2000年9月13日。
 人類は、「世界の終わり」を経験する。
 南極大陸に落ちた隕石は、後の世において「セカンドインパクト」と呼ばれる大爆発を起こし、一瞬にして南極大陸を消滅させた。
 これに伴い、地殻変動、海水面上昇、洪水などありとあらゆる災害が引き起こされ、地球に環境の大激変をもたらす。
 と、同時に災害の前に団結すべき人類は恐怖と混乱の中、それまでの世界のひずみが一気に拡大され、血で血を洗う紛争が各地で繰り広げられる。
 かくして、2001年2月14日にバレンタイン休戦臨時条約が締結された時には、実に世界人口の半数が失われていた。

 そして物語は、セカンドインパクトによる終末から14年経った極東の島国から始まる。

「来ねーし」
 半袖の学生服にリュックを担いだ少年は、庇の下で額の汗をぬぐった。
 見上げれば、今日も暴力的に降り注ぐ太陽の光と熱。
 アスファルトを鉄板のようにあぶっている。
 とはいえ、少年は夏以外の世界を知らない。
 地軸の変動により、日本は一年中夏の世界となっていた。
 じーわじーわ。
 蝉の鳴き声が耳につく。
 これも、生まれた時から耳になじんだ音だ。
 少年は、しかしその音をシャットアウトするように胸ポケットからウォークマンのイヤホンを引っ張り出すと耳につっこんだ。
 こうして、音楽に身を浸すと、少し世界が遠くなったようで心地よい。
 柔らかな繭に包まれるような安心感。
 世界はいつも、少年にはあまりにも剥き出しで、あまりにも鋭利なものに思えてならなかった。
 その時。
 ウーウーウー。
「げっ」
 少年は、イヤホンを耳からはずす。
 警報。
 少年は、慌ててきょろきょろとあたりを見回すが、瓦礫の散らばった国道のバス停の近くに人の姿はなかった。
 この町に来たばかりで、シェルターの場所すらわからない。
(ど、どーすんだよ!?)
 少年が焦りだした時だった。
 ヒュー
 不吉な音と共に、入道雲の沸き立つ青空を黒い影がよぎっていく。
「え・・・?」
 どおおおんっ
 まっすぐに赤い海へと向かったミサイルは、強烈な熱と光を発し、海に赤い水柱をたてた。
(ななななななっ)
 そして。
 水柱の向こうから、現れた、モノ。
 少年は、思わず目を見開く。
 話には聞いていた。
 少年がこの町に呼ばれた理由でもある。
 それは。

 使徒。

 と、呼ばれる生命体だった。
 地球上のどんな生き物とも似ていない、奇妙な生物だった。
 あえていえば、イソギンチャクだろうか。
 たくさんの触手が、のっぺりとした黒い胴体から生えている。
 その触手の中に、まるで能面のような顔が見え隠れしている。
 少年は、この暑さにも関わらず、ぞっと寒気を感じた。
(なん・・・なんだよ、あれ・・・!)
 ミサイル攻撃は、続けて行われていた。
「おーおー、戦自の奴ら、勝手に始めよって」
 突然耳に飛び込んできた若い男の声と、そしてエンジン音。
 少年がばっと顔を向けると、一台のスポーツカーが止まるところだった。
 運転席の男がサングラスを額にあげ、にこっと微笑む。
「第三の少年やな。俺は、アントーニョ。ほれ、乗り」
 それは、第三の少年―ロヴィーノ・ヴァルガスとアントーニョ・フェルナンデス・カリエドとの出会いであり、同時にロヴィーノの過酷な運命の始まりでもあった。

「伏せや!」
「うわあああああっ」
 閃光が走り、同時にアントーニョが覆いかぶさってくる。そして、ごろん、と車がふっとばされた。
「う、ひい。あーもーやってられんわ」
 ひっくり返った車体の下から這いだすと、アントーニョがロヴィーノを覗き込む。
「大丈夫か?」
「口ん中、じゃりじゃりするけどな・・・」
 ぺ、ぺ、と砂を吐いたロヴィーノの背中をぱんと叩くと、結構や、とアントーニョは笑った。
「んじゃ、この車起こしてさっさと行かなあかんな」
 アントーニョが車に手をかける。ロヴィーノはしかし、海の方を見た。
 使徒、がいる。
「あれが・・・使徒、なんだな」
 アントーニョの手が止まる。
「おう。そうや」
 アントーニョがロヴィーノをまっすぐに見る。
 そうして、碧の目を細めた。
「あれを、おまえが倒すんや」
 ロヴィーノは息をのむ。
 そして、意識は数日前に飛ぶ。

 セカンドインパクト後の紛争で両親を亡くし、施設へと預けられて育ったロヴィーノはある時、校長から呼びだされた。
 ―日本へ行ってもらう。
 日本?
 怪訝な顔をすると。
 校長はどこか緊張した面持ちで、ゆっくりと言った。
 ―君は選ばれた。
 選ばれた?
 ロヴィーノの疑問に、校長は答えを与える。
 ―マルドゥック機関にな。
 マルドゥック―その名は、知っていた。
 使徒。
 宇宙より飛来する謎の生命体。
 それを迎撃するための唯一の手段。
 人造人間エヴァンゲリオンの操縦者の選定機関。
 
「冗談だろ・・・」
「冗談やないんやな、これが。さ、行くで」
 あの時と同じ言葉を呟くと、非常に軽い調子でアントーニョが答える。
 さ、手伝ってや、というアントーニョの言葉に従って車に近寄りながら、目眩がする、とロヴィーノは汗をぬぐった。

 

            

 

 まさにバッタリ、というのがふさわしいタイミングで、アントーニョとロヴィーノ、アーサーとマシューはネルフ本部司令室前で鉢合わせた。
 まず、険悪な顔で口を開いたのは、アーサーだった。
「おまえ、どこほっつき歩いてた」
 相手に合わせるように能天気な笑顔から険悪な表情へとシフトチェンジしたアントーニョが口を開く。
「ほっつき歩いてってな、俺は…」
「自分の立場わかってんのか?あ?作戦部長」
 かっちーん、とアントーニョの中で固いものが当たる音が響く。
 瞬時に対アーサー戦闘モードへの移行が完了する。
「ずっと司令室に張り付いてろっちゅーんかい、くそまゆげ」
「そうだ。それから、オレの名前はまゆげじゃねえ。何度言ったらわかるんだ、この腐れトマト」
「俺の名前も、トマトとちゃうわ!」
 一瞬重い沈黙が降り、二人の間に冷えた空気が漂う。 
 やがて、アーサーがゆっくりと右手を持ち上げると、親指を立ててそれを下に向ける。
「やるか?アントーニョ・フェルナンデス・カリエド」
「おお、やったるわ。アーサー・カークランド」
 二人の間でゴングが鳴りかけた時だった。
 ごんっという音と共に、二人の鼻先をかすめ、何かが壁にぶち当たった。
 思わず動きを止めた二人が、ぎぎぎ、と音がしそうなぎこちなさで何か―消火器を投げつけた人物へと顔を向ける。
「・・・使徒が・・・すぐそこまで迫ってるんですよ…?総司令と作戦部長がタイマンはってどうするんですかああああああっ!」
 普段穏やかなマシューの剣幕に、アントーニョとアーサーが恐れをなして降参のポーズをとる。
「わわわ悪かった!」
「喧嘩せえへん、せえへんて!」
 で、とアントーニョがこわばった顔を元に戻す。
「アルはついたんかいな?」
「いえ、それがまだで・・・臨海学校先からになりますから・・・ヘリで向かってはいますが。後30分はかかるかと」
 顔を曇らせたマシューに、アントーニョも眉間にしわを寄せる。
「参ったな」
「参らねえよ。アルは出さねえ」
 カッツーン。
 せっかく収まりかけたアーサーへの怒りが、途端にアントーニョの中で臨界点を超える。
「貴様という奴はああああ!いっつもいつもどうしようもない親馬鹿発揮しよってからにー!!」
 アーサーの胸ぐらをつかんだアントーニョが怒鳴る。
 アーサーはアントーニョの怒りをどこ吹く風、といったふうに流し、ふとある一点に視線を固定した。
「おい、あれは?」
「え?」
 アントーニョは、アーサーが指さした方向へと首を曲げる。
「って、おお!?いつの間にあんなとこに!ちょ、こっち、来いや。一応このまゆげ、総司令やから。元ヤンで凶暴やけど、噛みつかせんから大丈夫やで〜」
 いつの間にかアントーニョの後ろにいたはずのロヴィーノは遥か後方の曲がり角に身を隠し、がくがくしながらこちらを窺っていた。
「誰が元ヤンだ!てか、てめえも人のこと言えねえだろうが!―で、もしかして、今日だったか?」
「忘れてたんかいな!?そうや、あいつがサードチルドレン、初号機専用パイロットやで」
 相変わらずがくがくしているロヴィーノを値踏みするように見ると、アーサーはにやりと笑った。
「ちょうどいいじゃねえか」
 あ?と、アントーニョが怪訝な顔をする。そして。
「あいつを初号機に乗せて出せ」
 続けてアーサーが言った言葉に。
「なんやとおおおお!」
 と、怒声をあげた。

「アルが来ても、弐号機は出さねえっつってんだろ」
「阿呆か!あいつはまだ来たばっかなんやで!?訓練もしとらんのに、いきなり実戦に出すなんて無茶すぎや!」
「なら、菊を出すまでだな」
「零号機は前回の戦いで、まだ修理中やろうが!」
「初号機に乗せればいいだろう」
「菊は零号機のパイロットやねんぞ!別の機体に乗せる危険性はおまえも十分わかっとるやろ!?アルが出るしかないんやて」
 アーサーとアントーニョは司令室に入りながらも、言い争いを続けていた。
「大体、アルが課外授業で遠出するのを許したのも、おまえだろ?」
「あ、あれは、おまえも許したやないか〜!」
「ああ、作戦部長が代替案を考えるだろうと思ってな。さあ、使徒が迫ってるぞ。ほれほれ」
「ぐぬぬぬぬ」
 ほとんど子供の喧嘩に近い総司令と作戦部長のやりとりと聞きながら、ロヴィーノは再び目眩が襲ってくる。
「なんなんだよ・・・どうなってんだよ。アルって誰なんだよ」
「お気になさらず。いつものことです。アルは弐号機専属操縦者アルフレッドさんの愛称です。そして、アーサーさんはアルフレッドさんの育ての親みたいなもので、彼が可愛くて仕方ないんですよ。だから、戦いに出したくないんです」
「なんで、そんな奴パイロットにしちゃったんだよ、おい!?」 
 ふいに背後から聴こえた声に、おもわずロヴィーノが反応すると、おおおおお、とどよめきが上がった。
 へ、とロヴィーノが顔を上げると。
 がらんと広い司令室の中で、オペレーターたちがコンソールから顔を上げ、ロヴィーノを見下ろしていた。
「つっこみだ!」
「つっこみが来ましたよ!」
「つっこみ様、御一人入りまーす!」
「やった!これで僕らもぼけられますね!!」
 わっほーいと、何やら書面とかが紙吹雪のように舞う中で、茫然としたロヴィーノが口を開く。
「なんなんだよ、なんなんだよ、ここは!?」
 人類防衛最前線。
 世界で一番緊張感のある場所のはずではなかったんか。

叫んだロヴィーノの隣に、さきほどの声の主が並ぶ。
 小柄な少年だった。
 まっすぐの黒髪。感情の読み取りにくい黒い瞳。黄色い肌。
 おそらく、日本人。
 しかし、その人種的な特徴よりも、目を引くのは体中に巻かれた包帯だった。
 彼の右目も包帯に包まれている。
「おまえ・・・」
「はじめまして。・・・零号機専属操縦者、本田菊と申します」
 大人びた挨拶に、ロヴィーノは戸惑う。
「お、俺は…」
「おーい、おまえら」
 ロヴィーノが口を開こうとした時、また新たな人物が登場し、さえぎられる。
 司令室を覗き込んでいたのは、銀色の髪に赤い目。白衣を着こんだ男。なぜか頭の上に黄色い小鳥が乗っている。
「誰でもいいから早く出せよ。使徒、こっち迫ってんぞ。戦自のバカどもじゃ、足止めにもなんねえ。早くしねえと、ジオフロントごと爆破する羽目になんぞ?」
 けだるい調子で言われた言葉に、アントーニョがぐっと言葉に詰まる。
 アルが来るまで持たないということか。
 ならば。
「いいですよ。私が出ます。ギルベルトさん、初号機のパルスを私用に変えてください」
 ロヴィーノの横で、菊と名乗った少年が一歩前に出る。
 ロヴィーノは思わず声を上げた。
「で、でも、おまえ、怪我してんじゃねえか」
 そんな包帯ぐるぐるの体で戦闘に出ようと言うのか。
 ロヴィーノの言葉に、菊は眉をひそめて彼を見る。
「貴方は何をしにここに来たんです?ここは戦場ですよ。たとえ手足がちぎれていようと、戦えるものが戦うしかないんです。エヴァンゲリオンに乗れるのは、私とアルフレッドさんと―そして、貴方しかいないんです」

 ロヴィーノはぐっと息を詰まらせる。
 菊が言葉を継いだ。
「アルフレッドさんが来るまで、どちらかが戦うしかありません。貴方が行けないなら、私が行くしかないでしょう」
 菊、とアントーニョが名を呼ぶ。
 菊が歩き出そうとした時だった。
 突然、菊の足もとがふらつく。ロヴィーノが慌てて手を出しだすと、何か湿ったものが手に触れた。
(え・・・?)
「う・・・っ」
 菊が呻く。ロヴィーノは手についたものを見て、青ざめた。血だ。赤い血が、包帯から滲みだしていた。
「菊」
 アーサーが近づく。
 それを見上げて、菊が口を開く。
「だい・・・じょうぶです、アーサーさん。私が・・・出ます、から」
 支えているロヴィーノの手を押しのけようとする。が、その手の震えを感じ取り、ロヴィーノはぐっと目をつぶった。
 戦う?
 エヴァに乗って?
 あの化け物と?
 馬鹿な。
 だが、このままじゃ、こいつが・・・死んでしまう。
「お・・・オレが」
 え、とふいに声を上げたロヴィーノに全員が注目する。
「オレが出る!オレがやるよ!オレがエヴァに乗ってやるよ!」
 アーサーが無言で菊を引き取る。
 ロヴィーノは立ち上がった。白い制服に赤い血がにじんでいる。 
「オレが戦うよ、それでいいんだろ、こんちくしょー!」
 ほとんどやけくそで叫ぶと。
 目の前で菊を抱えた金髪の男がにやりと笑う。
「ふん。・・・悪くねえな、おまえ」
 やっぱり、こいつ元ヤンだろう。
 ロヴィーノは、どこか遠い意識でそう思った。

「よおし、決まったな。ついてこい、新入り」
 いつの間にか中に入ってきていた白衣の男―さきほど菊がギルベルトと呼んでいた―が、ぐっとロヴィーノの手をつかんだ。
「おい、ギル!」
 アントーニョが声を上げるが。
「アルが来るまでの間だろ。やるしかねーよ。マジ、ピンチなんだぜ?俺達。猫の手でも借りてーくらいにな」
 で、とギルベルトがロヴィーノを見下ろして、にやりと笑う。
「おまえさんは、猫よりはマシだろ?」
 ロヴィーノは、ぐっと唾を呑む。
 そして、ギルベルトはロヴィーノを引っ張りながら、ひらひらと肩より上に持ち上げた手を振って見せる。
「こいつが死なねーように作戦たてるのが、おまえの役目だ。しっかりやれよ、作戦部長」
 アントーニョが口を引き結んで、言葉に迷っているうちに、ギルベルトはロヴィーノを司令室の外に連れ出した。
「こっちだ」
 ギルベルトはエレベーターへとロヴィーノを連れていく。透明な箱に入ると、シュン、と扉が閉まり、滑るように下降しはじめた。
 いくつかの階層をおりて。
「うわ・・・」
 ロヴィーノは、目を見開く。  
 赤い溶液に浸されたそれは。
「あれが、エヴァンゲリオン初号機。おまえの機体だ」
 俺の。
 ロボットというよりは、やはり人造人間。
 ロヴィーノは、ふとどこかで読んだことのある説を思い出す。
 ロボットを人間に近づけていくと、人間が親しみを覚える度合いが増していく。しかし、ある一点でそれが極端に下降する。突然、強い嫌悪感に変わるのだ。そして、さらに人間に近づけていき、外観や動作が人間と見分けがつかなくなると、再びより強い好意を感じる。
 その一点を、「不気味の谷」と言う。
 それはおそらく人間に似て非なるものが、死体や病人を思わせるからだ、とも言われている。
 エヴァンゲリオンを見ていると、かすかな嫌悪感を覚えた。
(あれに乗るのか)
 乗る、と宣言したはいいものの、暗い気持が胸一杯に広がっていく。
 自分はとんでもない間違いを犯したのではないだろうか。
 いや、確実に犯しているだろう。
 シュン、と再び扉が開いた。
 ギルベルトが出るよう、促す。
 エヴァンゲリオンの周りに満たされていた赤い液体は、みるみるうちに排出されていこうとしていた。
 人造人間の人間に似た手足が現れていく。
「あそこに出てくるエントリープラグの中に入るんだ。後はアントーニョが指示する」
 ギルベルトの言葉通り、しゅ、とエヴァの後ろからカプセルのようなものが飛び出した。あれが、エントリープラグというものだろう。
 ごくり、と息をのみこむ。
「まあ、頑張れよ、新入り」
 ロヴィーノは眉をひそめる。
「新入りじゃねえ。俺は、ロヴィーノ・ヴァルガスだ」
 精一杯の強がりでそう言うと、ギルベルトがにやりと笑った。
「そのご大層な名前は、お前が生きて帰ってきたら呼んでやるよ」
 ほれ、と促されて、ロヴィーノは開いたプラグの中に体を入れた。
 ちくしょう。
 必ず生きて帰ってきてやる。
 笑顔で手を振るギルベルトと頭の小鳥を見ながら、ロヴィーノは扉を閉めた。
 プラグがエヴァの中に入っていく感覚。
 そして。
「うわっ」
 なんと、プラグ内に赤い液体が注ぎ込まれてきたのだ。
『大丈夫だ。肺から直接空気を取り込んでくれる。すぐ慣れるぜ』
 ギルベルトの声。息が苦しくなってがはっと息を吐き出すと、不思議なことに苦しくなかった。次に、システムが起動し、足もとから頭上まで外の景色が見えるようになる。まるで、浮かんでいるようだった。
『どうだ?』
「とりあえず、平気、みたいだけどな・・・」
 自分があの不気味な人造人間の中にいると考えると、くらくらするが。
『OK。じゃ、行くか』
 へ、とロヴィーノが目を見開いた途端。
 ものすごいGがかった。
「あああああああっ」
 座席にしがみつく。エヴァンゲリオンは、第3新東京市の車道に射出されようとしていた。

 太陽。
 まず感じたのは、その光だった。
 そして。
「うわわわわっ」
 目の前に使徒。
『聴こえるか!?オレや、アントーニョや。ええか!?まず、歩くことだけ、それだけ考えるんや!!』
 耳に飛び込んできたのは、あの陽気なラテン青年の声。
 それにすがるように、ロヴィーノはなんとか心を落ち着かせる。
「わ、わかった。あ、歩くことだけ…歩くことだけ…」
 歩くって、どうやったっけ?
「歩く・・・歩く・・・」
 使徒がエヴァに気づく。焦りながらも、ロヴィーノは呪文のように唱える。
 そして。
 足が、持ち上がった。
 おお、と司令室でどよめきが起こる。
 足が下ろされた。前に。
「あ、歩いたー!」
「すげえな。さすが、プラグスーツなしで、あのシンクロ率を叩きだしただけのことはあらあ」 
 ロヴィーノを送ったギルベルトが司令室に戻ってきて、アントーニョの横に並ぶ。
 アントーニョが、ちらりとギルベルトを見る。
「ひょっとすると、アルを超える逸材になるかもしれねえぞ?」
 アントーニョが答えようとした時だった。
「初号機、倒れます!」
 オペレーターの一人であるトーリスの声に、アントーニョがモニターに視線を戻す。初号機は民家につまずき、倒れようとしているところだった。
「あかん!」
 アントーニョが叫ぶ。
 エヴァンゲリオンの中では、ロヴィーノがパニックに陥りかけていた。
『早く起き上がるんや!』
「お、起き上がるっつったって・・・」
 その時。
 ひ、とロヴィーノの喉が鳴る。
 目の前いっぱいに。
 いつの間にか、使徒が迫っていた。
 不気味な触手が宙を蠢く。
「うわああああああっ!」
 落ち着け、というアントーニョの声が聞こえるが、それどころではない。
(死ぬ、死ぬ、殺される!)
 突然。
 死があまりに近くに感じられる。
(い、嫌だ、こんなところで・・・!)
 死ぬのは。
 触手が初号機に絡みつき、初号機は宙に持ち上げられる。そして。
「まずい・・・っ」
 アントーニョが唇を噛む。
 触手が、おもいきり初号機の両腕を左右に引っ張った。
「あがああああああっ」
 ロヴィーノが悲鳴を上げる。
『落ち着くんや、それはおまえの腕やない!』
 そんなこと言ったって。
 痛いんだ。
 痛いんだよ!!
「あかん、初号機との回線を切るんや!パイロットの保護を優先!」
「だ、だめです。できません・・・!信号がはじかれます」
 オペレーターのライヴィスがいつも通りの泣きそうな声をあげる。
 なんやてえ!?と、アントーニョが目を見開く。
「このままじゃ、あいつの神経がもたねえ・・・か」
 ギルベルトが顎をかきながら、呟く。
 ねじりあげられていく初号機の腕。悲鳴を上げ続けるロヴィーノ。
 アントーニョが、ばん、とコンソールに両手を叩きつけた時だった。
 通信用回線が、開く。

「うわああああああっ!」
 声が嗄れそうだった。もはや、何のために悲鳴をあげているのかもわからなくなってきた。頭の中で白い爆発が立て続けに起こっている。
 ああ、死ぬんだな。
 ぽつんと。
 思った時だった。

 ふいに、痛みから解放された。
「え・・・?」
 斬られた触手が、赤い切断面を見せながら生理的にびくびくと蠢きながら、後退していく。
 地面に落ちた触手も同じようにびくびくしていたが、やがて動きを止めた。
 持ち上げられていた初号機が、地面にたたきつけられ、ロヴィーノはうっと呻く。
 そして、はっと目を開くと。
 使徒が。
 真っ二つにされるところだった。
 まるで巨木が雷に打たれたように。
 たくさんの触手がざわざわと蠢きながら。
 本体が真っ二つに割れていく。
 やがて、それは白い仮面へと届いて。
 奇怪な声を上げながら。
 使徒の仮面が、二つに割れる。
 そして、その二つに裂けていく使徒の体の向こうから姿を現したのは。
 もう一体のエヴァ。
 おそらく。
「弐号機…」
 ナイフで使徒を切り裂いた弐号機が、ナイフを使徒の体の中に残したまま飛びあがる。一瞬、太陽がエヴァによってさえぎられる。ロヴィーノは憑かれたように弐号機の姿を目で追う。
 弐号機は、空中でくるりと回転すると。
 やがて、キックの体制で急下降を始める。
 使徒の体内に残したナイフに向かって。
 勢いをつけた弐号機の足が、ナイフへと届く。そして、その体重と加速を利用して、一気に使徒の体を切り裂いた。
「すげえ・・・」
 思わずロヴィーノが呟くと。
 ナイフを押し込んで再び飛びあがった弐号機から、声が聞こえた。
『当り前さ!』
 快活な、声。
 くるくる、と宙で回転すると。
 弐号機は、鮮やかに初号機の前へと降り立つ。
 そして。
『俺は、ヒーローだからね!』
 高らかに宣言した弐号機の背後で。
 突如、赤い液体が大量にはじけ飛ぶ。
 びしゃびしゃと赤い液体が初号機にも飛んでくる。
 ロヴィーノは、ひ、と肩を震わせた。
『君、大丈夫かい?』 
 気がつくと、弐号機が手を差し伸べていた。
 ああ、こいつが。
 アル―弐号機専属操縦者、セカンドチルドレン―アルフレッド。
「大丈夫じゃねえよ」
 ふてくされた声で、ロヴィーノは答えた。

「やあ、皆!俺の活躍、見てくれたかい!?」
「アルー!!」
 司令室へ足を踏み入れると、総司令が突進してきた。ロヴィーノはびくっとするが、アルは慣れたものらしく、さっと横に避けると足を突き出す。
 アーサーはアルの足につっかけられ、すてーんとその場にすっころぶ羽目になった。
「アル〜」
「うざいんだぞ、アーサー」
 半眼で見下ろすアルフレッドと床とキスする羽目になった総司令を、ロヴィーノは茫然と見つめる。
「おまえ、オレの言葉を無視して出撃しやがって〜。怪我でもしたら、どうするんだ、ばかぁ」
(え、ちょ、これ、ホントにさっきの元ヤン?)
 あろうことか、めそめそし始めるアーサーに、ロヴィーノの視界が一瞬暗くなりかける。
「しないよ。俺はヒーローだからね。それに、アントーニョは出ていいって言ったぞ」
「この腐れトマト、死ね!」
 いきなり元ヤンに戻ったアーサーが、呪い殺しそうな視線をアントーニョに向ける。
「おまえが死ね、アホまゆげ。ようやったな、アル」
 アントーニョが近づいてきて、それからアルフレッドの後ろにいるロヴィーノに気づく。
「おっ」
 ぱっと明るい表情を浮かべたアントーニョの後ろで、オペレーターズがぱん、とクラッカーを鳴らす。
「お帰りなさい!はじめの一歩!」
「頑張ったね、はじめの一歩!」
「すごいですね、はじめの一歩!」
 はあ?と、ロヴィーノが白目をむく。
「な、なんだよ、はじめの一歩って・・・」
「ほら〜一歩、歩けたやんw」
 ぽん、と背後からアントーニョがロヴィーノの肩に手を置く。
「なんだそりゃー!俺の名前は…」
 ロヴィーノが怒鳴ろうとした時、カツ、と靴音がして、視界に白い白衣が現れる。
 ギルベルト。
「ああ、わかってんよ。おまえは生きて帰ってきたからな。ちゃんと、名前を呼んでやる」
 え、とロヴィーノが息をのむ。
 ギルベルトが微笑みながら、口を開いた。

「これからよろしくな、ロマーノ」

「は・・・っ?」
 ロマーノ?
 途端に、わああああ、と司令室が盛り上がる。
「よろしくなんだぞ、ロマーノ!」
「これからよろしくお願いします、一緒に頑張りましょうね、ロマーノさん」
「まあ、適当にやってくれ、ロマーノ」
「お赤飯炊かなな、ロマーノww」
「オレ、トーリスって言うんだ。よろしくね、ロマーノ君」
「あ、あの、僕、ライヴィスって言います。よろしくしてください、ロマーノ君」
「あ、僕はエドァアルド・フォンバック。エドでいいよ。ロマーノ君」
 口をパクパクさせるロヴィーノ。
 俺の…俺の名前は。
「ロヴィ・・・」
「あ、そういえば」
 ロヴィーノが自分の名前を叫ぼうとした時。
 おもいっきり台詞かぶって、アルフレッドが口を開く。
 そして、本日最後の爆弾を投下した。
「オレ、今日から菊と住むことにしたんだぞ。菊、よろしくw」
 は?と全員が一瞬動きを止め。
「なんだとー!!!!」
 というアーサーの絶叫と共に。
「あの・・・オレ、ロヴィ・・・」
 
 ロヴィーノ・ヴァルガス改め、ロマーノの初出勤は終わろうとしていた。



 次号へ続く
 


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