「それにしても、おまえは必ず帰るねえ」
 いつもの通り、玄関まで見送りつつそう言うと。
 靴を履いていたアントーニョが笑った。
「せやかて、ロマーノが待っとるもん」
 はいはい、ロマーノね、と言いながら頭の後ろで手を組む。
 足を靴の中にねじ込みながら。
 せやかて、とアントーニョはもう一度言う。
「オレは、ロマーノが一番大事やからな」
「さすがに、それは嫉妬するなあ」
 恋人の前で、他の人間が一番、というのはさすがにひどいと思う。
 はは、と笑って。
 三度目の、せやかて、を口にする。

「おまえは、オレが一番やなかったやん?」

 あんまりにも軽く言われたので。
 それが、ずっと待っていた糾弾だと気付いたのは、数秒たった後だった。
「ほな、また明日な」
 そう言って、振り返り扉のノブに手をかけたアントーニョの背中を。
 追いかけるようにして、捕まえる。
 背後から回された腕に閉じ込められて、アントーニョはノブから手を離す。
 背中にのしかかっている大きな甘ったれを、よしよしとするように前に回された腕をポンポンと叩いて。
 アントーニョは軽く目を閉じる。
 そして、四度目の。
「せやけどね、一番やのうても、おまえがオレを好きやったんは、知っとるよ」
(馬鹿だなあ)
 赤いジャケットの肩口に頭を押し付けて。
 フランシスは、心の中で呟く。
(自分を一番にしなかった男を許してみたり)
 突然出ていった人間を、笑顔で迎え入れて。
 そんなんだから―おまえの近くには集まってしまう。
 自分や、ロマーノみたいなのが。
 縋るものを持たない奴らが。
(しかも)
 ―知っとるよ、て。 
(わかってないし)
「あのさ」
「うん?」

 本当に大事なものを、一番に出来ない人間もいるんだよ。

「好きやった、ってさ。今も、なんだけど」
 文句を言ってみると、あーと腕の中で親友兼恋人が笑うのだ。
「せやったね」
 そう言って、笑って。
 首を捩じり、踊るような光を宿した深い碧の瞳がフランシスを見上げる。
 そうして。
 これは何度目のキスだろう、と思いながら。
 目を閉じた。

 砂のように指の間から落ちていく記憶の、泣きたくなるほど切ない―幸福のひとかけら。

                

「何のつもりだ?」
 いつもながら。
 司令室はどうして、こうも暗くしてるのか、と思う。
 ただ広いばかりの空間には、闇が満たされている。
 司令室の背後のいくつかの巨大スクリーンの光だけが、わずかな光源。
 もちろん、こう空間を満たすだけの照明は用意されている。
 だが、この部屋の主がそれを使っているのを見たことがない、というだけだ。
 アントーニョは、口を開いた。
「辞表や。使徒の侵入を許した。作戦部長として、責任とらなあかんやろ」
 机の上に放り出されたそれを見もせずに、アーサー・カークランドは立ち上がった。
「辞めることで責任をとれる、ってのは、おかしな考えだとは思わねえか?」
 言いながら、アーサーはスクリーンに向き直り、アントーニョに背を向けて背中で手を組んだ。
「自分の責任を放り出して、それが何で責任をとったことになる?オレはずっと不思議だったよ。政治家やなんかならともかく、最前線の司令官が戦線を放りだして、兵士たちはどうなる?この国にかつていた侍が責任をとるには腹を切ったそうだがな、それだってすべての戦いが済んでからの話だろ?ああ、まあ、能力がねえから頭を変えた方がいいって場合もあるがな」
 スクリーンには、まるで巨大な白い樹木のようなものが映っている。
 ターミナルドグマに配備されたカメラから流れてくる映像―使徒の接触を受け、成長したアダム。
 顔色一つ変えず、アーサー・カークランドはその異形の姿を碧の瞳に映す。
「選んだのは別の人間でも、引き受けたのはおまえだ。途中から投げ出すのは、許さねえ」
 それに、とアーサーは続けた。
「残念ながら、お前以外にあんな化けもん相手に戦略を練れる規格外の戦略家に当てがねえ。真っ当な人間同士の殺し合いなら、おまえみたいに突拍子なくて且つ情に脆すぎる人間なんざ、間違っても指揮官にはしないがな」
 アントーニョは複雑な顔で、そらどーも、と答えた。
「おまえがそないに褒めてくれると、あちこち痒いんやけど。・・・けどな、この事態はやっぱ誰かのせいにせな、あかんのと違うか?ネルフそのものは、なくすわけにはいかん。おまえがおらな、エヴァもネルフもない。せやったら、オレしかおらんやろ」
 生贄を差し出さなければ、ゼーレの老人たちが納得しないのではないだろうか。
「おまえの気にすることじゃねえ。おまえが考えなきゃならねえのは、このボロボロにされたネルフで後2体、どう使徒を防ぎきるかだ」
 後2体。
 言い切ったアーサーの言葉に、なぜかアントーニョは息を飲んだ。
 後少しなのだ、と思ってはいた。
 だが、どこかそれには実感が伴わなく。
 ずっとずっと、この戦いの日々が続く感じがしていた。
 だが、アーサーが後2体、と断言したことで、終わりがあるのだ、ということが生々しく実感としてわき上がる。
 アントーニョは手を握り締めた。
「後2体・・・本当に・・・そうなんやな。それで・・・終わるん、やな」
 もう、人類が使徒に怯える日々は終わる。
 この確認をぶつけられるのは、人類の中でただ一人、この男にだけだった。
 過去、アダムの研究中に起こった事故で、この男はたった一人生き残った、らしい。
 そこで見たビジョン―それは、後に未来の予言だったとわかる。
 その予言に基づいて、ネルフは設立され、エヴァは作られ、そして―使徒と血みどろの戦いを続けている。
 13体の使徒を倒し切る、その解放の日まで。
 アントーニョの視線を背に受け、アーサーは呟いた。
「ああ・・・あと、少しだ」
 あと、少しだ。

 その言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだ、とアントーニョは思った。

 何階層もの深さをもつネルフは、エレベーターのボタン数も高層ビル並みに多い。ただ、上ではなく下に伸びる数字だが。
 しかし、フランシスはそのいずれのボタンも押さず、ボタンの下のカバーを開く。中には、テンキーがあった。
 もしもの場合の電話連絡用のもの。
 だが、フランシスは手帳を開き、そこに書かれた数字を打ち込み始めた。

 アーサー・カークランドの真の目的を探れ。

 その指令は、容易いものではなかった。
 なにしろ、世界最高の頭脳を相手にしているのだから。
 そのため、フランシスは色々な角度からアプローチを繰り返す。
 その一つが、このネルフそのもの。
 ネルフの組織そのものもそうだが、アダムを幽閉したターミナルドグマを核として作り上げられたジオフロント、その上につくられた第3新東京市に至るまで、すべてはアーサー・カークランドの設計によりつくられた。
 つまり、この街はアーサー・カークランドそのもの。
 この巨大な空間の王は、あの男なのだ。
 ならば。
 この王国が、アーサーの目的の為に作られたものならば。
 真実は、そこにあるだろう。
 
 そして、フランシスがやったことは、このジオフロントの建築に関わったあらゆる技師を探し出すことだった。
 ジオフロントの設計図は、入手してある。
 最重要情報であり、それなりに苦労はしたが、それでも慣れた作業だ。
 情報の隠し方には、意外なほど独創性が現れないものなのだ。
 だが、フランシスのほしいものは、設計図そのものではない。
 その設計図にないもの。
 設計図に矛盾する情報だった。
(なんでもいい)
 アーサーの持つ真実に迫る幾筋もの道筋の一つ。
 過剰な期待をかけていたわけではなかった。
 何か手掛かりになれば、と思って始めた作業。
 だが。
 思いもかけない、鉱脈を掘り当てた。
 ちりぢりになった、しかも重い守秘義務を負わされた技師たちを見つけ出すのは、骨が折れる作業だった。
 中には、既に命を失くしていた者もいた。
 だが、パズルの断片のような情報を拾い集めていくうちに―気付いたのだ。
 数人の証言の食い違いを。
 図面の上に複数の人間の記憶を重ねていく。
 すると。
 
 テンキーに打ち込んでいく数字は、あのゲームから導き出したもの。
 あの部屋の升目は、9×9の81マス。
 10ごとにブロックにわければ、9ブロック出来あがる。
 正解に至るルートでたどった部屋を、それぞれのブロックの数字に当てはめる。
 そうやって算出した数字を打ち込んでいき、最後に通話ボタンを押した。
 その結果、電話はどこにもつながらず。
 ただ。

 スルスルと―静かにエレベーターは動きはじめた。

 存在しない階に向けて。

「いつまでそうやってるの」
 エヴァ格納庫。
 エヴァが沈められた巨大な水槽の周囲に何本も渡された足組み。
 エヴァ弐号機を真正面から眺められる場所で、アルフレッドは膝を抱え座り込んでいた。
 副司令官マシュー・ウィリアムズは外出から帰ったままの恰好で、従兄弟を見下ろしていた。
「こんなところにいたら、整備の邪魔だと思うよ」
 マシューの言葉に、アルフレッドは反応しなかった。
 ただ、じっとエヴァンゲリオン弐号機を見つめている。
「・・・アル」
「・・・マシュー。オレさ・・・エヴァの乗り方、忘れちゃったんだ」
 ため息をつくように従兄弟の名を呼ぶと、アルフレッドが顔をこちらに向けず、ぽつんとそう言った。
 忘れた。
 アルフレッドがエヴァに乗れなくなった。
 そのことは―聞いている。
「どうしてだろ?なんか、エヴァの乗り方だけ部分的記憶喪失になったみたいな・・・いや、違うな、元々知らなかったみたいな、そんな感じなんだ」
 堰を切ったように、アルフレッドの舌がなめらかに動きだす。
「動かせてた時にはさ、どうやって動かしてるんだろう、なんて考えてなかった。手を動かしたり足を動かしたりするのに、こう動かそう、とか、いちいち考えないだろう?機械を操作するのとは違うんだ。自分の身体の一部になる、そういう感じ。・・・なのにさ」
 アルフレッドの言葉が詰まった。
 アルフレッドはエヴァから自分の掌に視線を移す。
「何か一つボタンがかけ違ったんだ。そしたらもう―どんどんずれていく。焦れば焦るほど―どうにもなんなくなっていくんだよ」
 アルフレッドが顔を伏せる。ライトの光が眼鏡に反射する。
 アルフレッドの手が、すがるように手すりの格子を掴んだ。
 かすかに、震える手。
 ねえ、マシュー、と従兄弟は言う。

「オレ、ヒーローじゃ、なくなっちゃったよ」

 アル。
 その名すら呼べず。
 マシューは、世界の終わりのその先で。
 生きるよすがとしてきた、もう一人の自分を見つめていた。

 自分の身の振り方は、どうやら決まった。
 アントーニョは、自分の辞表を切りだす時より30倍ほどの精神力を使って。
 その名を口にした。

「アーサー・・・。アル・・・アルフレッドのことやけど」

 その名を出しても、アーサーはこちらを向かなかった。
「・・・聞こうか、作戦部長」
 アントーニョは、息を吸い込んだ。言わなくては、ならない。
「オレは作戦部長として―弐号機のパイロットの変更を上申する。あいつの精神状態では、エヴァを安定して操ることは出来ん。本人の安全のためにも、アルフレッドは、はずすべきや」
 その言葉を味わうように聞いて、アーサーは軽く目を閉じた。
「・・・オレに否はない。すみやかにマルドゥック機関に新しいパイロットを要請しろ。2〜3日のうちに用意されるはずだ。それまでは、零号機と初号機で使徒に対処する」
 アントーニョは、鉛を飲みこんだような気持で、了解、と答えた。
 自分はヒーローなのだ、とそう言ってエヴァに乗るあの少年が。
 どれだけの努力をしてきたか、知っている。
 世界を守る、そのことをどんなにか真剣に願い、誇りとしてきたか、知っている。
 そして。
 目の前にいる、この男に。
 それをどれだけ認めてほしがっていたか。
 そのこともまた、知っている―。
「アーサー・・・」
 ためらった末に、アントーニョは口を開いた。
「オレは・・・アルに何があったか、知らん。ただ、菊が家を出た、とだけ聞いた。ただな、ただ・・・アルが精神のバランスを崩してエヴァに乗れなくなったんは・・・やっぱり、おまえが関わっとると思うんや」
 エヴァに乗る。
 その動機の根幹に関わっているのは、この男であり。
 だからこそ、その関係性はダイレクトにエヴァのシンクロ率に影響してくる。
 そういうことなのだ、多分。
「・・・オレに、どうしろと?」
 青白い光が、アーサーの輪郭を染める。
 アントーニョは口をつぐむ。
「オレが原因だから、なんとかしてアルの精神を安定させてエヴァに乗せろってか?」
 皮肉げな口調で言われた台詞に、思わず、違う!と声を荒げる。
「ちゃうわ、んなこと、ゆーとらん。そりゃ、アルがおらんのは、使徒と戦うには大きな痛手や。でも、そうやない。本当なら…菊やロマーノかて、エヴァに乗せたくなんかない。ほんま、オレが乗れるもんなら、オレが乗って戦いたいていつも思うとる。せやからな、それはええねん。ええねんけど、オレは、あいつが苦しんどるのが、我慢ならないんや」
 アントーニョは、拳を握りしめる。
「オレはな、あいつらが可愛くてしゃーないねん。笑っててほしいんよ。あいつらが使徒なんかと戦わなくて済むような世界をつくる為に、オレはあいつらを戦場に送りだす。矛盾してることは百も承知や。けど、それしかない。それしかないから、やってきた。んでな、アルは本当に・・・本当によおやってくれたんや」
 使徒に突っ込んで行け、と非情な命令を出す。ロマーノなら、たじろぐ。怯える。だが、アルフレッドは突っ込んでいく。怯えていないわけじゃない。その怯えをねじ伏せて―自分はヒーローなのだと言い聞かせて。
 そうやって、あいつは戦ってきた。
「そのあいつがな、あんな惨めな顔しとんのが、耐えられんのや。・・・なんとかできるとしたら、おまえしかおらんやろ。せやから」
 せやから。
(アルを、救ってやってくれ―)
 弐号機をとりあげる自分にできるのは、こんなことしかない、というのが、たまらなく情けないが。
 この男にとっても、あの子の幸福こそが一番大事なものだろう。
「オレが・・・」
 アーサーが、呟いた。
「何か言ってどうにかなるくらいなら・・・あいつは始めからエヴァには乗ってないだろう」
 その言葉に、くそ、とアントーニョは吐き捨てる。
「なんで・・・そないになるねん。あいつは、おまえが好きなんやで。そんで、おまえも、あいつが一番大事なんやろう?何を犠牲にしても、守りたいんやろう?好きな奴がそばにおって、好きやて伝える言葉も、抱きしめてやる身体もあって、なんでそないになるんや」   
 アントーニョが吐き出した言葉を聞きながら、アーサーがやっと振り返った。
 そうして、珍しく。
 真正面から、アントーニョの顔を見た。
 アントーニョも、旧友の顔を見つめ返す。
 そこには、いつも淡い霧のように彼を覆っている何かに向けた敵意や警戒や、かすかな苛立ちや。
 そういう虚飾が一切はぎとられているように見えた。
 ただ、ひどく透明なまなざしで―アントーニョを見つめている。
「アーサー・・・」
 アントーニョが思わず呟く。
 アーサーが口を開こうとした時だった。

 ピピピ、という電子音が虚空に響く。

 アーサーが、はっとして腕時計に目をやる。
 そして、目を細めた。

 顔を上げたアーサーはいつもの彼に戻っていた。

「用事が入った。悪いが、今日はここまでだ。パイロットの申請と養成計画の作成を早急に頼む」

 そういうと。
 立ちつくしているアントーニョの隣を、するりとすり抜けていった。
 
 残されたアントーニョは、ほとんど無意識に。
「どあほ」
 と、呟いていた。

 なんだ、これは。
 存在しないはずの場所の。
 存在しないはずの―。

 生命。

 フランシスは、暗黒に立ちつくしていた。
 その目の前に広がる深い深い闇に―目眩を起こしそうだった。
「アーサー・・・」
 思わず、呻く。
 その時だった。

「呼んだか」

 その声に。
 空気が凍りついた。

 学校の屋上で。
 ウォークマンで世界の音を防ぎながら。
 ロマーノは、足を投げ出して夕暮れて行く空を見ていた。
 街は視界に入れたくなかった。
 見たくないもの、全部見えなくなればいいのに、と本当にそうなったら困るくせに、そう思った。
 
 作戦は、失敗した。
 いや、完全な失敗ではない。
 ロマーノのバズーカは、確かに使徒を消滅させた。同時に、ジオフロントに張り巡らされていた糸も。
 だが、それは、一瞬遅かったのだ。
 ほんの一瞬だけ。
 糸は、地下のアダムに届いてしまった。
 その直後に起こったマグニチュード9程度の地震。
 それは、アダムの身じろぎだった。
 アダムは、千切れた下半身から無数の根を伸ばし、地下水のたまった貯水池の底を突き破った。その振動で地震が起こったのだ。
 さすがに、使徒用迎撃都市として作られた第3新東京市は地震程度ではほとんどびくともしなかった。
 プレートがひずんで起きた地震ではなく、震源地も海ではなかった為、津波の被害もない。
 だが、それでも、ヒビが入った場所もあれば、倒れた木もあったりする。
 そうした一つ一つが、ロマーノ達の失敗の証だった。
(もし) 
 ついついロマーノは考えてしまう。
(もっと早く撃っていたら)
 この事態は避けられただろう。
 だが、その選択は。
 
 アルフレッドを見捨てることと―同義だ。

 アントーニョも当然考えただろう。だが、あいつは全人類の為にそのギリギリの決断を下せなかった。
 それは、多分にアルフレッドへの情ゆえ、だろうが。しかし、あそこにいたのがアントーニョでなかったとしても、やはり適切に判断を下すのは難しかっただろう。
 二度とは作れない(と、ギルベルトが言っていた)エヴァンゲリオンをむざむざ一体もしくは助けに行った零号機を含めて二体を失うことは、今後の戦いを考えればありえない。
 しかし・・・今回はあの程度で済んだが、もう少し遅かったら、本当にサードインパクトが起こってしまっていたのではないだろうか。
 そうなっていたら、エヴァ全号機とでも引き換えにできる被害ではなかったはずだ。
 だが。
(撃てっかよ・・・)
 もし、アントーニョが撃て、と言っていたとして。
 自分は引き金を引けただろうか。
 アルと―アルを助けに入っていた菊と。
 二人が中にいるとわかっていて。
 サードインパクトを避ける為に。
 自分は引き金を引けただろうか―。

 よくわからないが、サードインパクトがおきれば、セカンドインパクトの被害を考えれば日本は吹っ飛ぶだろう。
 そうなれば、菊もアルも、当然自分も生きてはいないだろう。
 それでも―。
 そのほうがまだましかもしれない、とも思ってしまう。
 一瞬で死ねるなら。
 友人を殺した、という罪悪感を持って生き続けるよりは。
 しかし、それができなければ。
 エヴァに乗って戦う資格など―そもそも、ない。

「ちくしょう・・・」

 ロマーノは、瞼の上に手を乗せた。

 もう、空すらも見ていたくなかった。

 その空間には。
 狂気があった。
 
 暗い部屋。
 その部屋は、水槽に囲まれていた。
 まるで、水族館のようだ、とフランシスは思った。
 だが、その水槽の中で泳いでいるものは、色とりどりの熱帯魚でも、するどい歯をもったサメでもなく。
 ただ、虚ろな目でこちらを見ている。

 無数の。

 本田菊。

 その、器。

        

「アーサー・・・これは、なんだ」
 言いながら、フランシスは振り返った。
 そして、アーサー・カークランドの手に握られた拳銃の存在を確認する。
「真実だよ。ほしがってただろ?・・・命を引き換えにしてでも」
 銃口が、まっすぐにフランシスを捉えている。
「やっぱり、あのUSB、罠か」
「ああ、当然だろ。おまえが気付きそうな場所にちりばめておいた。一番単純なところで拾ってくれたがな」
 フランシスは無数のうつろな視線に気分が悪くなりそうになりながら、壁を背にしてアーサーに向き合う。
「・・・そんな回りくどいことせずに、最初から教えてくれりゃよかったんじゃないか?」
「おまえにはともかく、ゼーレのじじい共に教えるわけにはいかなかったからな。だが、ただお前を野放しにしておくのも危険だった。どうせ見張るなら、こちらの手の上で動いてくれた方がやりやすい」
 は、とアーサーは笑った。
「簡単なゲーム、簡単な暗号、簡単なプロテクト、おまえはやっぱりスパイには向いてねえよ」
「ご招待だって、気付いてなかったわけじゃないよ。けど・・・ま、この国のことわざで虎穴にいらずんば虎児を得ずって言うじゃない?」
 フランシスは、旧友であった男を睨みつける。
「あのさ、オレもこれでも本気の本気だったんだよ。別にゼーレのじいさんたちの為じゃない。オレの為に。オレは知りたかったんだ」
「真実を、か」
 皮肉げに呟いたアーサーの言葉に、ああ、そうだ、とフランシスはうなずいた。
「14年前―何があったのか、なんで人類の半分が突然死ななきゃならなかったのか、なんで世界はぶっ壊されなきゃならなかったのか。なんで使徒なんてもんが、降ってくるのか。なんでオレ達は―殺されなきゃいけないのか」
 アーサーは目を細めた。
「自分が何のために生きて、何のために死ぬのか、そんなことを教えてもらえる人間はいない。おまえのそれは不遜な望みてやつだ」
 はは、とフランシスは笑った。
「ああ、そうだな。その通り。だけどさ・・・怖いんだ。怖くてしょうがないんだよ。怖いものから目をそらすと、もっと怖い。目を凝らしてそれがなんなのか突き止めないことには、オレは生きていくのが怖くてしょうがない。それは、おまえも同じなんだろ」
 アーサーは沈黙で返す。
「おまえは、どうやらオレよりはこのバカげた世界について、知ってるらしい。で、知った結果が、これか。オレには、狂気の沙汰にしか見えないが、これもまた、おまえの恐怖が生み出したものなんだろう?」
 くす、とアーサーが笑いを漏らした。
「ああ、そうだ。これは、オレの恐怖そのもの。おまえ、言ってることが矛盾してるの、わかってるか?オレがおまえのほしい真実を知ってるとして、だがそのことでオレは恐怖からは逃れられてない。いや、もっと深い恐怖に囚われただけだ。恐怖の正体を知ることで、恐怖から逃れることなんてできない。それなのに、おまえはそれを知りたいと思うのか」
 アーサーは、銃を構え直す。
「待ってやったんだぜ。適当にゼーレのじじい共に対する餌を流しながら・・・おまえは、どうやらじじい共に餌を流しはしなかった。もし、おまえがそのまま沈黙するなら、オレは何もする気はなかった。おまえが・・・ここにたどり着きさえしなければ」
 フランシスは、ズボンのポケットに片手を突っ込み、そして、もう片方の手を水槽にあてた。
「くそったれみたいな真実でもな・・・」
 菊の黒いまっすぐな髪が、水の中で揺れている。
 最初の衝撃を通り越すと、それは恐怖というより深い悲しみを引き起こした。
 哀れだと思った。
 この部屋も、この人形たちも、アーサーも、自分も、そして、人類も。
「オレは、その為に何もかも捨ててきたんだよ」
 自分にとっての、一番すら。

 そうか、とアーサーは呟いた。

「なら、くれてやるよ、真実を」

 闇は、さらに深さを増して行く。
 

 次号へ続く

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