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「7という数字は、マジックナンバーと言われているんです」
 菊が言った。
「人の脳というのは、大体一時に覚えられる数が決まっているようなのですね。個人差はありますが、それは大体7つ。だから、古今東西7を区切りとしたものは多い。そのひとつが、七不思議というやつでしょう」
「へえ、よく知ってっぺな」
 デンが感心し、そしてその横でロマーノが暗い顔で口を開いた。
「・・・それはいいけどよ。オレ達はなんで6人なんだよ。言いだしっぺはどうしたよ」
 ん、とデンさんがロマーノの方を見る。
「おーそーいや、ノルとアイスが来てねえな。電話してみっか」
 そう言うと、ジャケットのポケットから携帯を取り出すと耳にあてた。
『なんだ、あんこけ』
「なんだじゃねっぺ。おめ、今どこだ?」
 めんどうくさげな声が答える。
『あ?家だけど』
「今日は学校さ来て、幽霊退治だべ?」
『あー、それな、無理だ』
 え?とデンさんが怪訝な顔をする。
「無理ってなしてさ?」
『今日はきんちゃんの仮装大賞だった』
 そう言うと、ぷつんと電話は切れた。しばし、そのまま沈黙していたデンさんは。
「仮装大賞ー!!」
 と、叫ぶ。
「え、なに!?」
 突然の叫びに、ロマーノが隣でびくっと肩を震わせる。 
「すまねえな・・・あいつら、来ねえ」
「な、そんなの、ずるいんだぞ!?」
 ぱたんと携帯を閉じたデンさんに、アルフレッドが抗議の声を上げる。
「ま、しょうがね」
「え、えー。やっぱり、やめましょうよう」
 既に涙目のティノがベールヴァルドのポロシャツの袖を引っ張る。ティノを見下ろしたベールヴァルドは、うーんと唸り。
「じゃ、やめっか」
 と、のたまった。
「え!?本当かい、オ」
「じゃあ、オレ達だけで行くしかねえっぺなあ」
 思わず目を輝かせたアルフレッドの後ろで、デンさんが腕を組む。ぎぎぎ・・・と、アルフレッドが振り返る。
「なあ、アルフレッド?まさか、怖いからやめようとか言わねえよな?ヒーローが」
 にっこりと笑みを浮かべたデンさんを見ながら、アルフレッドは、ははは・・・と口の端を歪める。
「は、は、は、武者ぶるいが止まんないんだぞ・・・?」
 半涙目のアルフレッドを見ながら、菊は頬に手を当てて、はあ、とため息をついた。そして、口を開く。
「どこに逃げようとしてるんです?ロマーノさん」
 びくっと肩を震わせたロマーノが振り返る。
「いや、オレ、付き合う必要なくね?ノルとアイスとベールヴァルドとティノが参加しねーんだろ!?オレ、知らねえよ!!」
「冷たいですね!アルフレッドさんが可哀想だと思わないんですか?」
 ロマーノはシャツを掴んだ菊の手を、てい、と引っぺがす。
「思わねえよ!素直に怖いっていやーいーだろ!?あいつが見栄っ張りなのがいけねえんだろうが!!大体おまえがついてきゃいいだろうがよ!?オレは怖ええんだよ!!なんかもう、ちびりそうなんだよ!」
「きっぱりと情けないことおっしゃいますねえ。さすがロマーノさん。感服いたします。けれどねえ、アルフレッドさんがああまで見栄っ張りのヒーローオタクだからこそ、エヴァのパイロットが務まってるんですよ。それに何度救われてきました?ねえ、ロマーノさん?」
 ひた、と見据えた菊の黒い瞳に気圧され、う、とロマーノが言葉に詰まる。
「そ、それは・・・」
「大体・・・」
 菊がふう、と息をつく。
「あんな半泣きの可愛いアルフレッドさんとうっかり暗闇で二人きりになったりしたら、危ないと思いませんか」
 え、とロマーノが顔を上げる。
「私が」
 妙に男らしくきっぱりと言い切った菊を、無表情で見つめながら。
 ロマーノは一言呟く。
「やっぱ、帰りてえ・・・」
 友達の精神構造が謎です。
 そう新聞の人生相談コーナーに投書してみようかと、ロマーノはその瞬間真剣に検討しかけたのだった。

「ところで、ロマーノさん」
「なんで電気つけねえんだよ!!」
「夜は電気が自動的に止められるんですよ。経費節減のためです。で、ロマーノさん」
「何でこの階段、こんなミシミシいうんだよ、こえーよ!!」
「古いからです。ねえ、ロマーノさんってば」
「ああああ、帰りてえ、帰りてえ、帰りてええええっ!!」
「ロマーノさんったら!!」
「わ、なんだよ!?」
 デンさんとアルフレッドの後ろを続いて階段を上がっていたロマーノは、菊の呼びかけにようやく気付く。
 ふう、と菊が頭を振る。
「怖がりすぎですよ、ロマーノさん。ところで、アントーニョさんと何を喧嘩されてるんです?というか、一方的に怒っていらっしゃるようですが」 
 菊の言葉に、え、とロマーノが思わず怖さを忘れて菊を見る。

 昼間。
 学校が終わってから、いつも通り三人はネルフに向かい、トレーニングルームへと向かう。
 そこへ、アントーニョが現れたのだった。というか、訓練のコーチをするのはアントーニョなのだから、当たり前なのだが。
「え、えと・・・ロマーノ?ちょっと、ええ?」
 いつもの彼らしくなく、歯切れの悪い調子で切りだす。ロマーノと言えば、しぶしぶ、と言った感じで振り向いてアントーニョに向きなおる。
 アルフレッドと菊は、なんだ?と合わせて立ち止まり、異様な雰囲気の二人を見守った。
「え、えっとな・・・オレ、やっぱり、一生懸命思い出そうとしたんやけど・・・その・・・」
 すまん、といきなり頭を下げるアントーニョに、菊とアルフレッドが驚く。そして、ロマーノを見る。
 すると、ロマーノは少し横を向いて考える顔になり、それから頭を下げたままのアントーニョに向き直り口を開こうとした時だった。
「あ、フランシス」
 アルフレッドが口を開く。向こうの通路からフランシスが歩いてくるのが見えた。
 すると。
 口を開きかけていたロマーノが口をつぐみ、後ろを向くとダッと走り出したのだ。
「え、ちょっと、ロマーノさん!?」
「ロマーノ、待つんだぞ!?」
 ばたばたとロマーノを追いかけた二人の足音に、アントーニョが顔を上げる。そして、走り去るロマーノの後ろ姿に呆然と立ち尽くす。
「よお、アントーニョ。あれ?ロマーノ達は走り込みの訓練か?」
 ファイルを肩に担ぎながらフランシスがアントーニョの後ろに立つと。
 アントーニョは前を見たまま片手を持ち上げ、フランシスのシャツの襟にガッと手をかける。
「あ?何、おまえ、昼間から・・・って」
 軽口を叩こうとしたフランシスの天地が一瞬にして逆さまになる。
「うわああああっ」
 すっと懐に入ったアントーニョが、思いきりフランシスを背負い投げしたのだ。
 そして、ぐすん、と涙を拭うとアントーニョはとぼとぼと歩いて行く。
 しばらくして。
「おまえ、なんでこんなとこで寝てんだ?」
 黄色い小鳥を頭に乗せたギルベルトが腰に手を当ててフランシスの顔を覗き込む。
「・・・オレが聞きたいよ!」
 腹の底から叫んだフランシスを見下ろすギルベルトの頭の上で、小鳥がぴくっと昼寝から飛び起きた。

 と、いうことがあったため。
 菊とアルフレッドは何があったのだろうと首をひねっていたのだが。
 訓練中もアントーニョと一切口を聞こうとしないロマーノに、二人も切り出せずにいたのだった。
「アントーニョさんは思い出せないとかなんとか言ってましたけど・・・」
 言いながらロマーノを見ると、やはり彼はぶすっと黙りこんでいる。
 菊は肩をすくめた。
「ま、いいですけどね。ちょっとあれは可哀想だと思いますよ。ものすごいしょげてますからね、アントーニョさん。あんなに落ち込んでるの、見たことありませんよ」
 菊がそう言うと、ロマーノがぼそっとつぶやいた。
「泣きてえのは、オレの方だよ・・・」
 おやおや、と菊は首をかしげた。

「ここだっぺな・・・用意はええか?アル」
「い、いいいいいいんだぞ」
「いが多すぎるぞ、いが」
 ひそひそと廊下の曲がり角でデンとアルが言葉を交わす。その後ろから、さらにひょこっと菊が顔を出す。ちなみにその後ろでは逃げ出そうとするロマーノの襟首を掴んでいる。
「さ、行くっぺ」
「うううう」
 アルの手を掴んで、デンさんが歩き出す。暗いトイレが近づいてきていた。

「デンさんとアルフレッド君たち、だいじょうぶですかねえ」
「見に行くか?」
「え、遠慮します」
 旧校舎の入り口でティノとベールヴァルドが言葉を交わす。そして、何度か屋上を見上げるベールヴァルドの仕草に気づき、ティノが首をかしげる。
「スーさん?屋上に何かあるんですか?」
「・・・いや。今日は曇ってて、空が見えねえな」
 そうですね、とティノも空を見上げる。
「雨は降らないって言ってましたけど・・・星も月も見えないと、余計に暗くて不気味ですね」
 言いながら、ティノはぶるっと震えた。

「扉が・・・」
「閉まって・・・」
「・・・るんだぞ」
「帰るうううううっ!!」
 ごくり、とデンさんが唾を飲み込む。4人の視線の先、二つしかない個室の奥のほうの扉が閉まっていた。
 今朝、ティノが話したのと同じように。
「あ、アル、の、ノックしてみっぺ」
「その、ええええ栄誉ある行為は、きききき君に譲ってあげるよ、おおおおおオレは寛大だからねっ!」
「お二人で行ったらどうです?」
 後ろから菊が囁く。びくっと二人が振り返る。菊がロマーノのジャケットを引っ張りながら、微笑む。
「私はロマーノさんを捕まえてますから、さあ、どうぞ」
 デンとアルは互いに顔を見合わせると。
「・・・い、行くか」
「に、逃げないでくれよ・・・?」
 言いながら、そろそろと歩き出す。ジャケットを掴まれながら、ロマーノがぼそっとつぶやいた。
「本田・・・恐ろしい奴」
 暗いトイレの中を、懐中電灯と明かりとりのわずかな光を頼りに進んでいく。
 ぴちょん、と水道から水の滴り落ちる音に、二人はびくっと肩を震わせる。
 やがて、二人は扉の前に立つ。
「ずるはなしだぞ・・・?」
「一緒にやっぺ」
 ごくっと息をのむと。
 二人はだらだらと脂汗をたらしながらも、同時に手を伸ばすと、こんこん、とノックした。
 ―すると。
 恐ろしいほどの沈黙の後。

 こん、こん。
 
 と。
 ノックが。

「うわあああああああ!」
「出たっぺーーーーーーーーー!!」
 短距離走学年首位の二人が、一斉に全力で走り出した。
「あ、ちょっと、お二人とも待ってくださいよ!アルフレッドさん!!」
 ぱっとロマーノのジャケットから手を離すと、菊も二人を追って走り出した。
 そして。
「へ?」
 急にジャケットから手を離されたロマーノが、こて、とその場に座り込む。
 そうして、自分の状況に気づき、さあっと青ざめた。
「おおおお、おいてくんじゃねーよ、ばかやろおおおお!」
 あいつら、後で殺してやる!!とロマーノが立ち上がろうとした時だった。
 ぎい、と背後で音がする。
「ひっ」
 扉の、開いた音。
 続いて、ぺたり、と何かの、音。
 なんだ?
 これは・・・。
 ぺたり。
 あし・・・おと?
 ぞわぞわと首筋を這い上がる悪寒。
 ロマーノは悲鳴を上げることも動くこともできず。
 ただ、全身を耳にして音に神経をとがらせる。
 ぺたり。
 足音が、止まった。
 ロマーノの、後ろで。
 かたかたと歯が鳴る。
 歯の根が合わない。
「あ・・・」
 アントーニョ。
 思わずその名を呟こうとした時だった。
「だらしねー奴らあるね」
 へ?と聞き慣れた声に、ロマーノは目を見開く。
 そして、ばっと振り返ると。
「わ、王!?」
 そこには、黒髪を束ねた中国人、王耀が立っていた。
「ま、まさか、おまえがあの中に?」
「おせーから、待ちくたびれて寝てたある」
 ぽりぽりと頭をかく王。そして、ほあ、とあくびをした。
「な、なんで、そんなこと・・・」
 あ?とロマーノを見下ろすと、王はにやりと笑った。
「それはもちろん商売をやりやすくするためある」
「し、商売?」
 ロマーノは頭が付いて行けず、目を瞬く。
 すると王は、バッとロマーノの目の前にお札を広げて見せた。
「これあるよ」
「へ?」
 黄色いお札に赤い蛇がのたくったような文字が書かれている。それを数枚扇のように広げると、ひらひらと振って見せる。
「学校に幽霊が出るって噂が広まれば、魔除けの札が飛ぶように売れるにちがいねーある♪」
「おまっ、学校で売りさばく気か」
「当然ある。我の商売魂見くびってもらっちゃ困るね」
 おまえ、学生だろうが。
 そう言おうとしたが、ああ、そうある、と王が呟く。
「どうせだから、おまえもなんか買うよろし」
「いらねえよ!んな、いんちき札!」
「そうあるか。じゃあ、これなんかどうある?身代わり人形。実用的あるよ」
「実用的?」
 ロマーノが怪訝な顔をすると、王はぱちんと指を鳴らした。
「おーい、出てくるある」
 はい?とロマーノが目を点にすると。
「ふあ~なんすか、兄貴」
 と、トイレの中からもう一人現れた。
「よ、ヨンス!?」
 韓国人のヨンスである。
「な、なんで、おまえまで!?って、まさか」
 おそるおそる王を見ると、彼はにっこりと笑ってみせる。
「500円ぽっきりある」
「安!てか、生きてるけど、生身だけど、アレ!?」
 すると、王はち、ち、と指をワイパーのように動かす。
「生きてねえと意味ねーある。化け物が出たら、あいつが食われてるうちに逃げるよろし」
「身代わりって、そういう意味かよおおおお!どんだけブラックなんだよ、おめえは!!」
 いらねえよ!と叫ぶと、それは残念あるね、とたいして残念そうでもない口ぶりで言うと、行くあるよ、とヨンスに声をかけた。
「ほーい」
 ひょいっとヨンスが近づいてくる。
「おまえさ・・・あいつと付き合わないほうがいいぞ」
「なんでなんだぜ?」
「あ、そうある。我が隠れてたこと、言ったらどうなるかわかってるあるね?」
 振り返った王の言葉に、ロマーノは張りこの虎のようにかくかくと首を縦に振った。しゃべったりしたら、飲み物に毒でも入れられかねない。
「ち、ちくしょう、本田たち、どこ行ったんだ・・・」
 ロマーノがようやくへっぴり腰で立ち上がると、ふと王が口を開く。
「そういえば、本田はおまえと一緒にここに来たあるか?」
 ん?と、ロマーノが王を見る。
「あ、ああ。学校終わってからネルフで訓練して、それから一緒にこっち来たから、ずっとオレ達と一緒にいたぜ?」
 それがどうした?と首をかしげると。
 王はしばし沈黙し、なら、いいある、ときびすを返した。
 あ、なあ、と今度はロマーノが王に呼びかける。
「何あるか?」
「おまえらさ・・・ずっとここにいたんだろ?な、何か起きなかったのか?」
 恐る恐るそう聞くと。
 まじまじとロマーノの顔を見た王が、は、と鼻で笑った。
「起こるわけねーある。キョンシーは便所じゃなくて墓にいるもんある」
 そして、その後ろでヨンスが「キョンシーの起源はオレなんだぜ」とか言っている。
「んなもん、怖がるなんてガキあるな、てめーら」
 王の言葉に、ロマーノは、んが、と口を開けた。

                          

「ん」
「ありがとうございます、スーさん」
 自動販売機の取り出し口からカルピスを取り出したベールヴァルドは、ほい、とティノに渡す。そして、起き上がると自分用にコインを入れ始める。
 ぷしゅ、とカルピスウォーターの缶の口を開けたティノが、口を開く。
「そういえば、さっきロマーノ君の様子、変でしたね」
 ん?と、アイスコーヒーのボタンを押しながらベールヴァルドがティノを見る。
「ロマーノ君、デンさんたちと旧校舎に入ったと思ったのに、なぜか外から現れるし。お兄さんがどうとか言ってたし。ロマーノ君、一人っ子ですよね?確か」
 カルピスを飲みながら、ティノが首をかしげる。しかし、ベールヴァルドはアイスコーヒーに口をつけながら、ざっくりと言った。
「あいつはいっつもあんなものだべ」
「え、そ、そうですかね?」
 ま、いいか、と思いながらティノはカルピスを飲んだ。

「じゃ、我らは帰るある」
「って、どこからー!?」
 じゃら、とどっからか出してきた縄梯子を窓から垂らした王が窓から外に出ながら、片手を上げる。
「何で普通に外出ねえんだよ?」
「わかってねーあるね。入口にはティノとベールヴァルドが張ってたある。あいつらにみられると計画がおじゃんある」
「あ、そう・・・」
「ばいばいなんだぜ!」
 王とヨンスが器用にするすると縄梯子を下りて、梯子を回収するのを見守っていたロマーノは、ふと気づいた。
「ていうか、あいつら帰ったら、オレ一人じゃねえか!!」
 ロマーノはそわそわとあたりを見回し。
 そして、気づいてしまった。
「ここって・・・」
 さあ、と青ざめる。
 3階の階段踊り場。
 左右には、なぜかここだけ両面の鏡。

 2.真夜中に三階踊り場の合わせ鏡に顔を映すと、8番目の顔だけが笑っている。

(ま、真夜中って。真夜中って、何時何分何十秒からだ、こらあ!!)
 ロマーノは慌てて時計を見る。22時過ぎ。夜・・・ではあるが・・・。
(ま、真夜中とは言わねえよな、うん、言わない言わない)
 そう言い聞かせながら、ロマーノが顔を上げる。
 そして。
 見まいとしていながらも、つい鏡を―覗き込んだ。
 1・・・2・・・3・・・。
 ほぼ無意識に重なり合ったいくつもの顔を数える。
 4・・・5・・・6・・・。
「は・・・ち?」
 見慣れたはずの自分の顔が。
「やっと見つけた、にいちゃ・・・!」
「うわあああああああああああっ!!!」
「うわあああああ!何ぃいいいいいいっ!!」
 恐慌状態に陥ったロマーノは、階段を猛スピードで駆け降りる途中、思いきり何かにぶつかったことに気づかなかった。そして、その何かが、その拍子に階段を踏み外し、盛大に階段を転がり落ちて頭を打ってのびたことも。
 その何か、は己のことをフェリシアーノと称していた。

「あれ!?あれ!??ちょ、なんでオレ一人なんだい!?」
 アルフレッドは階段の踊り場で、はっと気づく。確か、デンさんと一緒にトイレから逃げ出したはずなのだが…。
「き、菊~。ロマーノ~」
 怖い。怖すぎる。いくらヒーローだって、怖いものは怖いのだ。
「お、オレ、もう帰るんだぞ・・・」
 幸い鏡の怪には思い至らなかったものの、階段を下りはじめたアルフレッドはふと怪談にまつわる七不思議を思い出してしまう。

 5.夜中になると、一段増えている階段がある。

「か、階段の段数が増えてるなんて、ひ、非科学的、なんだぞ」
 階段の手すりにつかまりながら、そろりそろりと足を進める。一体下に降りるまでに何回階段をおりなくてはならないことか。
 絶望的な気分になって、アルフレッドが涙ぐんだ時だった。
 ぐにゃ。
 階段が、謎の感触になった。
「ひっ」
 アルフレッドが飛び上がる。
「ひああああああああっ!!!!増えたあああああああっ!!!!」
 アルフレッドは叫んで走り出す。
 そして、その声を聞きつけ、アルフレッドを探して走り回っていた菊は、はっとして階段の方へと向かう。
「あ、アルフレッドさん!?って、いうか・・・」
 菊は目を眇めて、階段の下に伸びている人影を見つける。
「あれは・・・ロマーノさん!!」
 菊は慌てて階段を下りると、ロマーノ―正確にはフェリシアーノ―を抱き起こした。
「ろ、ロマーノさん、しっかりしてください」
「う、うーん・・・」
 ロマーノに突き飛ばされ階段を転げ落ち、さらにアルフレッドにふんずけられたフェリシアーノはゆっくりと目を開けると。
「うわあああああああ!」
 突然目の前に現れた菊に恐怖の叫びをあげると、がばっと立ち上がった。
「お化けええええええっ!!!」
「ちょ!ロマーノさん、失礼な!!」
 そして、菊は、はっと気づく。さきほど、アルフレッドの叫びが遠ざかって行った方向と、今ロマーノが走って行った方向は逆。
 菊は数秒沈黙し。
「すいません、ロマーノさん!!」
 と、言いながら全力でアルフレッドの去って行った方向へと走り出した。

「あっれ、アルとはぐれちまったべ」
 デンはいつもの習性か、気がつくと体育館の方へと走ってきていた。
「あらら、体育館誰か鍵かけ忘れてるべ。今日最後に使ったのうちのはずだからな・・・部員に言っとかんとだべなあ」
 言いながら、デンは体育館を覗き込む。
 すると。
「あ、やっぱり。ボールも片づけ忘れてるべ。一年坊主どもだな。明日はお灸だっぺ」
 ぶつくさ言いながら、デンは靴を脱いでがらんとした体育館へ足を踏み入れる。
 少しひんやりした空気、汗と埃と木のまじりあった独特の匂いが鼻をつく。この匂いは嫌いじゃない。
 バスケットボールを手に取ったデンは、身体が疼くのを感じる。
「ま、ちょっとだけならな」
 ぽんぽん、とボールをつくと、ひょい、とバスケットゴールへとボールを投げた。

「うわああああん、もう嫌なんだぞ、もう嫌なんだぞ!!」
 階段から逃げ出したアルフレッドは息が切れた為、立ち止った。
 その時。
 ふと、耳に届いた音。

 ぽーん。

 へ、とアルフレッドが窓の外を見る。
 そこに見えるのは、旧校舎・新校舎両方から渡り廊下でつながっている体育館。
「ボールの・・・音?」
 アルフレッドの顔が再び青ざめる。

 6.誰もいないはずの体育館で、ボールをつく音がする。

 悲鳴を上げる気も失せたアルフレッドはふらふらと後ろに下がり、そしてわずかに開いていた扉を開けて中に飛び込んだ。
 扉の上に掲げられたプレートに書かれた文字は、保健室。
 アルフレッドは何も考えず、ベッドに飛び込むと頭から布団をひっかぶった。 

「うわああああああんっ!!」
 叫びながら、突風のように少年が旧校舎から飛び出して走っていく。
「今の・・・」
「ロマーノ君、ですよね!?」
 ティノとベールヴァルドは顔を見合わせる。
「な、何があったんでしょうね・・・?そういえば、さっきから僕、何度か悲鳴を聞いてるような・・・」
 聴こえないふりをしてたのだが。
「・・・やっぱ、行ってみんべえか」
 言いながら、ベールヴァルドは何か袋に包まれたものを担ぐ。
「え、スーさん、それ」
「ん?木刀」
「幽霊と木刀で戦う気ですか、スーさん!?」
 やめてくださいいい、とティノはベールヴァルドにすがりつく。その時、がた、とどこかから音がした気がして、ティノとベールヴァルドは二階を見上げる。
 そして、ティノは悲鳴をあげて飛び上がり、ベールヴァルドに抱きつく。
「ひやああああああっ」
 コの字に折れ曲がった二階の端の教室―あそこは確か理科室―で、ごと、と人体模型が身じろぎしたのだった。

 同じく二階の廊下で。
 人体模型の身じろぎを目撃してしまったもう一人の男―本田菊は思わず立ち止まる。
「は、はは・・・ははは・・・馬鹿な、ないない。ないですから、こんなの、嘘ですから」
 しかし、言葉とは裏腹にぷつぷつと肌が泡立っていく。
 そして。
「アルフレッドさあああああんっ!!」
 と、叫びながら本田は走り出した。

 そして、理科室では。
 んが、と一人の男が目を覚ます。
 いつの間にか寄り掛かっていたらしき人体模型が、窓に向かって倒れていた。
「あ・・・まずい・・・また、寝過した・・・」
 ヘラクレスは目をこすりながら、時計を見る。
 放課後に眠くなって、こっそりいつもの寝場所に来たのだが、つい寝過したらしい。
「帰・・・らなきゃ」
 よいしょ、と立ち上がってヘラクレスは人体模型を元に戻した。

 がたがたと布団の中で震えているうちに、少しだけ寝てたというか、気を失っていたらしい。
 アルフレッドは布団から、亀のようにひょこっと顔だけ出す。
 耳を澄ますが、何の音も聞こえない。
 窓の外は雲が覆っていて、月も星も見えない。
 ぐすん、とアルフレッドは布団を前にかきよせた。
 そして、ふと思い出す。
 こんな夜は、前にもあった。
 怖いテレビを見てしまって―我慢して寝たものの、怖い夢を見てしまって、夜中に飛び起きたのだ。
 しばらくこうやって、布団にくるまっていたのだが。
(そうだ、オレは我慢できなくて・・・)
 一人の部屋を出た。
 ―アル?どうした?
 扉を開けると、目をこすりながらアーサーが身体を起こした。
 ―あの、えっと、おれ・・・。
 怖くて寝れない、と言えなくてもじもじしていると。
 アーサーが、来いよ、と言った。

(ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、来るんじゃなかった、来るんじゃなかった、来るんじゃなかったあああああ!)
 ぜいぜい、と壁に手をついて息を整えていたロマーノは心の中で盛大に悪態をつく。
 夜の学校なんて、百鬼夜行じゃねえか。生きてる人間が来るところじゃねえんだよ!!
 喧嘩してるアントーニョと顔合わせたくなくてつい、まあ、いいかと思ってしまったのが敗因だった。
(アントーニョ・・・)
 昼間見た泣きそうな顔。
(本当はもう・・・)
 怒ってるわけじゃないんだけど。
 許すきっかけを失ってしまっただけだ。
「でもよ・・・ずるいだろ」
 ロマーノは壁に背中をつけて呟く。
「オレ・・・ファーストキスなんだぞ、ばか」
 目の上に手を載せる。
「責任取れよ」
 菊のように、そう呟く。そして、携帯を取り出した。
 ぱかっと開いて、アントーニョの番号を呼び出す。
 今すぐ来てくれ。
 そういえば、あいつは来るだろう。
 今日は残業があるとギルベルトと話していたから、まだネルフにいるかもしれないが。
 それでも、すぐに。
 しかし、ロマーノはぱたんと携帯を閉じた。
(こんなんだから・・・子供扱いされんだろ)
 ―ロマーノはガンバリ屋で男前で・・・ええ子やね。
「そこはええ子、じゃなくて、いい男、だろ。あほが」
 ロマーノは携帯をポケットに突っ込むと歩き出した。

 布団の中に潜り込むと、アーサーの手がアルフレッドを引き寄せた。
 アルフレッドの前髪にキスすると、アーサーは、どうした?ともう一度尋ねる。
 アルフレッドはぎゅっとアーサーのパジャマを握った。
「ねえ、アーサーは怖い夢、見ることある?」
 すると、アルフレッドの髪をなでていたアーサーが、ああ、と答える。
「よくある」
 アルフレッドは顔を上げる。碧色の目がアルフレッドを優しく見下ろしている。
「怖い夢を見た時は、どうするんだい?」
 アルフレッドは怖い気持ちで強張っていた身体が、少しずつほぐれていくのを感じながらそう訊いた。
 すると、そうだな、とアーサーが目を閉じる。
「お前の顔を、見に行くよ」
 アルフレッドは首をかしげる。
「オレの顔見ると、怖くなくなるのかい?」
 すると、くすっとアーサーが笑った。
 目を開く。
「いや、怖い。怖いのは、変わらねえ」
 アルフレッドが怪訝な顔をすると。アーサーはアルフレッドの額に自分の額をつける。
「怖いんだけどな、生きていけるって、思う。怖くても」
 おまえがいれば。
 アルフレッドはぎゅっとアーサーに抱きつく。
「よくわかんないよ」
「わからなくてもいいんだ、おまえは」
 顔を上げると、すっとアーサーの手がアルフレッドの髪を梳いて。
 おやすみ、と囁くと。
 アーサーのキスが降りてきたので。
 アルフレッドは目を閉じた。

 本田だ、と思った。
「あ、おい、待てよ」
 一瞬だけ廊下の奥に見えた影。
 ロマーノは友人の姿にほっとして追いかける。
 が。
(な、なんか、早ええ)
 ロマーノ声が届かないのか、気がつくと菊らしき人影は遠くの角を曲がっている。
「おい、本田ってば!待てよ!」
 人影は、外へと向かっていく。
 そうして、菊らしき人物を追って外に飛び出したロマーノを、二階の廊下から見下ろす人影。
「あれ?あれは、ロマーノさん・・・」
 そう言って、ガラスに手をついたのは、本田菊だった。

 アルフレッドはベッドから這いだし、保健室の窓に腰かけ、頬杖をついていた。
 月が壊れた次の夜。
 入院を余儀なくされたアルフレッドは、病室で浅い眠りについていた。
 そうして、うとうとしていたアルフレッドは気づいたのだ。
 誰かが、顔を覗き込んでいることを。
 こういうことは、前からよくあった。
 そして―それが誰か知っていたから、アルフレッドはよく寝たふりをしていた。
 この時も。
 ―・・・あの人は、皆と一緒にいるのが苦手だから。それでタイミングはずしていくと、いつもアルが寝てたらしくてさ。ほんと、不器用だよねえ。
 こうして、この人が自分を見下ろしている時。
 どんな表情をしているのか。
 確かめてみたことはないけれど、目を開けるのは―少しだけ、怖かった。
 そっと、手を伸ばす気配。
 頬に感じる冷たい手の感触。
 心の奥がざわつきだす。
 瞼の上に射す影。

 アルフレッドは、外を見ながら呟く。

「ホントに馬鹿だな、君は」

 オレが、気づいてなかったとでも思ってるのかい?

 アルフレッドは抱えた膝の上に頭を載せた。

「ほん・・・だ?」
 学生服を着た、その人影が。
 本田ではないと気が付いたのは、外に出た時だった。
 歩調を緩めたロマーノは、湧き上がってきた謎の悪寒に、地面に足を縫いとめられ。
 ソレが、振り向くのを吐き気を催しながらも、じっと見つめる羽目になる。
「あ・・・う」
 人間では、ない。
 直感が告げる。
 これは、ヒトではない。

 では、なんだ。

「う・・・あ」

 ソレが振り返るにつれ、ロマーノの目が零れそうなほど見開かれていく。

 振り返った、ソレの顔にあたる部分には。

 ―何も、なかった。

「あ・・・・ああ、ああああああああっ」

 ロマーノの絶叫が闇をつんざく。

 はっとして、学校にいる全員が顔を上げる。
 菊は、走り出し。
 理科室目指して廊下を歩いていたベールヴァルドとティノは、後ろを振り向く。
 そして、その理科室からはヘラクレスが飛び出し。
 デンは、ボールを放り出す。
 アルフレッドは、窓枠から飛び降りた。

 ロマーノは、見ていた。
 目をそらすこともできず。
 ソレが、手をゆっくりと持ち上げ、ロマーノの肩に置き。
 近づいてきた突起のないのっぺりした白い顔に、一筋の赤い線が生まれていくのを。
 そして、それは、ロマーノの顔に近づくと、かぱあ、と柘榴のように赤く裂けた。
 ―まるで、口のように。

(嫌だ)

 明滅する思考。

 ゴーゴンの視線に魅入られたように動けないでいるロマーノの指がぴくりと動いた。

 浮かぶ面影。

(こんな風に・・・こんな風に、喧嘩したままで)

 ―アントーニョ。

「嫌だあああああああっ」

「ロマーノ!!」
 再度の絶叫と同時に、滑り込む二つの影。
(え?)
 ロマーノは身体に何かが体当たりするのを感じる。そして、化け物の手が肩から千切れるように離れる。
「おまえっ」
「無事だっぺか?」
 一番校庭に近かった体育館から飛び出してきたデンが、体当たりして化け物から引き剥がしてくれたらしかった。
 そして。
 化け物がよろめく。
 その化け物の頭がぐにゃりと歪んでいた。粘土細工のように。
「スーさん!」
「来んでね!」
 化け物の前に、木刀を構えたベールヴァルドが立っている。どうやら、あの化け物の頭のゆがみは彼の一撃によるものらしい。
「ロマーノ!」
 校舎から走ってくるのは、アルフレッド。
 その後ろから、携帯をおろしながら菊が続く。
「今、ネルフ本部に連絡しました!迎えが来ます!ロマーノさん、これは使徒だ!!」
 へ、とロマーノが目を見開く。
 その時、地面がもこり、と盛り上がった。
 ぐら、と地震が起こり、全員がバランスを崩す。
「な、なんなんだい!?」
 アルフレッドが叫ぶ。あ、あれを、と菊が指さす。その指の先をたどっていくと、例の化け物の足もとの地面を割るように黒いタコの足のようなものが現れる。
「ひええっ」
「あれが・・・っ」
「本体だっぺか!」
 めこっと盛り上がった地面が裂け、巨大な丸いものが姿を現す。黒くぬめったそれは、一言でいえば。
「ナマズ・・・」
 思わずロマーノが呟いた通り、なまずによく似ていた。
 が、目に当たるところがどこかの部族の戦の儀式にでも使われるような幾何学的な赤い模様になっている。
 そして、人型の化け物はそのなまずの額から出た突起にくっついているのだ。その突起は、ひゅるひゅると掃除機のホースのように短くなっていく。どうやら、あの人型は収納可能らしい。
「間違いなく、使徒ですね」
「それなら、怖くないんだぞ!」
「いや、怖ええだろ、別の意味で!」
 突っ込みながら、ロマーノが立ち上がる。
 その時、ネルフのマークが入ったヘリが上空に現れた。
「さあ、行きましょう。アルフレッドさん、ロマーノさん。そして・・・先生、皆の避難をお願いします。すぐネルフのものが参りますので」
 菊が、振り返りながら言う。
 え、とロマーノとアルフレッドが振り返ると、ヘラクレスがうなずいていた。
「先生、いたのかよ・・・」
 ヘリの爆音が近付いてきていた。

「どうやら、あれは一種の擬態のようですね」
 トーリスが嫌悪感を隠さず、そう言った。
「イザリウオやアンコウの一部は背びれの一部がエスカって呼ばれる疑似餌になってて、他の魚をおびき寄せて捕食するらしいが、こいつはそれに似てるな」
 腕を組みながら、感心したようにギルベルトが言う。
「人間の疑似餌ってわけかい。悪趣味やな。使徒はどこに向かっとる?」
「体育館を破壊して、半地中に潜りながら街の方へ・・・おや?」
 エドが画面を見ながら、目を細める。
「一瞬頭を出しましたが、突然方向転換しました。何かを避けたような・・・」
「そいつが方向転換した時の映像を出してや!それから、一般人の避難が完了次第、第3新東京市を迎撃態勢に移行!」
 はい、とトーリスがカタカタとキーボードを叩く。
 エドが、画像再生しました!と声を上げる。
 アントーニョが身を乗り出した。スクリーンに、ナマズが地面からめこっと顔を出した時の映像が映る。そして。
「光・・・?」
 アントーニョが目を細める。
 なまずが嫌がるように身をよじった際、ちょうどトラックのライトが使徒の真正面に当たっていた。
「あいつ・・・強い光に弱いんやないか?だから、地中を移動するんや。そんで、夜に行動する・・・」
「悪くねえ推測だ」
 ギルベルトの感想を聞きながら、アントーニョが声を上げる。
「外に出とる部隊に伝達や!次にあいつが顔出した時、サーチライトを当てて反応を見る!準備せい!」
 了解、とトーリスが部隊への指示を、そしてエドが使徒の予想進路を部隊へと転送開始する。
 ライヴィスがふいに声を上げた。
「エヴァ全号機、パイロット搭乗完了!いつでも出せます!」
「わかった!使徒は!?」
「使徒、地上へ出ます!」
 エドが答える。
「今や!」
「サーチライト、ON!」
 アントーニョの声とトーリスの指示はほぼ同時。
 ネルフ地上部隊は、用意していたサーチライトを一斉につけた。
 そして。
 まばゆい光の中、なまずは苦しげに身をよじり、どうん、と迎撃態勢に移行中の都市の上でもんどり打った。
「おし!ビンゴや!これで作戦は決まったで!零号機と弐号機は、海へ向かえ。A5ポイント付近で待機や。んで、初号機は海岸を見渡せるB5ポイントでライフルを持って待機!」
「おい、何する気だ」
 腕組みを解いて、ギルベルトが友人の横顔を見る。
 アントーニョはにやりと笑ってみせた。
「なまずすくいや」
 あん?とギルベルトが眉をしかめる。
「エド!使徒を零号機と弐号機の待機してるA5ポイントへ追い込む。進路を予想して、画面に出すんや。トーリスは、地上の全部隊配置と、第3新東京市のサーチライトの場所を表示。あいつを追いこめるよう、配置を計算してくれや」
 はい、とエドとトーリスがそれぞれの仕事にとりかかる。
 アントーニョは続いて、地上へと送り出されたエヴァ全号機に呼びかける。
「ええか、菊、アルフレッドは海で追い込まれてきた使徒を、呼吸を合わせてATフィールドを使うて海上へ引っ張り上げるんや。そんで・・・」
『オレがそれを撃つ、だな』
 ロマーノの声に、アントーニョは一瞬口をつぐむ。
「あ、ああ・・・せや」
『了解。合図があるまで待機する』
 ぷつ、と通信が切れる。
「ATフィールドをすくい網の代わりに使うってか。いつもながら、お前の発想は・・・ん?」
 ギルベルトが感嘆の言葉を口にしようとし、アントーニョの方を見てぎょっとする。
「ふええ・・・ロマーノが口きいてくれよった・・・!」
「はいはい、よかったな」
 顔をくしゃくしゃにして下を向いたアントーニョの頭を、ギルベルトがポンポンと叩く。
「進路、計算完了!地上部隊の配置転換、開始します!」
「おっしゃ!頼むで!」
 ぐし、と鼻をこすりながら、アントーニョが顔を上げる。
 作戦が始まろうとしていた。

『なまずすくいですって。ホント、アントーニョさんは面白い人ですね』
『だね。じゃさ、菊。いっせーのせ、でいこう』
『了解しました。いっせーのせ、ですね』
「来たぜ」
 菊とアルの会話を聞いていたロマーノはライフルを構え直しながら、短く告げた。
 おそらく大量の光を顔を出すたびに浴びせかけられるからだろう、黒いナマズがたけり狂いながら地上の建物をなぎ倒しつつ、海へと向かってくる。
 アントーニョの思惑通りに。
『早いですね』
『行くぞ、菊!』
 二人の声に緊張が走る。
 ロマーノも、腕に力を込めた。
 使徒が盛大に水しぶきをあげながら、海の中へと滑り込む。

『いっせーの』

 二人の声が重なる。  

『せっ!!!!』

 声と同時に。
 海の中が光る。
 二人が海中にATフィールドを展開したのだ。
 そして。
 その光は次第に強くなり。

『大漁っ!!』

 アルフレッドの歓喜の声と共に、巨大ななまずは大量の水しぶきをまきちらしながら、月のない空へと光の網に掬い上げられた。

『今や!』

 アントーニョの声。
「わかってる!」
 ロマーノは標準が合わさるのを待って、引き金を引いた。既に何度も体験した発射の瞬間。ライフルの反動が腕に来る。
「行け!」
『浅えっ!』
 ロマーノの声にかぶさるように、ギルベルトの舌打ちするような声。
 空中でなまずは身をよじった。
 そのために、ライフルの閃光は使徒にあたりはしたものの―。
『アル!』
 アントーニョが怒鳴った時には、既に弐号機が動いていた。
『アルフレッドさん!』
 するどく響く菊の声。足もとがおぼつかない海の中での跳躍は難しい。アルフレッドは一瞬にして菊の意図を理解し、零号機の差し出した手の上に飛び上がる。そして、それを足がかりにして―飛んだ。
 はじけとんだ使徒の軟体部分が、剥き出しになった赤い核に向かって、再び集まろうとしていた。
『させないんだぞっ!!』
 アルフレッドの叫びと共に、弐号機の手が赤い核を確かに掴む。
『アルフレッド!!』
 ロマーノは思わず名を呼ぶ。なまずの軟体部分が核を中心に集約し、弐号機を核ごと包み込んだのだ。
『ア・・・ル』
 目の前に、一瞬にしてアルフレッドが負傷したあの光景が浮かび上がり、心臓がきゅっと縮こまる。
 しかし。
 核を中心としたボディの再構築は、その瞬間、ぴた、と動きを止めた。
 そして。
 次の瞬間、赤い液体が黒いゴムボールのようになっていた使徒の身体のあちこちから勢いよく噴き出した。
『アル!』
 アントーニョの喜びの声。
 ゴムボールは、空気を入れ過ぎたようにはじけ飛んだ。
「アル!」
 黒いゼリーのようなものをまとわりつかせた弐号機が、ゴムボールの中から現れ―そして、落下する。ロマーノの叫びに呼応するように、弐号機の落下する先に、ATフィールドが展開された。
 ―零号機だ。
 弐号機は、バウンドしてATフィールドの光の網の上に仰向けに着地を果たした。
『大丈夫ですか、アルフレッドさん!』
『はは・・・なまずと幽霊退治、完了、だな』
 ATフィールドの上で寝転びながら、アルフレッドは、あはは、と笑った。

 寄り道をしませんか。
 そう言ったのは、菊だった。
 
 夕日が海へと沈んで行き、世界を銅色に染めていく。

 使徒と学校の現れる幽霊はエヴァによって退治された。
 朝登校してきた生徒たちは、全壊した体育館とめこめこに盛り上がってしまった校庭にあんぐりを口を開けた。
 ―が、さすがにセカンドインパクトの後世代である。
 ひとしきり騒いだ後は、何事もなかったように日常が始まった。
 しばらく体育ができないくらいの認識である。半壊してしまった旧校舎を含め、政府から立て直しのための特別助成金が出ることが決まったため、校長などはこっそり快哉をあげたとの話だ。

 そうして放課後。
 今日は訓練はええで、とアントーニョが言った為、三人は半壊した旧校舎をこっそり見に行き、ドーナツショップでたまっていた課題を片付けてから帰途についたのだ。
 昼間の光にしらじらと照らし出された旧校舎は不気味でもなんでもなく、ただの古い校舎に過ぎなかった。
「昨日の騒ぎはなんだったんだって感じだよな~」
「幽霊の正体見たり、使徒でしたってとこですね」
「あー使徒でよかったんだぞ」
「よくねえよ。てか、なんでおまえ、使徒にはあんだけ強気なのに、幽霊には弱いんだよ。わけわかんねえよ」
「な、何言ってんだい!!使徒ならやっつけられるじゃないか!!戦えないものは怖いに決まってるだろ!!」
「まあ、一理ありますね」
 そんなことを話しながら、三人はそれぞれの体験を振り返る。階段下で菊が助け起こしたロマーノなど、なんだか色々つじつまが合わないところがあることが判明したが、怖いのでそれ以上は追及しないことにした。
 じゃあな、とロマーノと別れた後。
 菊が、寄り道をしていきませんか、と言ったのだ。

「使徒の体液でまた海が赤くなったような気がしますね」
「気のせいなんだぞ。海はでかいんだ」
 えい、と拾った小石を海に投げるアルフレッド。
 それを見ながら、そうですねえ、と石段に座った菊が微笑んだ。 
 
 アルフレッドは寄せる波をよけて、後ろへと下がる。
 そうして、また引く波を追いかけて数歩前に出た。
 それを繰り返す。
「なあ、菊」
 無心に子供の遊びを繰り返しながら、アルフレッドが口を開く。
 はい?と菊がアルフレッドを眺めながら答えると。
 アルフレッドは言った。
「大人たちは皆言うだろ。セカンドインパクトとその後の混乱は、まるで世界の終わりだったって」
 アルフレッドは波とのおいかけっこを続けながら、言葉を紡ぐ。
「でも、オレ達みたいにセカンドインパクトの年に生まれた子供とか、それ以降に生まれた子供にとってはさ」
 アルフレッドはどこか感情の薄い口調で続ける。
「これが、たった一つの世界なんだよな。海は赤くて、生き物なんかいなくってさ。あっちこっちぼろぼろで、でも」
 でも。
 アルフレッドは動きを止める。
「こうやってまだ日は昇って沈んで。俺達は生きてる」
 なあ、とアルフレッドは菊を振り返る。
「な、生きてる」
 そして、ありゃ、濡れちゃった、とスニーカーを持ち上げた。
 そうですねえ、と再び菊が呟いた。
「ロマーノさんやアントーニョさん、アーサーさんや・・・そして、アルフレッドさん」
 菊は頬杖をつく。
「皆さんがいるこの世界が・・・私の生きる世界で、私の還る場所、なんですよね、きっと」
 アルフレッドは菊を見た。海からの風が、アルフレッドの前髪を揺らす。
「今日、壊れた旧校舎を見ながら考えてたんですよ。私は死んだら、どこに行くのかなって。アルフレッドさんは、神の国を信じてますか?天国や地獄や・・・でも、私は多分どちらにも行かないと思うんです。もし、霊魂のようなものがあるなら、きっと私はずっとこの世界にいるんです。幽霊みたいになって、ずっと」
 アルフレッドは髪を押さえた。
「それさ、天国にも地獄にも、行きたくないって、ことかい?」
 虚を突かれたような顔をして、菊が顔を上げる。
「ああ・・・そうなのかもしれませんね。私はどこにも行きたくないんでしょう。私はね、今多分幸せなんですよ。自分でもびっくりするくらい幸福なんです。ロマーノさんがいて、アルフレッドさんがいる、この場所がいい。天国にだって、行きたくはないんです」
「なら、行かなきゃいいさ。ずっと一緒にいよう、菊」
 たとえ、終わりの先の世界でも。
 死の赤い海に浮かぶ、ぼろぼろの世界でも。
 使徒と戦いながら、かろうじて命をつなぐ世界でも。
 風をはらんだアルフレッドの白いシャツを眩しげに見つめて、ええ、と菊はうなずいた。そして、よっと立ち上がる。
「海は少し苦手です。見つめてると、どこかに流されていくような気がしませんか」
 ここにいたいのに。
 どこかへ。
 流されていってしまいそうな。
「そうかな、オレはそんなこと、全然思わないけど」
「アルフレッドさん、回遊魚って知ってます?」
「ん、聞いたことあるんだぞ」
「魚なんかが、成長段階などによって、住む場所をかえる行動を言いますね。鳥だと、渡りと言いますが。今はもういませんけど、くじらなんて数万キロも回遊してたらしいですよ」
 へえ、すごいね、とアルフレッドが相槌を打つが、菊が何を意図してこの話題をふったのか、測りかねているようだ。まあ、そうだろう。
 くす、と菊は笑って下を向いた。
「うらやましいなって思ったんです。だって、彼らには見えてるんでしょう。自分が向かうべき道が。帰るべき場所が。本能が知ってる。私たちはそれを失ってしまった。だから、きっと私たちはずっと迷子なんですよ」
 顔を上げると、いつの間にかアルフレッドが近くに歩いてきていた。
「道しるべがほしいのかい?」
 アルフレッドの青い瞳が、まっすぐに菊を見上げる。
 ええ、と囁くように菊は答えた。
「そうかもしれません」
 この心の奥にくすぶる不安。幸せであると感じれば感じるほど―どこかで生じる予感。
「ならさ、オレを目印にするといいよ」
 アルフレッドが腰に手をあてる。
 え?と菊が聞き返す。
「菊が迷ったら、オレがエヴァに乗ってランタンをふってあげるからさ。そしたら、灯台みたいに遠くからでもよく見えるだろ?」
 な、とアルフレッドが首をかしげて微笑む。
 菊は目を瞬いて―それから、笑った。
「そうですか。それは助かります」
 笑って、そして菊はアルフレッドを見下ろした。
「アルフレッドさん、アーサーさんが好きですか」
「は?」
 いきなりの質問に、アルフレッドが動揺する。
「え、なにを・・・」
「お嫌いですか」
「き、嫌いなわけないんだぞ!」
 夕日に照らされた顔をさらに赤くして、アルフレッドが言う。ふふ、と菊が微笑んだ。
「ええ、私もアーサーさんが好きです。ね、アルフレッドさん、お願いがあるんですけど」
 言いながら、石段を一つ降りて菊はアルフレッドに手を伸ばした。
「アルフレッドさんが私の道しるべになってくださるなら・・・印を、つけておいてもいいですか」
「印・・・?」
 反芻しながらも、アルフレッドはおとなしく近づいてくる菊に合わせて目を閉じた。
 ざざ・・・ん。
 満ちてきた潮のせいで、海岸線が近くなる。
 アルフレッドの足もとの砂を濡らした。
「マーキングされたんだね」
 目を開いて、アルフレッドが笑みを作る。
 ええ、と菊も微笑む。
「これで私は世界中どこからでも戻ってくることができます」
 この波が、どんなに遠くに私を押し流したとしても。
 必ず。
 貴方のもとへ。

 無残で美しい。

 私の生きる、この場所へ。

 ロマーノ、と声をかけられて。
 ロマーノは、ゆっくりと振り向く。
 所在なげにアントーニョが立ちつくしていた。
「あ、あのな、オレ、ごめん、な。ロマーノ、オレ・・・」
「わかもわかんねーのに、謝んじゃねえよ」
 ロマーノの言葉に、アントーニョはぐっと息を詰まらせる。
 確かに、なんでロマーノを怒らせたのか、まだわからない。一生懸命考えてみたけれど、どうしても思い出せなかった。
 けれど。
「ああ、わかっとらんよ。けどな、けど、オレ、嫌やねん。このまま、ロマーノを怒らせたままでいるの、オレ、嫌やねん」
 ロマーノはアントーニョをじっと見つめていたが、やがて息を吐いた。
「アントーニョ。目つぶって、ちょっとかがめ」
「ん?」
「いいから」
 ロマーノの言葉に従い、アントーニョはぎゅっと目を閉じた。
(殴るんやろか?)
 まあ、それで気が済むなら全然かまわないけれど・・・。
 そう、思った時だった。
 唇に、何かが触れる感触。
(え?)
 アントーニョは驚いて目を見開く。
 そして、少し怒ったような表情でアントーニョに口づけたロマーノの顔を至近距離で見つめた。
 やがて、ロマーノが顔を離し、目を開いてアントーニョを睨みつけた。
「これで、あいこだ」
「え?あい・・・?」
 アントーニョは目を瞬く。しかし、何の説明も与えず、ロマーノはぽかんとしているアントーニョを置いて、自分の部屋へと向かう。

 ファーストキスのやり直しだ。

(・・・認めてやるよ)
 ロマーノは、自分の部屋の電気をつける。
(超がつく鈍感な上に、変態な彼氏つき)
 ―とんでもなく分が悪いが。
 多分。

 これが、初恋ってやつなんだ。

「覚悟しやがれ」

 おまえが好きだよ。
 アントーニョ。


 
 ロマーノは、ベランダへと出て、うーんとのびをする。
 遠く、海から潮騒が聞こえた気がした。

                    





 次号へ続く

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