「アルフレッド」
エヴァンゲリオン弐号機の前で、変わらずぼんやりと膝を抱えていたアルフレッドは、その声に振り返る。そして、驚いたように―ついで、どこか苦しげに、自分の名を呼んだ相手の名を呼び返した。「アーサー・・・」
アーサー・カークランドは、常にないほどの穏やかな笑みを浮かべ、最愛の子供を見つめる。
「アルフレッド、部屋に来ないか」
え、とアルフレッドはさらに目を見開く。
今までのいざこざも、世界の終わりすら、まるでなかったように、なにげない調子でアーサーはそう、アルフレッドを誘った。
「うまい茶を淹れてやるよ」
その言葉は、無邪気とも言えるほど屈託がなかったので。
アルフレッドは―ゆっくりと立ち上がった。
*
学校を終えて、ネルフへやってくると、どこか寒々しい感じがした。
それが自分の主観に基づくものなのか、最深部への使徒の侵入を許したことによる職員達の重苦しい面持ちを反映したものなのかはよくわからない。
トレーニングルームにも司令室にもどこにも、他のパイロットはおろかアントーニョの姿すらなく、ロマーノは「なんだよ」とひとりごちた。
そして、ギルベルトの部屋へと向かった。
「ロマーノ」
「・・・今日、訓練あるんじゃなかったのかよ」
ぶすっとした顔で入口に立っている初号機パイロットを目にとめて、ギルベルトが眉をひそめた。
「訓練・・・ああ」
なんだか妙な反応をしたギルベルトに、ロマーノは苛立ちを募らせる。
「ああ、じゃねえよ。職務怠慢じゃねーの?あんたも、アントーニョも」
言いながら、部屋の中に入る。部屋は意外なほどにきちんと整理整頓されている。そういったことにはいい加減そうなのに、ギルベルトはおどろくほど几帳面なところがあった。
「なあ、アントーニョ知らねえ?どこにもいねえんだけど・・・」
ギルベルトは椅子に座ったまま、少しの間自分の靴の先を眺めていたが、ぽつんと口を開いた。
「あいつ・・・昨日は、帰ったんだよな。おまえ、一緒にいたんだろ?」
ん?と、ロマーノは怪訝な顔をして、ギルベルトを見る。肩の上で、小鳥がぴぴ、と鳴いた。
暗くなりかけた部屋の中で、ぼんやりと座っていたアントーニョ。
なぜか、不安が頭をもたげる。
あいつ―なんで、昨日に限って、あんなに早く帰ってきたのだろう。使徒の侵入を許したネルフの作戦部長は忙しいはずじゃないか。
「ああ、いたよ。いつも通りにメシ食って寝て、朝、ネルフに行ったぜ?」
ざわざわと騒ぎだす気持ちを抑えつけながら、わざと何でもない風に答える。
そう―いつも通りだった。いつも通り・・・だったよな?
妙な沈黙を返すギルベルトに、さらに不安は増して、何か口に出すことを探し、ロマーノは無理やり言葉を紡いだ。
「そういや、フランシスも見てねーな。あいつも真面目に仕事してるとこ見たことねーけど、多少はやってんのかな」
軽口で言ったはずの言葉に、ギルベルトがはっと顔を上げる。
その表情の険しさに、ロマーノはびくっと肩を震わせる。
「な、なんだよ・・・。オレ、なんか、変なこと言ったか?」
ギルベルトの赤い瞳が、ロマーノを凝視する。
オレは今、何をしゃべったっけ?
ああ、そうだ。
フランシスの。
「聞いて・・・ないのか」
え?と、ロマーノは目を瞬く。
迷った顔をして、それから意を決したように、ギルベルトはロマーノに向き直った。
「あいつは、死んだ」
は?
世界が、モノクロームに沈む。
*
巨大なジオフロントの。
ほんの一部しか、自分は知らないのだと。
アーサーの後をついて歩きながら、アルフレッドはつくづく思った。
まるで、迷路のように。
いくつもの階段を上り、下がり。
いくつもの扉を開け。
まるで、うさぎに導かれる不思議の国のアリスだな、と思った時。
その場所に、たどり着いた。
「ここだ」
アーサーは、画面に自分の顔を映し、センサーに虹彩を読み取らせる。
「司令官室じゃ、ないんだね」
アルフレッドがぽつんと言った言葉に、アーサーはなんだか楽しそうに笑った。
「司令官にも、プライベートは必要だからな。ここは、オレの秘密の部屋なんだ」
秘密の部屋・・・?
さあ、とアーサーが手を伸ばす。
おいで、と。
ためらいなく伸ばされたその手を。
アルフレッドは、こわごわと・・・とった。
まるで淑女をエスコートするかのようにうやうやしく、アーサーはアルフレッドを中に導いた。
「わあ・・・!」
ぱっと明かりがついたその部屋に足を踏み入れ、アルフレッドは思わず歓声をあげた。
そこは、まるで植物園だった。
円形のドーム状の、秘密の花園。
たくさんの花々が咲き乱れている。植物たちは、どれも丁寧に世話をされているようだった。
「すごいね、アーサー」
「ああ、なかなかのもんだろ」
手をつないだアーサーは、満足げに言った。
そのアーサーをなんだか不思議な思いで見上げる。
どうしてなんだろう。
どうして、アーサーはこんなに穏やかなんだろう。
まるで、小さい時みたいに。
こんな風に・・・手をつないで。
「ねえ、アーサー。この場所、皆は知らないのかい?」
すると、アーサーの碧の瞳にいたずらっぽい色が浮かんだ。
「ああ。ジオフロントは全部オレが設計した。そこで、ちょっと、な」
ちょっと、って。
アルフレッドは苦笑する。
が、なんだか、楽しくなった。
ネルフはアーサーのすべてで・・・でも、そのせいでいつもアーサーは苦しそうだった。彼の作り上げたネルフの本部に、こんな場所を隠していたこと、そのことがなんだかとてもうれしかった。
「マシューも、知らないのかい?」
「ああ、知らねえよ」
アルフレッドは、アーサーの手をきゅっと握った。
「でも、オレには教えてくれるの?」
「ああ、オレの一番大事なものは、おまえだからな」
さらっとアーサーはそう言うと、さあ、と奥へとアルフレッドを導いた。
薔薇のアーチをくぐると、中央に噴水とソファセットがあった。
「そこ、座ってろ。今、茶を淹れる」
夢心地で導かれるままに、ソファに腰を下ろす。
―オレの一番大事なものは―・・・。
硝子のティーセットに湯を注ぐアーサーの背中を見つめながら、アルフレッドは反芻する。何度も、何度も。
(本当に?)
空色の瞳に映る背中。
(本当に、君は・・・)
ふいに蘇る雨の音。雷。照らされた横顔―。
だが、アルフレッドは目を閉じて頭を振った。
もう、いい。
もう、何も考えたくない。
ここにアーサーがいて、オレがいる。
それだけで、もう―・・・。
(いいじゃないか・・・)
エヴァに乗れなくても。
ヒーローでなくなっても。
認めてもらえなくても。
たとえその愛情が、おもちゃか、ペットに向けるようなものであっても。
大事だと、言ってくれるなら―。
「アーサー」
「うん?」
アルフレッドは、微笑んだ。
「大好きだよ」
アーサーが振り返った。
そして嬉しそうに、ああ、と答える。
(そうか。こんなことで―よかったんだね)
オレ達が、楽になるには。
「ほら」
透明なティーカップの中にある液体は、色の薄い紅茶に似ていた。
「全部ここにある植物で作ったハーブティーだ。蜂蜜、足りなかったら足すから言えよ」
そう言って、アーサーは、アルフレッドの横に腰かけて自分のティーカップに口をつけた。
アルフレッドも、ティーカップの中の液体をすする。
「あ・・・おいしいんだぞ」
ぱっと顔を輝かせたアルフレッドを、満足げにアーサーが見る。
「ちょっとすっとする」
「ミントが入ってるからな。・・・おまえ、最近ろくに食ってないだろ?胃にやさしいブレンドにしといた」
アーサーの言葉に、喉に熱いものがつまったように感じた。
菊が出ていってから、何も味がしなくなった。大好きだったハンバーガーも。ポテトチップスも。アイスも。
ハーブティーを飲みながら、気が付くと、目からぼたぼたと涙が落ちていた。
(あれ・・・なんだよ)
色々な苦い思いが詰まった涙。
(止まんない・・・)
震える手から、やさしくティーカップが取り上げられて。
うつむいたアルフレッドの肩をアーサーの腕が引き寄せる。
泣くな、とも。
何も言わず。
アルフレッドが声を殺して泣くに任せ。
自分は、片方の手でお茶を飲みながら、自分の作り上げた花の楽園を眺めていた。
「・・・オレの代わりが・・・そろそろ、来るんだよね」
ようやく落ち着いてきたアルフレッドが、そう聞くと、ああ、とアーサーが答えた。
その肯定は、ずんとアルフレッドの鳩尾に落ちてくるが、アルフレッドはそれを飲みこんだ。
「オレのやったことって・・・意味、あったかな」
「さあ、どうだろうな・・・でも、そう、意味はあったんだろう」
え、とアルフレッドは顔を上げた。
「君は、オレがエヴァに乗るの、嫌だったんだろ」
「嫌だったよ。今も、嫌だ。おまえが傷つくところは見たくない。万が一死んだりしたら、今やってることは、すべて水の泡だ」
「水の泡って・・・そんなことないだろ、オレがもし死んだって、ネルフが使徒を全部倒せば、世界は救われるじゃないか」
引き寄せたアルフレッドの髪をいじっていたアーサーは、アルフレッドを見つめる。
「いや、意味はない」
「・・・?」
「少なくとも、オレにとっては。おまえのいない世界に、意味なんてない」
「あーさ・・・」
「世界でたった一人、おまえさえ生きていてくれれば、それでいい。それだけが、オレの望みだ」
その語調の強さに、アルフレッドはしばし言葉を失う。
「たった一つの願いをかなえようとすれば、それ以外のすべては捨てなきゃならないんだ」
まっすぐに見つめる碧の瞳を覗き込みながら、かすかな違和感が広がっていく。
だけど。
(なんだか・・・ぼんやりする)
花の、甘い匂いのせいだろうか。
久しぶりに触れたアーサーの身体の暖かさのせいだろうか。
この甘い夢の中で。
目を閉じれば、それでいいんじゃないだろうか。
何か、大事なことを見落としている気がするけれど。
「・・・今朝、夢を見たんだ」
「夢・・・?」
アーサーの低い呟きに、聞き返す。
「ああ・・・夕日が落ちてくんだ。その夕日は、怖くなるくらい綺麗で。その光で真っ赤に染まった世界を、おまえが一人で歩いてる。どこまでも、ずっと・・・」
ほんとに綺麗だった、とアーサーは幸せそうに言う。
(オレ、一人で・・・?)
なぜか、瞼が重い。
「君は・・・?」
「ん?」
「君は、いないのかい・・・?」
君が、いなきゃ。
だが、アーサーは、答えなかった。
力が抜けてきたアルフレッドをしっかりと支え、その顔を覗き込む。
(なんか、変だな)
どうして、こんなにアーサーは優しくて。
どうして、こんなに眠いんだろう。
「ねえ、アーサー」
「なんだ?」
「キス・・・してよ」
腕を伸ばして、アーサーの首の後ろに回す。まるで、映画で見た恋人同士のように。
「それとも、意識がないとできない?いや・・・してくれなかったよね、あの時も」
アーサーは、初めて驚いたように目を見開いた。
「おまえ、気付いて」
「アーサー、気がついてる?オレ、もう15になるんだよ。もう、子供じゃないんだ」
―・・・大人のキスさ。
フランシスの囁き。
「キスしてくれるだろ?・・・大人のキスだよ」
アーサーは苦笑したようだった。
「どこでそんなこと覚えてくるんだ」
言いながらも、アーサーはゆっくりとアルフレッドに覆いかぶさった。
「ん・・・」
触れた唇は、やや乾いて、冷たかった。
だが、ゆるく開いた唇に侵入してきた舌は、驚くほど熱く。
待って、という暇もなく口腔に入りこむ。
ハーブティーの爽やかな香気と、アルフレッドの口の中に残っていた蜂蜜の甘さが、唾液と共にまじりあう。
「あ・・・ん・・・」
必死ですがりつく手が、アーサーの服をつかむ。
じんと痺れる頭。
甘い疼きが体中に広がっていく。
「アー・・・サ・・・」
はあ、はあ、と息をついたアルフレッドの頭を支え、アーサーはちゅっと唾液に濡れたつややかな唇に軽いキスを落とした。
「オレ・・・待ってる、から・・・使徒、全部倒したら・・・そしたら・・・」
抗いがたい眠気に抗しつつ、アルフレッドは言葉を紡ぐ。
「そしたら・・・一緒に・・・」
一緒に。
その言葉の続きは、すでに言葉にならず。
アルフレッドの意識は途切れた。
糸の切れた人形のように、ソファにぐったりと横たわったアルフレッドを見下ろし、アーサーはその額に己の額をつける。
その様は、まるで祈りを行う人のように。
「おやすみ・・・アル」
目がさめれば。
アーサーは、顔を上げる。
すべては終わってる。
「生まれ変わるんだ、アル」
たった一つの―願いの為に。
アーサーは立ち上がった。

*
悪い冗談だろう。
そう、思いたかったのに。
ギルベルトはいつまでたっても、嘘だ、とは言ってくれなかった。
それどころか、常にないその真剣な表情が、それが真実だと思い知らせる。
「じょう・・・だん、だろ」
それでも、往生際悪く。
拳を握りこむ。
「冗談だろ、なあ!?」
それは、悲痛な願い。冗談に決まってる。そんな馬鹿げたこと、あってたまるか。
あいつは、いつだって。
へらへらと人を食ったような笑みで。
いかにも自分は大人ですってツラで、人のことを見下して、知った風な口きいて。
そんで。
そんで―アントーニョのことが・・・今でも。
今でも。
はっとして、目を見開く。
聞いてないのか、と言った。
「待てよ・・・それ、いつだ?いつ、あいつが死んだんだ!?いつ・・・」
アントーニョが、それを知ったんだ。
血の気が、引いていく。
まさか。
ギルベルトが、苦しそうに、口を開く。
「昨日の昼過ぎだ。そのまま、あいつは・・・家に帰った。あとはずっと、おまえといたはずだ」
がん、と棍棒で頭を殴られたような気がした。
夕日に照らされた白いテーブル。
ぼんやりとその表面を見ていたアントーニョ。
ずきずきと頭が痛む。
あいつに。
あいつに、オレは―。
―どうして・・・オレなんだよ。
泣きながら。
―もう、やだよ。オレ、無理だよ。
子供みたいに。
―おまえのせいなんだよ。おまえがいなきゃ、オレはエヴァになんて乗らなかった!
八つ当たりとわかっていながら。
オレは――――――。
「・・・っふ」
か、と顔が熱くなっていく。
慙愧で目の前が真っ白になるという経験を、オレはその時初めてした。
「ロマーノ・・・」
オレは、馬鹿だ。
―勘忍な、ロマーノ・・・。
あいつは。
オレの八つ当たりを受けて、あいつは。
オレを抱きしめて。
「子守唄・・・うたってくれたんだ」
「あ?」
「もうやだって・・・オレが、そういったら・・・抱きしめて・・・こ、子守唄を・・・うた・・・」
ああああ、とロマーノがカバンを取り落として頭を抱え、しゃがみこんだ時。
使徒出現を知らせる、サイレンが鳴った。
*
「使徒の形状は、直径5メートル程の黒い球体!」
ギルベルトが司令室にかけつけると、すでにオペレーターは揃い、画面には使徒がその異様な姿を映していた。
トーリスの言うように、それは巨大な黒い球体だった。まるでボーリングの球のような。
「トーリス、アントーニョと・・・アーサーはどうした?」
「それが・・・お二人とも、連絡がとれなくて・・・それに、本田君も・・・ずっと弐号機の格納庫にいたはずのアルフレッド君も・・・」
戸惑いを含んだ言葉に、ギルベルトはちっと舌打ちする。
「副司令・・・マシューはどうしたよ」
「副司令は、本日外出の予定で・・・」
「どいつもこいつも!」
どん、とギルベルトは、卓を叩く。
「オレは、現場指揮官じゃねーんだよ。なんで、オレ一人しかいないんだっつの!しかも、パイロットもロマーノ一人かよ!どうしろってんだよ!!あの馬鹿どものが!!」
「とはいえ、どうにかしなきゃならないのも事実です。どうします、ギルベルトさん」
エドアルドの冷静な突っ込みに、ギルベルトは頭を掻き毟る。
「とりあえず、初号機を出すっきゃねーよ。今、ロマーノが向かってる」
(もっとも・・・あの精神状態で戦えんのか、疑問だけどな)
アルフレッドのように精神状態でシンクロ率が左右されたりはしないが、そもそも戦いが苦手なロマーノがたった一人で戦うなど、それだけでリスクだ。
「おい、あの使徒の近くに、第参砲台、あったな」
「ええ、ありますね」
トーリスがすばやく位置を確認する。
「一発、お見舞いしてみろ。あいつ、まだ一度も動いてねーんだろ?攻撃パターンくらいわかんじゃねーの?住民の避難は済んでるんだろ?」
「はい、それは問題ありません。ですが、いいんですか?司令も、アントーニョさんもいないのに・・・」
「いねえのが悪いってか、おまえらがなんとかしろって言ったんだろうが。いきなり、初号機突っ込ませるより、砲台一門犠牲にする方がましだ」
「まあ、それもそうですね」
エドアルドがうなずき、調整に入る。トーリスもため息をついて、砲台の管理部門に連絡を入れた。
「よし、準備いいな。んじゃ、発射!」
景気よく、というより、半ばやけっぱちのギルベルトの言葉と共に放たれたビーム砲は、一直線に球体へと。
吸い込まれた。
「え?」
「い?」
「吸い…こまれましたね」
すべての熱線をその身に吸収した球体は、しばし沈黙し。
それから。
「!球体にエネルギー反応!す、すごい・・・!」
トーリスが目を見張った途端。
「!!」
第参砲台が放ったビームがゆうに数十の数となり、球体の四方から発射された。
ごう、とあっという間に周囲が炎に包まれ、続いて街の消火機能が作動し、水にまみれる。
「なんてこった・・・」
ギルベルトが呟く。
「敵の攻撃を吸収し、何十倍にもして返す・・・そういう使徒なんですね、これは」
あいかわらずのエドアルドの冷静な言葉は、しかし、目の前の惨状にかすかにふるえている。
「まいるじゃねえか・・・それじゃ、うかつに手を出せねえぞ」
少なくとも。
(ロマーノの得意な射撃は通用しねえ・・・)
それをやれば、あっという間にロマーノ自身がハチの巣だ。
(どうする・・・)
ちくしょう、どこにいやがる。
アントーニョ。
ギルベルトは、友の名を呟いた。
*
気配を感じて、振り向いた。
すると、そこにいたのは、予想通りの人間だった。
「アントーニョ」
無感動に、彼の構える銃を見つめる。
「何の真似だ」
は、とアントーニョが顔を歪める。
「こっちの台詞やな。アルをどこに連れてく気や」
アントーニョは、アーサーの抱き抱えるアルフレッドを顎で示す。
「おまえには、関係のないことだ。もう、アルはパイロットでもねえ」
さらっと言いきったアーサーに、しかしアントーニョは怒気を強める。
「関係ないやと?ふざけるんやないで。俺ら、もう誰ひとり、この泥沼から抜け出れる奴なんておらん。皆が皆、関係者や。せやろ?せやから、あいつも―フランシスも、死ななあかんかったんとちゃうんか?この泥沼の真ん中で、お前一人なにやろうとしてんねん」
銃を構え直す。
「教えろや、アーサー。もう、誤魔化しはきかんで」
しばしの間、アーサーは沈黙する。
それから、静かに口を開いた。
「・・・おまえも、あいつと同じ運命をたどるんだな」
あいつ、それが誰を表すかは明白であり、それは自白と同義であった。
アントーニョは、目を大きく開き、それからギリ、と奥歯を噛む。
「・・・認めるんやな」
「どうせ、あいつの言葉はおまえに届いてるんだろう?だとすれば、どう言いつくろっても、無駄だ」
言いながら、アーサーはアントーニョに向き直る。
「アーサー、アルを床に寝かせて、離れるんや。話は、後でじっくり聞くわ」
ふ、とアーサーは笑った。
「アルを抱えたままのオレを、おまえは撃てないだろ?その脅しは意味がない」
「射撃は、それなりに訓練しとる。アルに当てんくらいには」
「それでも、おまえは撃てない。・・・まあ、いいさ」
アーサーは、うやうやしい動作でゆっくりと黒く磨きこまれた床の上にアルフレッドをおろし、それから上着を脱ぐと、その横に広げアルフレッドをその上に寝かせなおした。
そうして、ゆっくりと立ち上がり、旧友に向き直る。
「で・・・?おまえは、オレを撃つか?」
フランシスの仇を討つのか?
緑色の瞳が、互いを映し合う。
*
「使徒が動きました!・・・まずい、先日破壊された穴がまだ修復しきれていません。22層まではほとんどセキュリティシステムがはたらきません!」
黒い球体は、きゅるるるんと音を立てて高速スピンを開始し、そのまま地中へと潜っていく意図を見せていた。
もちろん、目的はセントラル・ドグマ。
「どうします、ギルベルトさん・・・!」
「とりあえず、急いでマシュー呼び戻すのと、ネルフ中を捜索してあの馬鹿二人見つけろ。それから・・・初号機はジオフロントで待機だ・・・。あのスピードで途中で捉えんのは、無理だ。下で迎撃するしかねえ」
本当にそうか?
浮かんだ言葉を、打ち消す。
正しい答えなんて、ない。
アントーニョなら、他の考えを思いつけるかもしれないが、今は自分しかいない。
*
「ネルフ副司令、マシュー・ウィリアムズに問う。ネルフ司令、アーサー・カークランドは何を企んでいる?」
墓石のごとき黒い石板に向かい合い、マシューは辛抱強く茶番に付き合っていた。
ため息をついて、何度目かの答えを口に出す。
「ですから、何度も申し上げておりますが、ネルフは使徒を倒し、人類に平和をもたらすための機関であり、それ以上の目的などありません。司令官個人の考えについては個人的なことですので完全にはわかりかねますが、職務態度はネルフの存在目的から逸脱するものではなく、日々真摯に対応しております」
模範的な答えだな、と老人が揶揄するように言う。
そりゃあね、とマシューは一人ごちる。
だって、本当に。
(何も知らないんだ―)
あの人の考えてることなんて。
老人たちは、何かを焦っている。
それが、スパイであるフランシス・ボヌフォワの死に由来するものだとは、マシューにはわかっていなかったが。
その時、飽きることなく愚痴のような尋問を繰り返していたゼーレたちが、一斉に沈黙した。
「?」
マシューが顔を上げると、ゼーレの一人が口を開いた。
「マシュー・ウィリアムズ。今、ネルフより連絡が入った。使徒が現れ、迎撃中とのことだ。すぐにネルフへと戻りたまえ」
マシューは眉をひそめる。本部には、アーサーがいるはずだ。なのに、こうあっさりと解放されるとは・・・。
「わかりました。失礼」
きびすを返すと、ふいに呼び止められた。
「副司令」
はい、とふりかえると。
黒い石板が、低い声で呟いた。
「人類は・・・救われるのだろうな?」
その時、感じたものを、おそらく寂寥と憐憫と呼ぶ。
なぜだかはわからないが、石板の向こうに小さな老人の影を見た。精一杯大きなハリボテの後ろに隠れた貧弱な老人たちの弱弱しい姿を。
(それが、人類なんだ)
今の、人類の姿なのだ。
マシューは、微笑んで見せた。
幼子をあやすように。
そして、ええ、きっと、とうなずく。
多分ね、と心の中で付け加えながら、今度こそ振り返らずにゼーレを後にした。
*
ジオフロントで。
初号機に搭乗したロマーノは、虚ろな目でドームの天井を見上げている。
使徒が降りてくるという。
それを迎撃するのに、重火器は使うなと。
それならば―。
(ナイフで突っ込んでいけってか)
考えただけで、身震いする。
それは、アルフレッドの役目だ、と思って、ああ、と思う。
あいつは、もうパイロットではないのだと。
前のミッションの時には横にいた本田もいない。
本田との連絡も、つかないらしい。
それどころか、アントーニョもアーサーも行方が分からない。
とはいっても、二人ともゲートを通った記録があり、出た記録はないから、間違いなくジオフロントにはいるはずなのだが。
(アントーニョ・・・)
アントーニョ。
考えると、胸が潰れそうになった。
自分が子供なのだと、これほど痛感したことはなかった。
大事な人間を失ったあいつを、支えるどころか。
「っくしょ・・・」
情けない。
そのとき。
『来るぞ!』
ギルベルトの声と共に、ぼこっとジオフロントの底が割れ、黒い球体がぽん、とその空間に飛び出し、そして静止した。
「動きが・・・止まったぞ?」
ナイフを構え、息を飲んだロマーノは、思いがけない展開に、思わず呟く。
そして、次に起こった出来事にあっけにとられた。
球体がくるっと回転し、回転ドアのように開いたのだ。
「・・・え?」
球体の中は、ほぼ空だった。
空っぽの空間の中に、ぽつんと。
一人の人影。
「う・・・そ、だろ・・・?」
ロマーノの頭は混乱し始める。
(うそだ、うそだうそだうそだ、そんなの)
球体の中から現れた人影は、空中を歩き前に出ると、にこりとわらいかけた。
それは、いつもロマーノを迎え入れてくれる笑みだった。
「やあ、兄ちゃん」
自分とよく似たその顔を、ロマーノは凝視する。
「フェリシアーノ・・・」
絶望には、底がないのだと。
その時、知った。

次号へ続く
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