごぼごぼごぼ。
 圧倒的な水の世界へ。
 キラキラする泡に囲まれて、落ちて行く。
 アルフレッドは、息を吐きながら、くるりと身体をひっくり返す。水面に揺れる金色の光。己の金色の髪が水に揺らめく。火照った肌が一瞬にして冷やされる快感。
 そうして水中世界の浮遊感とひんやり感を全身で楽しんで、やや息苦しくなった頃、水を蹴って水面から顔を出した。
「ぷっはあ」
「水遊びするのに実に最適な場所ですね」
 アルフレッドが頭を振って、顔の水を拭い、そのまま髪を後ろになでつけるようにかきあげると。
 一足先に飛び込んで水に浮かんでいた菊が、アルフレッドを見て微笑んだ。
「うん、さいっこうに気持ちいいんだぞ!!」
 アルフレッドが笑みを返した時、無理だってば!!という悲鳴が頭上から聴こえてきた。
「大丈夫やから。気持ちええで。飛び込んでみ。な、ほら、アルと菊は普通に飛びこんだやん」
「いや!あいつら、絶対恐怖感知機能が壊れかかってるから!!無理無理!!飛びこむなんて、絶対無理!!」
 アルと菊が飛び降りてきた大きな岩の上で、アントーニョとロマーノがもめていた。
 とっておきのキャンプ場がある、とアントーニョが連れてきたのは、キャンプ場でもなんでもない唯の山間の川原。
 だが、かまどを作る場所もテントを張る場所も、実に都合よく用意されていて。
 バーベキューを楽しんだ後、アントーニョに連れられ、誰もいない川でロマーノ・アルフレッド・菊は泳ぎ始めたのだ。
 この場所は昔アントーニョ・フランシス・ギルベルトの三人でTHE青春日本列島横断の旅(注:アントーニョ命名)をしていた頃、道に迷って見つけたのだそうだ。
「アントーニョがひまわり見たいとか言いだすから、迷ったんだけどな」
「え〜ひまわり綺麗やったやんかあ」
「ああ、綺麗だったね。一晩中山ん中彷徨うはめになったけどね」
 と、いうことらしい。
「男なら、一気にいけや!ほーれっ」
 とうとう実力行使に出たアントーニョが、ほい、と背中を押す。
 うきゃあああああ、と山猿も驚きそうな悲鳴をあげて、ロマーノが大きな丸い岩から深みに向けて落ちた。
「あらあら・・・」
「なんだっけ?ライオンって、子供を谷に突き落とすんだっけ?」
「ああ、ええ、ありますね、そういうの・・・」
「ロマーノ、どうや〜?気持ちええ?」
 しかし、ロマーノはぷかりと背中を上にして浮かび上がってきた。
「うわ!!ロマーノ!!」
 アントーニョが驚いて自分も飛び降りてくる。ばしゃん、と水しぶきが上がった時、菊がそっとアルフレッドの腕を引っ張った。
「ん?」
「行きましょう」
 菊の言葉に意味を察して、うん、とうなずくと菊とアルはそっと上がって荷物を持ち、そそくさとその場所を離れた。
「ロマーノ、平気か?」
 水からロマーノを引っ張り上げたアントーニョが、ぺしぺしとロマーノの頬を叩くと。
 うーん、とうなってロマーノが目を開けた。
「ひえええええ!落ちる!!落ちるうううっ!!!」
「お、落ちつき。もう落ちた後やから。ごめんな、あんなびびると思わんかったわあ」
 あはは、とアントーニョが頭をかく。
「アントーニョ、てめえ!危うく死にかけじゃねえかあ!!」
「や〜だから、すまんて。あれ?そういえば、菊とアル、おらんな。どこ行ったんやろ」
 アントーニョが、きょろきょろと周りを見回す。
「荷物もあらへんし」
 眉をひそめて、アントーニョが立ち上がる。
(あ・・・) 
 ロマーノは思わずつられて立ち上がり。
 アントーニョの腕を掴んだ。
「あ、あの二人なら、勝手に探検でもしてんだろ。本田がいるから大丈夫だって。そ、それよりさ、飛び込んだショックで頭くらくらすっから、少し休もうぜ」
 一気にそう言うと、アントーニョは目を瞬く。
 そして。
「うーん、せやねえ。菊がおるしね。じゃ、上の岩でひなたぼっこでもしようや。気持ちええで」
 アントーニョはにこっと微笑み、ロマーノはゆっくりと明るい表情を浮かべた。

「ロマーノ、うまく告白できるといいな」
 アルフレッドが振り向きながら、言う。二人は、パーカーを羽織り、川原を下っていた。
 下流のほうでは、ギルベルトとフランシスが釣りをしているはずだ。
「してもらわないと困りますよ〜せっかく企画したんですからね」
 先を歩きながら、菊が答える。
 ロマーノが奮闘している間に邪魔が入らないよう、フランシスとギルベルトをなんとかしておかなければならない。
 ロマーノのことだから、ぐずぐずと時間がかかるに違いないのだ。
「・・・でもさ」
 アルフレッドが口を開く。
「アントーニョって、やっぱりフランシスのこと、好きなのかな?」
 アルフレッドの言葉に、菊は思わず立ち止まる。
「フランシスはさ、アントーニョのこと好きだってさ。昔付き合ってたって言ってたけど、アントーニョの方は、どうなんだろうな」
 ふられたんや、と。
 アントーニョはそう言っていた。
 菊が振り返る。
「お好きでしょうね」
 少なくとも、嫌いではありえないだろう。長いこと一緒にいたことによる居心地のよさというものを、二人から感じることがよくある。
「じゃあ、これって無駄なことかい?」
 アルフレッドが腕組みをする。アルフレッドに向き直った菊は、いいえ、と首を振った。
「無駄なんかじゃないですよ。誰かを好きになって、そのことを伝える。それに意味がないわけないです」
 菊は、どこか幸せそうな笑みを浮かべる。
「たとえ、その人が自分のものにならなくったって、その人を好きな気持ちは自分のものですから。私ね、アントーニョさんに知ってほしいんですよ。ロマーノさんが一生懸命アントーニョさんを好きだってこと」
 誰よりも。
 好きなんだってこと。
 アルフレッドは、少し目を丸くして口をつぐんだ。
「その人が、自分を見てくれなくても・・・かい?」
「見てくれないなら、見てくれって言えばいいんじゃないですか?そうしたいなら。まあ、それで見てくれるとは限りませんが。別にね、言わなくったっていいんですよ。人を好きな気持ちは、それだけで生きるエネルギーになりますし。でも、ロマーノさんには言ってほしいって、ただ、私が思ってるんです」
 貴方が言うか言わないかは自由ですよ。
 微笑んだ菊を見ながら、アルフレッドは苦笑した。
「そうだね、オレもロマーノは言った方がいいと思うな。大好きだって」
「ね、そうでしょう。それに、まだ先は長いですからね。何が起こるかわかりませんよ。恋路の一寸先は闇です」
 ふふ、と菊は笑って見せた。

「ねーギルちゃん」
「あん?」
 釣り餌を引っ掛けながら、ギルベルトが生返事を返す。
 大きなスイカを適当な場所を見つけて水の中に沈めながら、フランシスがギルベルトに話しかける。
「ギルちゃんとアーサーの仕事の切り分けってさ、MAGIとの接続部分だけギルちゃんが請け負ったわけ?エヴァそのものは全然製造に関わってないの?」
 水の中に手を遊ばせる。
 清い水の流れの中に、不気味な人造人間の姿が浮かび上がる。
 アダムから作りしエヴァンゲリオン。
 人類の最後の盾。
 うん?と、ちらりとギルベルトがフランシスの背中を見る。
「ああ、オレは全然エヴァの製造には関わってねえよ。あいつから情報もらって、MAGI作りこんでた」
 言いながら、ほ、と釣り糸を流れの中に垂らす。
「エヴァの製造班は別だってことね。じゃあ、おまえでも、エヴァをもう一体作れって言われたら無理?」
「無理だな。てか、製造班の連中にも無理じゃねえかな。皆一部を担当してるだけで、一貫して作業全体を見てたのは、アーサーだけだ。それに、一番核になる部分はあいつが握ってた。まあ、設計図があればなんとなるかもしれないけどな」
「設計図ねえ・・・」
 フランシスの呟き。
「なんだ?おまえ、エヴァでもほしいのか?」
「いらないよ。あんなでかくて可愛くないの。部屋に置き場所ないし」
 フランシスの言葉に、まあ、そうだな、とギルベルトが笑った。
「ただ、それじゃ、アーサーがいなくなったら終わりってことじゃないの?」
 もし、エヴァが破損し、アーサーが死んだりすれば。
 人類はその時点で終わりではないか。
「さすがになんか残してんじゃねえの?しらねーけど。それに、なんか、前にもうエヴァはこれ以上は作れないって言ってた気がするぞ」
「これ以上は作れない?」
 フランシスは思わず振り返る。
「ああ。エヴァはアダムを原料にしてるしな。言ってみりゃ、他の機械からカスタマイズして別の機械つくってるようなもんだろ?パーツが足んないんじゃねえの?単純に」
 ギルベルトの言葉になんとなく納得する。
 人類防衛のほぼ唯一の鍵であるエヴァンゲリオン。
 安全を考えれば、いくらでも増産すべきだろう。
 しかし、エヴァは現在三体しかない。
 これは、それ以上作ることが不可能だからということならば、納得が行く。
「ふーん、なるほどねえ」
「雑用係が変なことに興味持つじゃねえか」
「一応ネルフの一員だし。エヴァがどうにかなったら、人類終わりだし。持つでしょ、興味」
「まあ、そうかもな」
 ギルベルトの声を聞きながら。
 フランシスは水面に目をやる。
 きらきらと流れて行く波。
 
 セキュリティシステムは、外部に関しては大きな力を発揮するが、どんな場合でも内部に関しては甘くならざるを得ない。
 どんなに警戒しても、結局内部の人間はそのシステムを利用しなくてはならないのだから。
 だから、もし敵が内部にいた場合、それを防ぐのは格段に難しくなるのだ。
 だからこそ。
 スパイはいつの時代も重宝される。
 手を尽くして手に入れたカードキー。
 ほぼどこにでも入れるそれを使用し、本部のあちこちに探りを入れ。
 司令官室で見つけたもの。
 ネルフの印章が刻まれた回転式パネルの裏に隠されていたアルフレッドグッズの中の。
 手作り人形の中に入っていた。
 USBメモリ。
 
 ゲームをクリアして手に入れた情報。

 それは。

(エヴァ・・・?)

 何かの設計図、のようだった。
 あまりに難解でほとんどわけがわからなかったが。
 その設計図は、有機物の組成と、その製造方法が専用施設建造の部分から記されていた。
 ギルベルトに見せれば、わかるかもしれないが。
 さすがに、それはできない。
 アーサーだけが握っているエヴァンゲリオンの作成方法なのか。
 しかし。
 その大きさや、その組成は、どちらかといえば。

 人体のそれに見えた。

 フランシスは、スイカの上に止まったトンボを見ながら、目を細めた。

「なあ、菊。キスしないかい?」
 アルフレッドの言葉に、ぎょっとして菊は立ち止った。そして、ぎこちない動きで振り返る。
「は?」
「嫌かい?」
「え、いや、嫌だなんて!めっそうもない・・・です、けど」
 ごにょごにょと答える。
(な、なんでしょう、この展開は!?ま、まさか、私にもドキwラブ的展開が!?)
 菊が心の中であたふたしていると、ん〜とアルフレッドが頭をかいた。
「や、いいですけど、な、なんでこんなタイミングで突然なんです?」
 再会したわけでもないし、おやすみのタイミングでもない。いくらキスに関して敷居が低い欧米人でも、ちょっと意味がわからない。
「うん、菊ってさ、大人のキスってなんなのか、わかるかい?」
 真剣な顔でアルフレッドが言った言葉に、菊は、へ、と間抜けな顔をする。
「大人の・・・キス?」
「菊も知らない?やっぱり、フランシスに教えてもらうんだったかな」
 うーん、と腕組みをしたアルフレッドに、菊ががっと詰め寄る。
「は!?ち、ちょっと、アルフレッドさん、その話kwsk!!」
「ん?や、フランシスが大人のキスって知ってるか?っていうからさ。なんか、悔しいじゃないか。菊はいろんなこと知ってるから、知ってるかな〜と思って」
 そう言ったアルフレッドの顔を、思わずまじまじと見つめる。
「どうだい?知ってる?」
 アルフレッドの言葉に、菊は動揺しつつ、口を開く。
「え・・・ええ、まあ、あの、知ってはいますけど・・・」
 しょっちゅう書いてますから。
 その。
 大人のキスを御所望ですか。
 菊は、かあっと顔を赤らめた。
「ん?菊、どうしたんだい?」
「え、えっと、あの、知ってはいるんですけど・・・」
 知っているのと実践するのとは雲泥の差がある。時代劇作家が、実際に刀で人が切れるかという話だ。
「そんなに大変なことなのかい?じゃあ、やっぱりフランシスに」
「いいいいけません!!」
 菊は、がしっとアルフレッドの手を掴んだ。
「あ、あの、その、今日はちょっと日取りが悪いんで、日を改めてということでよろしいでしょうか?!」
 なぜか必死の形相でそう言った菊を見下ろし、アルフレッドは目を瞬かせる。
「え、日取り??って、なぜそんな突然改まってるんだい!?」
「ええ、いえ、その・・・大人のキスには、色々(心の)準備とか学習が必要ですので・・・」
「じ、準備と学習!?な、なんか、そこまでしてもらうと悪いんだぞ!?」
 目をそらして呟いた菊の言葉に、アルフレッドは目を白黒させる。
「いえ、大丈夫です。誰よりも完璧な大人のキスをマスターしてみせますから。ええ、テキストならいっぱいあるんで」
「て、テキスト!?え、えっと、それ、オレは学習しなくていいのかい?」
 アルフレッドが意気込むと、菊が首をかしげる。
「ああ・・・いいんじゃないですかね。アルフレッドさんは受ですから」
「は?うけ?」
「いえ、こっちのことです」
 さりげなく自分が攻宣言をする本田菊14歳。
「えっと、うっと、じゃあ、よくわかんないけど、よろしくなんだぞ」
「はい、お任せください!精一杯尽力させていただきます!!」
 熱血営業マンよろしく力強く請け負う菊であった。
 

「ん?」
 ふと気配を感じて振り向くと、向こうの木立の中から、アルフレッドが顔を出していた。
(あれ、アル)
 餌になる川虫を石をひっくり返して探していたフランシスが目を瞬く。
 アルフレッドはアントーニョ達と一緒に泳ぎに行ったんではなかったろうか。
 しかし、幻にしてははっきりとした幻だ。
 いや、待て、幻とかないだろ、アーサーじゃあるまいし。
 そう思った時、アルフレッドがにこっと笑って手招いた。
「・・・・」
 フランシスは黙って石を置いて立ち上がる。
 フランシスの視線の先で、アルフレッドはきびすを返すと木立の奥へと消えた。
 そして。
 ふう、とフランシスは腰に片手を当て、もう片方の手で額を押さえる。
「なんだなんだ?追いかけっこでもしようってか?私を捕まえてごらんなさいってか?まったく、子供って奴は・・・捕まえちゃうぞ〜wwww」
 ぱああwと花を飛ばしたフランシスは、蝶のようにかろやかに走り出した。

「お!!すげえ!!見ろよ、フランシス、この魚、めっちゃでっか・・・」
 ギルベルトが釣り糸を引き寄せ、びちびちする魚を掲げながら振り向くと。
「あれ?」
 いつの間にか、川虫を探していたはずのフランシスの姿がどこにもなかった。
「一人・・・楽しすぎるぜ・・・」
 ギルベルトは、ぽつんと呟いた。

「えーっと、あのさあ。お兄さん、なんでこんな状態になってんのかな?」
 フランシスは、木の上からつりさげられた網の中で半眼になってそう尋ねた。
 木の下では、天使のように可愛い子供たちが無邪気な笑みを浮かべている。
 ・・・この罠を作った張本人たちが。
「うまくいきましたね♪」
「ちょろいんだぞ♪」
 ぱん、と二人は手を重ね合わせて成功を祝う。
「いや、だからさ、なんなのかな、お兄さん、イノシシとかじゃないんですけど」
 いらあっとしつつ、フランシスが重ねて問うと、アルフレッドがにこりと微笑んで言った。
「ちょっとの間、ここで一緒に待っててほしいんだぞw」
「いや〜アルがお相手してくれるなら、お兄さんいくらでも付き合うけどさ。なに、この網」
「うっかり仏西イベントや仏米イベントが発生すると困りますからね」
「菊、なんだい、それ?」
「いえ、なんでもありません」
 しゅたっと菊が答える。
「まあまあ、夕飯までは出してあげますから♪」
「おーい、まて。何さりげなく、あと数時間は拘束するって言っちゃってんの、菊ちゃ〜ん?」
「あ、なあ、そういえば、ギルベルトは?戻っちゃったら、まずいんじゃないかい?」
 フランシスの言葉を完全無視し、アルフレッドが菊に尋ねる。
「大丈夫です。手は打っておきました」
 最高に男前な笑顔で菊が答える。

「お・・・お・・・おおお・・・おおおおおお」
 その頃、一人楽しすぎるギルベルト。
 ぴよぴよぴよぴよ。
 突然川原に現れた大量の黄色いふわふわ・・・ひよこの大群に取り囲まれていた。
「おおおおまえら、どっから・・・」
 ぴい、ぴい、ぴよぴよ。
 段々と包囲網が狭められる。
 あわわ、とギルベルトが立ち上がった。
 黒いたくさんのつぶらな瞳がギルベルトを見上げる。
「か、可愛いとか思ってねえんだからな、ちくしょー!!」
 ぴ、とひよこの一匹がギルベルトの足にすりよる。
 ふわっと柔らかい羽が足をくすぐる。
 ギルベルトはがばっとしゃがみこんだ。
「だああああ!なんなんだ、おまえら!!なんなんだ、こんちくしょう!!やべえ!手触りがオレ好み!!」
「ぴい」
 こうしてギルベルトは、ひよこの大群の前にあっけなく陥落したのだった。

「―というわけで、しばらくひよこトラップから抜け出せないはずです」
「君・・・どこから、そんな大量のひよこを・・・」
「先日の縁日にて」
「さすが菊!用意周到なんだぞ!!」
 わあっと菊に抱きつくアルフレッドを見下ろしつつ、網の中でフランシスが半眼になる。
「アーサーの奴・・・やっぱり子育てが色々間違ってる気がするぞ・・・?」
 こうして、告白の準備は着々と進行していったのだった。

 岩の上に寝転ぶと。
 背中に感じる岩の熱さが水に冷やされた皮膚を温めて心地よい。
 水場は、背の高い木々に覆われ、木漏れ日だけが落ちてくる。
 時折爽やかな川風が吹き抜け、川のせせらぎだけが響く。
(あー・・・)
 うっすらと目を開いて、緑の天井を見上げる。
(気持ちいい・・・)
 ウトウトしかけた時だった。
「って、ウトウトしてる場合じゃねえよ!!」
「んん?どしたん?ロマーノ」
 こっちもうとうとしていたらしいアントーニョが、がばっと起き上がったロマーノを見上げて目をこする。
「そういや、アルと菊、帰ってけえへんねえ。そろそろ戻ろか〜フランシスたち誘ってまた来てもええしね」
 アントーニョの言葉に、はっとする。
 せっかくのチャンスが。
 大体、ここでちゃんと告白しなかったら、菊に何を言われるかわからない。
 ―ドキっとさせるんだよ!
 ―まずは、想いを伝えることが大事ですって!  
 二人の声が耳に蘇る。
 よいしょっと、とアントーニョが起き上がった。
「あ、あのな、アントーニョ!」
 ん?と、アントーニョがロマーノの方を見た。木漏れ日がちょうど差し込んで、緑の瞳が明るくその色を反射する。
(うう・・・)
 ロマーノは、心臓が早鐘を打ち始めるのを感じる。
(え、えっと、告白告白・・・)
 たかが、一言言うだけだ。好きだって。好きなんだって。
 ただ、ただ。
「どしたん?」
 首をかしげる。
 ロマーノは口をパクパクさせた。

 い、言えねえええええええ!

 ばっと後ろを向く。
「ろ、ロマーノ!?どしたん!?具合でも悪いんか!?」
 が、ロマーノの目の前に菊の幻が現れる。
(いいんですか、ロマーノさん!!ここでへたれたら、一生そのままですよ!?)
(にぶちんには、はっきり言ってあげないといけないんだぞ?)
 アルフレッドの幻が腕を組む。
(ああああ、わかってる、わかってるっての!!)
 キスだって出来たじゃねえか!!
 がばっと振り向く。
 そして、ひえっと悲鳴を上げた。
 心配したアントーニョがすぐそばに移動してきていたのだった。

 状況は。
 この上もなく、告白向きであった。

               

 カツカツカツ。
 靴音を響かせながらネルフの廊下を歩いてきたアーサーが、司令室に入る。
 画面には、使徒の姿。
 まるでゴムまりのごとく柔らかい球体。表面には幾何学的な模様がびっしりと書かれている。
 ぼよんぼよんと弾んでは、色々なものをなぎ倒して行く。
「都市の戦闘態勢移行は完了しているな?住民の避難は」
 席に着きつつ、アーサーがそう聞くと、トーリスが両方完了済みです、と答える。
 そして。
 ん?とアーサーが眉をひそめる。
「おい、アントーニョとギルベルトはどうした?エヴァの準備は?」
 その瞬間、じとっとした嫌な空気が司令室に重くのしかかった。
 目配せをしあっていたオペレーター三人の中で、結局トーリスが立ち上がり、アーサーに向かって口を開く。
「えっと・・・その、アントーニョさんたちは・・・今、不在でして」
「不在!?」
 アーサーは、あ?と驚きを浮かべる。
「どういう意味だ?」 
 アーサーの当然の疑問に、トーリスはあああ、と次第に重くなる頭を下げながら、答えた。
「ええっとですね・・・アントーニョさんたちはその・・・キャンプに行ってまして・・・」
 はい?と、目を瞬いたアーサーの顔は、正しく豆鉄砲を食らったハトのものであり。
「なんだとおおおおおおおっ!!」
 という絶叫は、まるでジェイソンと鉢合わせした被害者のそれであった。

「アントーニョ、オレ…す、す、す、」
「なんや、落ち着けや。ほれ、しっかり息吸うて。ひっひっふーひっひっふー」
 ぱくぱくと金魚のように口を動かしているロマーノの背中をさすりながら、アントーニョが言う。
「ふーって、子供産むんじゃねえんだよ!」
 ぱこん、とアントーニョの頭をはたく。
 そして、はっと気づく。
(しまった、何ノリツッコミしてんだよ、オレはー!!)
「お、おい、アントーニョ、そうじゃねえんだ。お、オレは。オレはな・・・!」
 頭をさすっているアントーニョの手を掴んで、引き寄せる。
「お?」
「オレは、おまえが・・・!!」
 その時。

 なぜか、ジャ○アンのテーマが高らかになり響いた。

「げ、まゆげからやん」
 へ?と目を点にするロマーノの前で、パーカーのポケットから携帯を取り出すと、アントーニョがめんどくさそうに耳にあてた。
「はい、オレやけど?」
『くされトマト、貴様あああああっ!!』
 衝撃破のようなアーサーの声が大自然の中に響き渡る。
 おおう、と耳を離したアントーニョが、ああん?と凶悪な顔で携帯を見た。
「いきなりなんやねん、くそまゆげ!!」
『なんやねんじゃねえよ!!使徒きてんだろうがよ、この馬鹿!!なんでてめえキャンプとかしてんだよ、てか、アルと一緒にキャンプとかうやましいだろこのやろう、オレも連れてけばかあ』
「ああ!?おまえ、オレが誘おう思て話しかけたら、てめえと話す時間なんかねえっつって追いだしたやろがああああ」
「ひえっ、おまえ、指令誘おうとしてたのか!?」
『あ、あの、アーサーさん・・・そういう会話してる場合じゃないと思うんですけど・・・』
 アーサーの後ろで、マシューが呟いているのが聴こえる。
 それで少しは冷静になったのか、アーサーが怒りを押さえて息を整える。
『お前らの場所は携帯のGPSから割り出してヘリを送ってある!!すぐに戦闘配置につけ!!』
「・・・まあ、しゃーないわな」
 言って、アントーニョは電話を切った。そして、唖然としているロマーノに向かって、肩をすくめる。
「使徒やって。おかしいなあ、今日は来ないはずやったんやけど」
 ぽりぽりと頭をかいたアントーニョを見つつ、誰がそんなこと約束したんだよ、と心の中で突っ込むほかなかった。

 グイイイン、と慣れた振動と圧迫感を感じつつ、エヴァンゲリオンは地上へと射出されていく。
『敵は、今までんとこ、ただ飛び跳ねて周りを押しつぶすだけの能なしや。核も真ん中にある。三人でかかれば、簡単に倒せるはずや』
 アントーニョの声を聞きながら、ロマーノは胸がむかむかするのを感じていた。
 しゅうう、と地上に出たエヴァンゲリオンが、他の二機と使徒の姿を確認する。
 使徒の姿を見た時、ロマーノのむかむかはマックスに達した。
『作戦を言うで。ロマーノは・・・』
 アントーニョの言葉を聞き流し、ロマーノは走り出していた。
『って、ロマーノ!?』
「オレの・・・」
 ロマーノは低く唸る。
「告白、どうしてくれんだあああああああっ!!!!」
 言いながら、まっすぐ使徒につっこんだ初号機は、おもいきりゴムまりのような使徒を蹴りあげた。
『おおお、いつになくロマーノ君が!』
 オペレーター一同がどよめきの声を上げる。
「うおおおおおおっ」
 ぶよよよよん、と足に重くのしかかったゴムの感触は限界までたわんだところで、一気にぽーんと天へと飛び上がった。
『ナイスなんだぞ、ロマーノ!!』
 飛び上がった先には、先に針路を読んで飛び上がった弐号機が待ちかまえ。
 拳を作って思いきり振りおろした。
 勢いよく飛び上がった使徒は、今度は頭上から叩きつけられ、鋭角に今度は地上へと落ちてくる。
 そこへ。
 ナイフを構えた零号機が、シュタタタタタッと走り込み。
 地上に落ちるか落ちないかと言うところで、シュバッと鮮やかに使徒を切り裂いた。
 零号機と使徒が空中ですれ違った一瞬後に。
 使徒はぱかっと真っ二つに割れ。
 その中で、核がぱこんと二つに割れる。
『また・・・つまらぬものを斬ってしまいました』
 ふっと笑って零号機が立ち上がり、弐号機が地上に降り立つのと同時に。
 使徒は、ぶしゃあああ、と赤い体液をまきちらし。
 そして、動きを停止した。

 うわああああ、と司令室で歓声があがる。
「すごいで!!ロマーノ!菊!アル!完璧な連携や!!ところで、告白ってなんやねん!?」
 沸き立つ下をよそに、ったく、とアーサーが指令の椅子にもたれた時。
 ぴい、と何かが足もとで啼いた。
「ん?」
 アーサーは足もとを見ると。
「うわあああああ、なんだこいつらああああっ!!」
 と、叫んだ。
「あ?なんや?」
 うるさいな、とアントーニョが上を見上げる。
 その時。
「ひええええっ、な、なんか、あっちこっちにひよこがああああっ」
「こ、コンソールに乗っちゃだめですうううう」
「おあ、出て来ちまったか。悪い悪い」
 ギルベルトが頭をかく。
「ギルベルトさん!!ここは養鶏場じゃありませんよ!?」
 ひよこを追い払いながら、エドアルドが叫ぶ。
「いや、だってな、大量の捨てひよこがな!?見過ごせねえだろ!?そのままにしたりしたら、気まずいだろ!?」
「司令室に大量のひよこも気まずいですから!!」
「あっはっは、可愛えやんな〜」
「アントーニョ、おまえ、めっちゃ乗られてる!!」

 司令室が大騒ぎになっていた頃。
 エヴァンゲリオン三機は帰還しようとしていた。
「なんか・・・わりいな、協力してもらったのに・・・」
『いえいえ・・・仕方ないですよ、使徒が来たのが悪いんですし・・・また次に企画すれば・・・って、あれ?』
 菊が首をひねる。
『私、なんか忘れてるような・・・』
『ああ、オレもなんだぞ・・・えっと』
 アルフレッドも言って、それから、零号機と弐号機は、同時にはっとして顔を見合わせる。
『『あ』』
 二人は、同時に声を漏らした。

 ぴいぴい。
 ひよこに囲まれつつ、ふとアントーニョが呟く。
「そういや、フランシスってどうしたんやっけ」
 そろそろ画面の中では、夕暮れが訪れようとしていた。

「も、あいつら、ひどくない!?マジひどくない!?」
 はっぱやら枝やらをからみつかせながら、フランシスはネルフへと足を踏み入れる。
 ロマーノの様子を見てくるから、ちょっと待ってて、と言い捨てて菊たちが消えてから。
 ヘリの音がして。
 嫌な予感がしつつ、やっぱり菊たちは帰ってこなかった。
 必死の想いで網を破って、車のところまで戻ってここまで帰ってきたのだが。
「ああもう、あいつら全員詫びさせてやるからなあ!!!特にアルと菊!!!」
 どすんどすんと荒い足取りでフランシスが歩いていると、ピピピ、と携帯が鳴った。
「あ?」
 フランシスが携帯を取り出す。
 すると、そこにはゼーレの呼び出し記号が浮かんでいた。
 
 暗い空間に、番号がついた石板がいくつも並んでいる。
 フランシスは、その中に一人立っていた。
『アーサー・カークランド』
 石板の一つから音声が流れる。老年の男性の声に聞こえるが、実際そうなのかはわからない。もしかしたら、その向こうに存在するのは女性かもしれない。
『不世出の天才と言っていいだろう。アカデミーを出てすぐにアダムの解析に携わり―研究中の事故に巻き込まれ、半年間言葉を失うが、突然元の状態に復帰。言葉を取り戻してからの彼の活躍は目覚ましいものだった』
 後を引き取って、異なる石板がしゃべりだす。
『発掘された死海文書。セカンドインパクトから使徒の襲来までを予言した謎の預言書。門外不出のそれと、まったく同じ未来をあの男は予言して見せた』
『そう、そして、予言しただけではなく、さらにそれに対処する方法まで我らの前に提示して見せた。アダムからエヴァンゲリオンを作り出し、使徒に対抗するという信じがたい手段を』
『だが、滅びのシナリオに対抗するものがあるとすれば、それしかなかった』
『だからこそ、我らは任せた。ネルフを作り、その絶大な権限のすべてをあやつに与えたのだ』
 折り重なるように、石板たちはしゃべる。
 フランシスは、石板たちのおしゃべりに、無表情で耳を傾ける。
 そこに目新しい真実はない。
 彼らも、状況を確認しているにすぎない。
『今のところ、あの男は完璧にその役目を果たしている』
『しかし』
 石板の一つが、かまびすしい言葉を重々しく遮る。

『あの男の行動には、不審な点が多い』

 しん、と石板たちが沈黙する。
『エヴァを作り出し、人類を守る。あの男の目的とはそれだけか?』
 自問するように呟く。
『フランシス・ボヌフォア。アーサー・カークランドについて、何かわかったか』
 問われ、フランシスは目を伏せる。
「いいえ、まだ何も。ですが、必ず掴んで見せますよ」
 フランシスは、ゆっくりと顔を上げる。

「オレは、その為に戻ってきたんですから」

 フランシスが微笑んで見せると。
 石板たちは、一瞬沈黙する。
『期待している。この7年間、おまえはスパイとして十二分の働きを見せた』
『その手腕を発揮してくれることを期待している』
『その為の援助は惜しまんよ』
 口々に石板が言葉を浴びせる。
 フランシスは、黙ってその言葉を受け取った。

『フランシス・ボヌフォア。―わかっていると思うが―時間は、あまりない』
 
 さきほどの重々しい声が、言う。
『使徒は、今日倒されたものを含め、8体降臨している』
 最後の13体目まで、あと5体。
『アーサー・カークランドが何を意図しているにせよ、それは13体目の使徒が現れるまでに明らかになろう』
 あの男に出し抜かれるようなことがあってはならない。
『運命の手綱を握るのは、あの男ではなくこのゼーレでなくてはならぬのだ』
 頭上から降る言葉に。
 フランシスは、静かな笑みを持って答える。

「わかっていますよ。真実を、ここに」

 そう、そのために。
 真実を手に入れる為に。

 ここに―帰ってきたのだ。

『うむ。―ところで、君はなんでそんなにぼろぼろなのかね?』
「聞かないでください」

 こうして、ゼーレへの報告は幕を閉じた。

 USBを放り投げる。
 それを下で受け止めて。
 フランシスは、煙草を口から離す。
 携帯には、いくつもの着信。
 まだ出てやるつもりはない。
(心配しろ、心配しろ)
 奴らには、大いに反省してもらう必要がある。
 夜の闇が包んだ街。
 使徒もあっという間に撃退し、通常モードに戻った街のあちこちで、明るい灯がともる。
 涼しい風が吹きはじめていた。

 ―真実を、ここに。

 しかし。
(オレは、こいつの存在を報告しなかった・・・)
 紫煙が風に流れて行く。
 手のひらに収まるほどのUSB。
 しかし、その中に眠る秘密はもしかしたら、この地上の何よりも大きいかもしれない。
「どういうつもりだ?フランシス・ボヌフォア・・・」
 石板の言いようをまねて、自問してみる。  
 アントーニョを遠ざけただけでなく―雇い主まで裏切る気か?
 これにそんなに価値があるか?
 すべてを捨てるほどの―価値が。
 真実に。

 なあ、アーサー?

 おそらく自分と同じように真実に囚われているであろう男の顔を夜空に思い描きながら。
 フランシスは、煙草の煙を吐いた。

「フランシス、ようやく連絡取れたらしいぞ!!」
「自分で脱出してたんですね、よかったよかった」
「よかったって、菊・・・」
「やあ、まあ、こういうこともありますよ。恋のレースに容赦はないんで」
「恋っつーか、おまえに容赦がないよな!?」
「とりあえず、アントーニョやギルベルト含めて全員が存在忘れてたことに怒り狂ってるらしいけど」
「考えようによっては、アントーニョさんに忘れられるくらいの存在ってことですよ!!ほら、ロマーノさん、次頑張りますよ、次!!」
「や、なんか、反対の立場だったらオレも忘れ去られそうだけど・・・ま、前向きに考えるべきだよな!!よし!11歳の年の差がなんだ!!ひげがなんだああああっ!!」
「そうですよ、頑張ってください!ロマーノさんが18になったら、アントーニョさんは29ですよ。ほら、あんまり関係ない!」
「応援するんだぞ、ロマーノ!!」
 こうして。
 ちっとも反省の色を見せないガキどもは、再戦を固く誓いながら、星空のもと家路についたのだった。



 次号へ続く

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