ネルフ本部。
 暗い司令室で。
 アーサーがいつも通り両手を組み、手元のモニターをやや見下ろす形で低く呟いた。
 モニターの青白い光だけが、二人をぼんやりと闇の中に浮かび上がらせる。
「いよいよ明日か…」
 ええ、と答えるのは、常に傍ら一歩引いたところに立っている副司令、マシュー・ウィリアムズ。
「準備は万全だろうな?」
 アーサーの問いかけに、マシューがゆっくりとうなずく。
「もちろんです」
 マシューの言葉に、アーサーはふっと笑みを漏らす。
 そして。

「楽しみだ…」

 夜は、更けていく。

「おはよーさん!」
「おはよう・・・」
 味噌汁のぐつぐついう音と、とんとんというリズミカルな包丁の音。
 正しい朝の日本のお母さん姿のアントーニョの後ろを通り過ぎ、まだ半分寝ているロマーノがバスルームへと向かう。
 ざばっと冷たい水で顔を洗い、ようやく頭が覚醒してくる。
 朝は昔から苦手だ。
 そして、歯ブラシを手に取ると、にょろっと歯磨き粉をのせる。
 しゃかしゃかと歯を磨きだした時。
 つ、と足に当たるもの。
「ん?」
 ロマーノが足もとを見下ろすと。
「ああ・・・ええと、おまえ、5番か?9番か?まあ、なんでもいいや、おはよう」
 ロマーノの足をつついたもの。
 それは、亀、であった。
 アントーニョの飼亀である。
 しゃかしゃかと歯磨きを続けるロマーノの足もとでもう一匹亀が寄ってきて、二匹ですりすりしている。挨拶だろうか。
(ったくよ〜亀飼ってる奴なんて、初めて見たぜ)
 ロマーノは、一週間前この家でアントーニョと暮らすことになった日のことを思い出す。

「だああああああああ!なんか!なんかいる!なんかいるぞ、アントーニョ!」
 バスルームから飛び出してきたロマーノのほうへ、ソファの上でぐでっとしていたアントーニョが顔を向ける。
「なんやて?」
 血相変えたロマーノの脇から、のそのそと這い出てくるものを見つけ、ああ、とアントーニョが笑顔になる。
「亀やで」
「かめぇ?」
 アントーニョの口にした単語を、ひっくり返りそうな声でロマーノが繰り返す。
「かめってなんだよ!」
「亀は亀や。『うさぎとかめ』って話知らん?あの亀」
 うさぎとかめ。
「おお・・・そんな話、昔施設で聞いたような…」
 しかし、納得しかけたロマーノがはっと我に還る。
「いや待て!亀ってバスルームにいるもんか!?違うだろ、なんか、違うだろ!?」
 あわあわするロマーノの横から、亀はのそのそとアントーニョのいるソファへと向かっていく。
「いつもは普通に部屋におるよ。今日はお客さんがようけ来るから、バスルームに避難しててもろてん。踏まれると大変やからな」
 言いながら、アントーニョが寝そべったまま手を伸ばして亀を持ち上げた。
 亀はわきわきと手足を動かしている。
 ロマーノはようやく少し落ち着いて、アントーニョの手の中の亀を観察した。
 緑褐色の体。
 甲羅。
 短い手足。
 豚みたいな鼻。
 なるほど、確かに図鑑やテレビで見た亀とはこんな形をしていた。
 ああ、そういえば、とアントーニョが亀の甲羅の向こうから顔を出す。
「ロマーノは11番目の同居人やから」
「10匹もいるのかよ!?」
 ロマーノの叫びと共に、バスルームからだばーと亀が押し寄せてくる。啼くわけないのだが、かめーかめーという大合唱が脳内に響き渡る。
「わー!」
「何、怖がってんねん。おとなしいで、こいつら」
 アントーニョはごろんとソファの上で仰向けにひっくり返る。そして、頭上に亀を持ち上げた。
「これなあ、アカデミー時代の友達にもろてん。海洋学やってる奴でな。今は、日本海洋研究所におるわ」
「じゃあ、こいつら、そこで・・・」
 そうやあ、とアントーニョが答える。
「こいつらな、前は海にいたんやで。真っ赤になる前の海や。ロマーノが生まれたんは、14年前やからなあ。ちょうどセカンドインパクトの年やね。オレはその時11やったからな。かろうじて覚えてるんや」
 アントーニョは目を閉じる。失われたものへと想いを馳せて。
「青い空に青い海。磯にも海ん中にも、いーっぱい生き物がおってな。にぎやかやったんやで。こいつらより全然おっきい亀もいた。浦島太郎が竜宮城につれてってもろたみたいな、大きな亀も」
 アントーニョが目を開く。
 蛍光灯の光が目を焼く。
「みーんな、いなくなってしもうたなあ」
 ため息をつくように。
 ロマーノはアントーニョのいつにないしんみりとした口調に口をつぐむ。
 いなくなってしまったのは、海からだけではない。地上からも、気候変動からたくさんの生き物が姿を消し、またあるいは消しつつある。
 人類も。
 いつ、その仲間に加わってもおかしくはない。
 ロマーノの知らない青い海。
 その記憶を、こいつらはその身に大事に持っているのだろうか。
「寂しいやねえ」
 そう言うと。
 アントーニョは、ちゅっと亀の鼻先にキスをした。
 そして、アントーニョはソファの上で寝そべったまま、頭をそらしてこちらを見る。
「ところでロマーノ、ずっとマッパでつったっとるけど、風呂入らんの?」
 え?とロマーノは目を見開くと。
「うわああああっ」
 と叫んで、ばたんとバスルームの扉を閉めた。

 もわもわと湯気で満たされた明るい白いタイルのバスルームの中で。
 湯船につかりながら、ロマーノは頭の上に乗っかった亀を見上げる。
「おまえ、熱くねえの?」
 しかし、亀はもぞ、と動いただけだった。
 海洋研究所で孵化した、絶滅したはずの生き物。
 もしかしたら、最後の10匹?
(んなわけねえか、こいつらみたいに水族館とかで生き残ったやつらもいるよな・・・)
 ぶくぶく、と口元まで湯船に沈む。
 ただ、セカンドインパクトのごたごたの中、かなりの施設が打ち捨てられた。
 政府関連の施設以外、ほとんど残っていないかもしれない。
 人間が生きるのに精いっぱいで、他の生き物のことなど食糧として以外は心配する暇はなかったのだ。
「おまえらも、おんなじ犠牲者なのにな・・・」
 ロマーノは目を閉じる。
 どんな風だったのだろう。
 青い海が一瞬にして赤に染まる。
 11歳のあいつは、どんな風にそれを見ていたのだろう。
 世界の終わりを。
(寂しいやんなあ・・・)
(ええやん。オレ、一人で寂しいし)
 ふいにアントーニョの言葉が思い出されてくる。
 寂しい、と。
 口に出せる奴は、強い。
 そう、ロマーノは思う。
 本当に寂しい奴は、そのことを認めたくない。
 認めてしまえば、本当にどうしようもなくなるからだ。
(寂しいのは)
 あいつじゃなくて。
 亀が、ぽふ、と足でロマーノの頭を叩く。
 ロマーノは、亀と手にもつとしげしげと見つめた。口をパカパカしている。何か食べたいのかもしれない。亀が何を食べるのか知らないけれど。
「オレもおまえらと同じように、寂しく見えたのかな」
 ロマーノはちょっと口元をゆるめると。
 よろしくな、と呟いた。

「ほい、味噌汁」
 アントーニョがテーブルに着いたロマーノの前に湯気の立つお椀を置く。
 すっかり朝食の準備が整っていた。
「いただきまーす」
「いただきます」
 きちんと挨拶して、朝食が始まる。最初、何も言わずに食べ始めたらアントーニョにえらい怒られた。命に失礼やろ、とのことだ。
「ロマーノ、ちょっと本部に顔出してくるけど、すぐに行くからなw」
 にこにこしながら、アントーニョが言いながら卵焼きに箸を伸ばす。げ、とロマーノがたくわんを噛んだ。
「いいって言ってるだろ。日曜だからってネルフは休みじゃねえだろうか。年中無休で警戒態勢なんだろうがよ」
「ええわけないやろ!仕事なんかくそくらえや!今日は使徒もお休みやって言うてたで!」
「おまえはいつから、使徒と友達になったんだ」
 半眼でつっこむが、アントーニョはもちろん意に介さない。
「お弁当も気合入れて4時に起きて作ったからな!アルと菊の分もあるから、安心しとき!」
「おまっ、4時ってどんだけ・・・」
 あったりまえやろ!とアントーニョが拳を握る。

「なんたって今日は、運動会なんやからな!」

 まるで自分が出場するかのような張り切り具合のアントーニョを見つめ、ロマーノはなんとなく、はあ、と息をついた。

 ―というわけで、本日はロマーノ達の通う中学校の運動会なのだった。

「車で中学まで送ったるのに〜」
 スポーツカーで駐車場から出てきたアントーニョが、自転車に跨ったロマーノに声をかける。
 あー?とロマーノが振り返る。
「いいよ。真っ赤なスポーツカーでがっこに乗りつけるなんて、カッコ悪いマネできるか」
「かっこええやん」
「見解の相違だな。早く行けよ」
「おう!じゃ、頑張るんやで!」
 アントーニョはウィンクすると同時に、エンジンをふかした。
 赤いスポーツカーが道路に出て反対側へと走り去っていくのを見送り、ロマーノは自転車のペダルを押し下げる。
 空は快晴。
 今日も太陽が明るく輝いていた。
 運動会日和である。

「やあ、ロマーノ!」
「おはようございます、ロマーノさん」
 海の見える道路を学校に向かって走っていると、後ろからアルと菊が追い付いてきた。
「おう、おはよう」
 アルはいつも白いシャツをズボンに入れず着崩し、逆に菊はいつもきっちりとボタンも第二ボタンまでとめている。 
「さあ、急ぐぞ!二人とも!」
 いつになく急かすアルの後ろで、ロマーノと菊が並ぶ。
「はしゃいでんな〜」
「ええ、昨日はなかなか寝付けなかったらしくて。朝も飛び起きてましたね」
 くす、と菊が笑う。
「まあ、運動会の為にいるような奴だからな、あいつは」
 ロマーノが苦笑する。抜群の運動神経を誇るアルにとって、まさに運動会は独壇場。ヒーロー様様だ。
 きゃっほーい、と叫びながら、アルが学校までの最後の下り坂を両足をあげて一気に滑り降りる。
 坂の下の学校では、ぱん、ぱん、と花火が打ち上げられていた。

「おはよーさん。三人ともはよ着替えてや、そろそろ集合やで?」
 鉢巻を巻きながら、すれ違いざまに体育祭実行委員会のベルが言い捨てる。 
「ほーい」
 アルが答え、三人がロッカールームに向かうと、中には数人の生徒が着替えていた。
「あーなんか、風邪ひいた気がするある。だりぃある。やっぱ帰るよろし」
 ずず、と鼻水をすすったのは、中国人の王。
 ロッカーを開けながら、アルが声をかける。
「せっかく来たのに帰るなんてもったいないじゃないか!風邪なら、ビタミンCをいっぱいとるといいぞ!」
 その隣で、菊も口を開く。
「まあ、無理はなさらない方がいいですが・・・風邪にはネギとか生姜とかいいですよ。後、たまご酒とか」
「兄貴!」
 菊の台詞の最後にかぶるように、ロッカールームに声が響く。
「あん?」
 元気過ぎるほど元気なその声に、四人が振り向くと。 
「兄貴が風邪引いたっていってたんで、ひとっ走りして用意してきたんだぜ!さあ、兄貴!」
 嵐のように現れた韓国人の李・ヨンスがそう言うと、胡乱な顔をした王の口に魔法瓶の口をあてがった。
「まっ」
「さあ、ぐっと飲み干すんだぜ、兄貴!」
 ぐび、と魔法瓶の中身を嚥下した王は、次の瞬間。
「×○▽▲∴γ★!!!!!」
 首まで真っ赤になって、ぐはっと口から液体を吐き出した。
「か、か、か、か・・・っ!」
「なんすか、兄貴!オレ特製の唐辛子入り焼酎なんだぜ!これで風邪なんて一発で吹き飛ぶんだぜ!!」
 唐辛子。
 黙って成行きを見ていた三人が青ざめる。
「辛ぇー!!!!!何するあるか、このボケがああああっ!」
「元気になったじゃないすかー!」
 口から火を噴きながらヨンスを追って飛び出していった王をぽかんと見つめ。
「まあ・・・走り回れるほど元気になったのは確かですね…」
「あれで嫌がらせのつもりじゃねえのがすごいよな、あいつ・・・」
「さあ、準備できたぞ!さっさと二人とも着替えるんだぞ!」
 ツッコミ二人をせかし、アルフレッドは外へ飛び出した。

「あ、それダウト」
「ええ〜やっと上がれると思ったのに〜」
「ダウトって、なかなかあがるの難しいよね」
 がらんとしたネルフ本部で。
 オペレーター三人がトランプを広げていた。
 そこに。
「しかし、いいのかねえ、いきなり、今日は休み、とかって言っちゃって」
 エドアルドがぽん、と手札を場に出す。
「いいんじゃないの。中学校なんて、すぐ近くだしさ。こないだみたいなことにはならないよ」
「でも、ホント僕ら以外皆いないですね・・・はは・・・」
 ライヴィスがそう言った時だった。
「あの〜・・・」
 ん?と三人が振り返る。
 本部の入り口に見慣れない人物が困惑したような顔で立っている。
「えと・・・ここ、ネルフ総本部の司令室、だよな?」
 その言葉に、三人は顔を見合わせた。

「つーわけで、スポーツマンシップに乗っ取り、全力で戦うことを誓うっぺ!」
 壇上の少年が台の上に足を載せる。そして、マイクをマイク台からはずすとライブよろしく拳を突き上げる。
「準備はええかー!」
 おーと拳を突き上げるノリのいい生徒たち。
「体育祭、開幕!!」
 少年の宣誓と共に、ぱぱん、と花火が上がった。
 雛壇から降りながら、少年はアルに目を止め、ふっと不敵な笑みを浮かべる。
「とうとう勝負をつける時がきたようだべな、アル」
「ふふん、負けないぞ」
 バチバチ、と火花が散る。
 その後ろでロマーノが屈伸をしながら呟いた。
「よく運動会ごときであんなに盛り上がれるよな、あいつら」
 膝を伸ばしながら、菊が答える。
「まあ、デンさんもアルフレッドさんと同じで体育の為に学校に来ているような人ですからねえ」
「・・・あいつって、本名なんだっけ」
「デンさんはデンさんです。追及しちゃいけません」
「・・・あ、そう」
 よーし、ガキども、集まれ!と担任から集合がかかる。ロマーノと菊が立ちあがった。
「いいか、おまえら。今日はどんな手段を使ってでも勝つぜ!紅組の野郎どもに後れをとんなよ!」
「・・・アル以上に盛り上がってる奴がいたか・・・」
 ごごごごご・・・と音が聞こえてきそうなほど滾っているのは、担任のサディク。トルコ人らしい。謎の仮面がトレードマークだ。
「てか、どこの世界に仮面かぶったまま授業する教師がいんだよ。おおらかすぎだろ、この学校」
「校長がなんでも有りな人ですからね」
 その校長はといえば、教師用のテントの中で「え?運動会って、酒池肉林とかやらないの?」ととんちんかんなことを言って、副校長の冷たい視線を受けている。
「紅組・・・負けない・・・」
 燃え上がるサディクの近くを生徒を連れた紅組代表の教師が通る。彼の名前は、ヘラクレス・カルプシ。その名の通り、ギリシャ神話に出てきそうな立派なガタイの持ち主だ。普段はぼんやりと起きてるんだか寝てるんだかよくわからない人だが、なぜだかサディクと張り合うことに関してはやたらと情熱を燃やす。
「は!半分寝てるような奴に率いられたチームが勝てるわけねえだろ!戦いは司令官の力量にかかってんだよ!」
「変な仮面かぶってる奴に言われたくない…」
 なんだとぉ!そこになおれ、このやろう!と戦闘モードに突入しようとしたサディクを他の先生が慌てて押さえる。
「司令官って、あの人戦争でも始める気かよ。なんでオレ達の周りには、こう大人げない大人しかいないんだろうな・・・」
「同感です」
 ―第一種目、玉入れ。出場者の皆さんは、出場口にお集まりください。
「お」
「出番ですね。いってらっしゃい」
 菊が微笑む。競技は選択制で一人5種目。誰がどの種目に出るか、チームで戦略を練る。アルフレッドのようなエースの使いどころが、勝敗を決すると言っていい。それ以外の人気種目は相談して決めるか、抽選になる。
「だりぃけどな。適当にやってくる」
「またまた、そんなことを。ロマーノさんは、そう言いながら案外頑張ってしまう人ですからね。それに運動神経いいじゃないですか。80メートル走のタイムも5番内でしたし」
 菊の言葉に、はっとロマーノが笑う。
「3番で選手のお前が言うと、いやみにしか聞こえねーぜ。ま、補欠のオレは出番はねえよ」
 ひらひらと手を振ってロマーノが出場口に向かおうとした時だった。
「ロマーノ!ファイトやでー!!!」
 耳に飛び込んできた大声。
「いっ」
 恐る恐る振り向くと、閲覧席でなんか真っ赤な旗を振り回す男。
 アントーニョである。
 しかも、旗にはロマーノ頑張れとでかでかと書いてあり、周りで奥様方がくすくすと笑っていた。
「うわあああああ!何やってんだ、おまええええっ」
 ぼん、と赤面したロマーノが闘牛よろしく赤い旗につっこむ。
「うおっ、徹夜で作った旗に何すんねん!」
「何すんねんじゃねえ!あほか!恥ずかしいだろ!」
「けけ、いいじゃねえか」
 横から聴こえた声に、え?とロマーノが横を向くと。
 黄色い鳥が目に飛び込んできた。
「ぎ、ギルベルト!あんた、なんでここにいんだよ!」
「暇だからよ」
 言いながら、ぱりぱりとポテチを口に運んでいる。
「しかも、なんで白衣なんだよ・・・」
「トレードマークだからな」
「いや、おかしいだろ。脱げよ?」
「ロマーノ、出番だし〜」
「あ、おう」
 いいか、旗はやめろ、旗は!と説教して、ロマーノはフェリクスと共に出場口に向かう。
「お兄さんなん?似てなくね?」
 フェリクスが振り向いて、しゅんとしてるアントーニョを見る。
「兄貴とかじゃねえよ。単なる仕事の上司、で、同居人」
 ふうん、とフェリクスが興味があるんだかないんだかよくわからない調子でうなずく。
「じゃ、ネルフの人?」
「まあな」
「強いん?」
「や、別にそういうわけじゃ・・・一応あいつ、作戦部長だし」
 フェリクスは斜め上の空を見上げる。
「作戦部長かあ・・・じゃあ、オレの提案、言ってみよっかな」
「提案?」
 ロマーノが眉をひそめる。ふふ、とフェリクスが指を立てる。
「エヴァってなんか、グロいってゆー感じじゃん?可愛さが欠けてると思わん?あれ、ピンクに塗るといいと思うんよね〜」
「え?」
 目を点にするロマーノの前で、フェリクスは、ねーねーいーと思わん?と目を輝かせる。
「や、え、それは・・・」
「提案してくるし」
 くるっときびすを返しそうになったフェリクスを、がっと肩をつかんでロマーノが引きとめる。
「や!言っとく、オレが言っとくから!」
「マジで〜?」
(万一アントーニョが賛同したりしたら、えらいことになるじゃねーか)
 きゃっきゃっとピンクのよさを語るフェリクスの隣でロマーノが冷や汗をふく。 
 ちなみに、既に「ロマーノ」は定着済みである。
 転校初日、ロマーノが緊張しながら皆の前で名乗ろうとした時だ。
 アルフレッドが勢いよく立ち上がり、「よろしくなんだぞ、ロマーノ!」と言った瞬間、即座にネルフ本部初日と同じ光景が繰り広げられてしまった。
 よろしく、ロマーノ!の大合唱の中、へぽんとしたロマーノの横で、サディクが「ロマーノ、出席、と」と呟くのを聞いて、ロマーノはもう何もかも諦めた。
 
 第一種目目、玉入れは紅組の勝利に終わった。

「お疲れ様です」
 菊が近づいてくる。
「負けちまったけどな・・・アルは?」
「ああ、あちらですよ」
 微笑んだ菊が、指し示す先であんぱんを咥えたアルフレッドが、圧倒的速さでテープを切っていた。
 わああ、と歓声が上がる中、アンパンを咥えたままのアルフレッドが拳を空に掲げる。
「まさにヒーローだな」
「それがアルフレッドさんですよ」
 そうだな、とロマーノはふっと笑いながら肩をすくめた。

 それから運動会は滞りなく進み、たまたま三人の出場のない時間があった。
「ほい、アル、お茶」
「ありがとなんだぞ」
 アルフレッドがアントーニョから水筒から注いだお茶を受け取る。
「ギルベルトも来てたんだな」
 お茶を口に運びながら、相変わらず白衣のギルベルトを見る。
「まあ、オレはガキの運動会なんざ、興味ないけどな」
「おまえ、ホントに何しに来たんだよ」
 半眼になるロマーノ。
「運動会、楽しいやんなあ。あーオレも、もいっぺん出たいわ〜」
 うずうずしているらしいアントーニョが体を揺する。
 そういえば全然関係ないのですが、と正座でお茶をすすっていた菊が口を開く。
「なんか、変質者がいるらしいです」
 は?と全員が菊のほうを見る。
「変質者?」
 ええ、と菊が、ありがとうございます、とアントーニョに紙コップを渡す。
「さきほど小耳に挟んだんですが、あちらこちらで不審者が生徒に声をかけまくってるらしいですよ」
「まあ、運動会ともなりゃ、いろんな奴が入ってくるからなあ」
 あぐらをかいたギルベルトの膝の上に黄色い小鳥が飛び降りる。
 その横でなにやらぷるぷるしていたアントーニョがいきなりがばっと立ち上がった。
 そして、菊とロマーノ(間にアルフレッド)の肩をつかむ。
「気ぃつけるんやで!おまえら三人、めっちゃ可愛えんやから!」
 はあ?と菊とロマーノが顔をひきつらせた。
 そんなことは気にせず、アントーニョがぐっと拳を握る。
「そんな危ない輩は野放しにしておけん!おい、ギル!捕まえにいくで!」
 がし、とギルの白衣の襟首をつかむ。
 はああ?と白眼をむくロマーノ。
「何言っちゃってんの、おまえ」
「安心せいや、ロマーノ!オレがおまえらの安全は確保したるからな!大船にのった気で運動会頑張るんやで!」
 GO!とギルを引きずったまま、アントーニョが走り出す。ギルはといえば、慣れているのか何なのかお茶を飲んだまま引きずられていく。
 残された三人は、しばし無言でいたが。
「・・・行っちゃいましたね」
「あれ、絶対ただ見てるのがつまんなくなっただけだよな・・・」
「さて!お茶も飲んだし、次行くんだぞ!」
 アルフレッドが立ち上がる。それを見上げた二人は、そうですね、そうだな、と立ち上がり、どうしようもない大人たちのことはしばし忘れることにした。

(証言1:ポニーに乗った少年)
「あー確かに変な奴に声かけられたし〜。でも、ポニーの後ろにいたもんだから、振り向いたら蹴っ飛ばしてて〜その後知らんし。え?騎馬戦って、ポニー使わんの?」

(証言2:背の高い少年と丸っこい少年の二人連れ)
「え?ええ、かけられましたよ。なんか愛がどうのとか言ってたんですけど、スーさんが睨んだら逃げてきました。それが何か?」

(証言3:リボンをつけた少女)
「え、はい。知らない男の人に声、かけられましたけど、お兄様が・・・」
「貴様ら、リヒテンに何をするつもりだ―!」(ダショーン)「こら、バッシュ!スタート合図用のピストル、人間に向けちゃだめだっつってんだろ!」

「・・・え、えらい目に遭うたな。なんやねん、あの危険な子は」
 はあはあ、と銃撃から逃れたアントーニョが息をつく。
「おい、アントーニョ、飯はまだか」
「ええい!オレは負けへんで!行くで、ギル!」
「いや、だから、飯は…」
 うおおお、と走り出すアントーニョ。

 そして、アントーニョが走り出したその数分後。
 同じ場所に、一人の男がきょろきょろしながら登場する。
「ったく、こう人が多くちゃ、見つけられるものも見つけらんねえよな。まさか、運動会とはね・・・。ついつい可愛い子にちょっかいかけたくなっちまうし・・・。あーもう」
 ぶつぶつ言いながら歩いていた男は、ふと足を止める。
 視線の先には、背の高い金髪の少年とやや小柄な黒髪の少年の二人連れ。
「お、おおお。またこれ、可愛い子たちがいるじゃないww次はあの子たちに聞いてみよ」
 おーい、と男は走り出した。

 おーい、という声に、アルフレッドと菊が振り返る。
 すると、アルフレッドの右肩と菊の左肩に手が載せられる。
「やあ、君たち?ちょーっと聞きたいんだけどさ。ここにア・・・」
「ち、ちょっと待ってください、貴方、もしかして・・・」
「変態さんかい?」
 え、とアルフレッドの超ストレートな質問に、男は顔をひきつらせる。が、すぐに立ち直ってノンノンと首を振る。肩までかかる長い髪がさらりと左右に揺れた。
「変態とかじゃないから。お兄さんは愛の伝道師だからね。いや〜それにしても、この学校可愛い子多いけど、また君らはピカイチだね。ついつい」
 こういうことしたくなっちゃう、と肩にかけていた手を、下に持っていき。
 尻の上でさわっと動かした。
「うわっ」
「ひっ」
 二人が声を上げた時だった。
「シュ―ゥゥゥゥゥトッ!」
 何かが物陰から弾丸のように飛び出し、二人の間を裂くようにして男を勢いよく顎から蹴りあげた。
「ッア―――――」
 ぽーんとすっとんでいく不審者。放物線を描いてどこかに落ちていく男を見つめ、それからアルフレッドと菊はゆっくり振り返る。
 口を開いたのは、アルフレッドだった。
「・・・で、君は何やってるんだい、アーサー」
 ぱんぱん、とズボンの埃を払ったアーサーがあさっての方向を向く。
「いや、来るべきワールドカップに向けて練習をな」
「ビデオカメラ持ってかい?」
「や、これは自分のフォームをチェックするために・・・」
 じり、と近づいたアルフレッドが、ばっとアーサーに飛びつく。
「何撮ってたか、見せるんだぞ!」
「うわ、アル!待て!話せば、わかる!うぉっ!」
 ビデオカメラを奪ったアルフレッドが、ビデオを再生する。
「問答無用!うわ、てか、これ、どこ撮ってるんだい!この変態!(※何が映っていたかは、ご想像にお任せします)」
 君の方がよっぽど変態じゃないか!と言いながら、アルフレッドは、えい、と消去ボタンを押す。
 あああああ、と蒼くなるアーサーの背中を見つめ、菊は、はあ、とため息をついた。
 そこへ。
「変態って、おまえやってんな、アーサー・・・」
 ギルを引っ張ってきたアントーニョが指を鳴らしながら現れる。
「え、いや、え?」
 アーサーが顔をこわばらせる。
「アルに対する過保護、度を超えとるとは思うとったけど、やっぱりそういう性癖の持ち主やってんな。全国の可愛い子供たちの為に、オレが今ここで矯正したるわ」
 凶悪なオーラをまとわせて近づいてくるアントーニョの言葉に、ああん?とアーサーが顔をしかめる。
 カチン、とどこかよくないところへスイッチが入った。
「誰に口聞いてんだ?この腐れトマト」
「変態まゆげにや。覚悟しいや」
「来いよ、返り打ちにしてやんぜ!」
 GO!とアントーニョが走り出す。あわわ、と菊がうろたえる。アントーニョの攻撃に備え、アーサーが構えをとった時。
 アントーニョの顔に、過去の映像が重なる。憎まれ口をきくまだ十代のアントーニョの隣にいた奴・・・。
(あれ・・・?)
 もしかして、さっきのって。
 記憶の糸が繋がった瞬間。
 しゅっとアントーニョの拳が眼前に迫る。
 はっとして後ろにわずかにさがり、それをかわす。
「は、そんなん当たらねー」
 よ、と言いかけた時だった。がん、と後頭部に衝撃。一瞬目の前が暗くなり、アーサーはその場にばったり倒れた。
「あ、わりぃわりぃ。でも兄ちゃん、いきなり下がってくんなよな」
 障害物競争に使う平均台を担いだサディクが、謝った。頭上に星を飛ばしたアーサーを見て、アルフレッドが冷たく「天罰だよ」と呟き、菊が「ア―サーさあああん!」と言いつつ、あわわ、と駆け寄った。
 そして、何やってんだ?と競技を終えたロマーノが人混みをかきわけて近寄って来―伸びたアーサーに躓いて盛大にこけたのだった。

 

       

「どうやった?オレが4時から作った力作やってんけどw」
「あ―食った食った。おまえ、ホント料理はうまいよな〜」
「料理だけやないから。文武両道やから。親分やから」
「まあ、確かに料理だけはまあまあだな」
「料理オンチのおまえにだけは、まあまあとか言われたないわ。てか、なんでおるねん、おまえ」
「アーサーさん、もう大丈夫なんですか?」
「あんなん、なんでもねーよ」
 昼食の時間となり、一同はシートに座り、アントーニョの作ってきた重箱をつついていた。 
 一通り食べ終わり、満足そうな顔が並ぶ。
 が、アルフレッドが騒ぎだした。
「アイスが食べたいんだぞ!」
「アイス・・・ですか。さすがにそれは・・・」
 菊が顔をしかめる。ロマーノが半眼になる。
「この暑さだぞ、クーラーボックスがあってもきついだろ」
「せや。我儘言うんやないで、アル」
 アントーニョがたしなめる。
 わあん、とアルフレッドが駄々をこねる。
「アイスーアイス―アイスがないと、午後のリレー頑張れないんだぞー!」
 すると、アルフレッドの隣に座っていたアーサーが、ち、しゃあねえな、と頭をかく。
 そして。
「ほらよ」
 と、懐からアイスを取り出した。
 ぎょっとする一同。が、アルフレッドは、何の疑問も持たず、わあい、とそれを受け取る。
「気がきくじゃないか、アーサー!」
「べ、別におまえのためとかじゃねーからな。たまたま上着のポケットにアイスが入ってただけだからな。あ、チョコとストロベリーもあるけど、どうだ?」
「わあい!食べるんだぞーw」
 二人のやり取りを見つめていた一同が、ますます青ざめる。
「なんでそんなんが上着に入ってるんや!お前のポケットは四次元ポケットかあああっ!」
「つか、無意味なテンプレツンデレうぜーんだけど!」
「いくつ出てくるんですか、そのポケット!!」
「おい、オレにもくれ」
 わやわやとやっているうちに、休憩時間が終わりを告げた。
 じゃあ、行ってくるんだぞ!とアルフレッドが立ち上がる。負けんじゃねーぞ、とアルフレッドを見上げるアーサーに、アルフレッドはにっと笑ってみせる。
「誰に言ってんだい?」
 ふん、と満足そうにアーサーが微笑む。そして、菊に、お前も頑張れよ、と声をかけると、菊は微笑んで軽く頭を下げた。
 その後ろでは、アントーニョがロマーノの肩を掴んで、頑張りや!と送り出す。
 つまようじで歯に詰まった食べ物をとりながら、ギルベルトが呟く。
「親馬鹿しかいねーんだけど、ここ・・・」
 ぴい、と小鳥が啼いた。
 そして、三人を見送った後、重箱を片づけ始めるアントーニョの横顔を見ながら、アーサーがふと口を開く。
「おい」
「なんや?」
 何かを忘れているような、それを思い出せそうな出せなそうな変な感じがしていた。
 アントーニョと殴り合う直前、何かを思い出さなかったか?
「フ…」
「ふ?」
 アントーニョがアーサーの顔を見る。
「なんやねんな」
「フラ・・・」
「ふら?なんや、ふらふらすんのかいな」
 いや、そうじゃなくて。
 フラ…。
「フラダンス」
「・・・踊れっちゅーんやないやろうな?」
 一瞬の沈黙の後、半眼になるアントーニョ。
 あーとアーサーが固い髪に手を突っ込んでかきまわす。
「なんか、忘れてる気がすんだよ。頭うったせいかな、さっぱり思い出せねえ」
 ここまで出かかってんだけどな、と首をひねる。
「思い出せないなら、たいしたことないやろ。それより、次の種目、始まんで」
「おおっ!」
 そのまま、アーサーはすっかりそのことは忘却の彼方においやったのだった。

「次のリレーで最後ですね。今のところ、白組と紅組は同点。ここで決まりますよ」
 得点表を見上げながら、菊が言う。
「ヒーローの活躍しどころだな、って、アル?」
 ロマーノが振り返ると。
 アルフレッドがうずくまっていた。
「ど、どうしたんだよ、おまえ!」
「アルフレッドさん!?」
 ロマーノと菊が慌ててアルフレッドに近寄ると。
 涙目のアルフレッドが二人を見上げた。
「お・・・お腹、痛いんだぞ・・・」
 え、と二人は目を見開き。
 そして、ええええええ、と大声を上げた。
 
 最後の種目が始まろうとしていた。

「アルううううううっ!」
「ううう、くたばれ、アーサー・・・」
「いや、どう考えても調子に乗ってアイス8個も食べたおまえが悪いと思うぞ、アル」
 担架に乗って運ばれつつアーサーに悪態をつくアルフレッドに、ギルベルトが冷静に突っ込む。
「てか、どうすんだよ!アルが走れないって!」
「ええと・・・この場合、補欠の選手が繰り上げですね」
 え、とロマーノが目を見開く。
 補欠って。
「お、オレじゃねえかあああああ!」
「そうなりますね」
 頑張ってください、と菊は無情にポンとロマーノの肩を叩く。
「や!ちょっと待て!アルって、アンカーだろ!?オレ、やだよ!できねえよ!おまえが走れよ!」
 それがですね、とルールブックを取り出してパラパラめくる菊。
「ルール上、それは認められていません。欠員が出た場合、欠員者のラインを補欠が補充することだけが認められています。走行順は変更不可」
 があああん、とロマーノは白くなる。
 ただ走るだけなら、ともかく。
「こ、これで勝敗決まっちまうんだぞ!負けたりしたら、サディクに殺されるぞ、おい!」
「さすがに教師ですから、そんなことはしませんよ。ま、一か月は機嫌悪くてその筋の人みたいになると思いますけど」
「さりげなく脅すよな、おまえはよおおお!」
 涙目になったロマーノに、菊はなだめるように微笑みかける。
「大丈夫ですよ。ロマーノさんは土壇場に強い人ですから。エヴァに乗った時もそうだったじゃありませんか。信頼してますよ」
 三日ほど前に眼帯のとれた菊の黒い双眸が、ロマーノをとらえている。
 ぐっと弱音を呑みこんだロマーノは、くるっと踵を返す。
「・・・緊張したら、トイレ行きたくなった」
「はい。ただ、もうそろそろ集合ですから、お早く」
 ロマーノはぐるぐるする頭と心を抱えてトイレへと向かう。
 どきどきして冷や汗が流れていた。
(ちくしょー。オレ、ほんとだめなんだよ、こういうの。大体、いつも大事な時に失敗すんだ・・・)
 お遊戯会で台詞を忘れて舞台の真中で立ちつくしたり。
 卒業式で他の奴が呼ばれたのに、間違って一緒に返事して赤っ恥かいたり。
「あーやだやだ、逃げてえ・・・」
「何から逃げるん?」
 ふいに声をかけられて、ぎょっとして立ち止まる。
「アントーニョ・・・」
「そろそろ最後のリレーやないんか?見ぃひんの?」
 どうやらアントーニョもトイレに行ってきた帰りらしい。アルフレッドが倒れたことを知らないのだ。
「・・・アルが、馬鹿指令のアイスのおかげで腹痛になりやがった。・・・で、補欠のオレがアンカーをやらなきゃなんねんだよ。でも・・・オレにあいつの代わりなんて出来ねえ。大体オレ、順位五番目なんだぜ?紅組は一番早い奴がアンカーやるはずだ。オレで抜かれて負けたりしたら…」
 目の前が暗くなる。じんわりと嫌な汗が沸いてきた。いつもなら気にならない蝉の声がやけに大きく聞こえる。
 アントーニョは目を瞬く。
 俯いたロマーノをしばし見つめていたが。
 やがて、ロマーノ、と名を呼んだ。
 ロマーノが顔を上げると。
 その額に自分の額をピタリとつけた。
「え?」
 アントーニョは目を閉じている。アントーニョの両手がロマーノの腕をつかんでいた。
 風が吹いて、さらさらと木々を揺らす。
 次第にロマーノの鼓動がさきほどの不安の鼓動とは異なるリズムを刻みだす。
「アン・・・」
 アントーニョがぱかっと目を開けた。
 そして、額を離すとロマーノににこっと微笑みかける。
「うまくいくおまじないや。これで大丈夫やで」
 アントーニョがぽん、とロマーノの両腕を叩く。
「ゴールの先で、見てるからな」
 そういうと、さっさと歩きだした。
 背を向けたアントーニョの後ろで。
 立ちつくしたロマーノは額を押さえて、ぼん、と赤くなった。

 4番目の出場者控え場所につく。
 すると、紅組のアンカーが声をかけた。
「なんだ?アルは逃げたっぺか?」
 デンさん、と菊が呼んでいた奴だ。
「アルが逃げるわけねーだろ。ちょっと野暮用でな」
 ほお?と紅組のエースが目を眇める。
「で、おめえが代りをやるんけ?転校生」
「補欠だからな」
 ま、えがっぺ、とデンさんは腕を軽く組む。
「誰が来ようと紅組の勝利は変わらねーからな!オレには、仲間からの熱い応援があっしな!」
 そう言いながら、デンさんが振り向くと。
「スーさん、頑張ってくださいね!」
「ん」
「何見てんの?」
「そのテンションがうっとおし」
「な!オレの人気っぷり、わかったけ?」
 自信満々で振り向きつつ、己の胸を親指で指し示すデンに、ロマーノは思わず半眼になる。
「耳鼻科と眼科とついでに精神科に行けよ」
 言った時、二番目の走者がバトンを受け取る。ほぼ同時だ。
 行けー!と横でデンが拳を振り上げる。
 菊とスーさんことベールヴァルドが三番目の走者のスタートラインにつく。
 祈るような気持ちで、ロマーノは菊を見つめた。
 菊が差を広げてくれれば、少しは楽になる。
 第2走者もほぼ差がつくことなく、わずかに早くベールヴァルドがバトンを受け取った。無言で走り出す。
(うお、はええっ)
 図体がでかいわりに、やたらと速い。
 だが、菊もさすがに速い。忍者のように素早く走りこみ、コーナーを使ってベールヴァルドを抜いた。
「やった!菊、すげえ」
「第4走者、並んでや〜」
 ベルが声を上げる。う、とボディーブローを食らったような顔でロマーノがスタートラインに立つ。よっしゃあ、と腕をまわしてデンが横に並んだ。
 直線コースに入り、抜かれた差をベールヴァルドが縮めてくる。
「早く!菊!」
 じりじりとリードしながら、菊が走ってくるのを見つめる。太陽が熱い。喉が渇く。からからに乾いた大地、土埃。
 アンカー。
 オレが、最後の走者。
 バトンが、手渡された。
 対戦相手より、ほんの少し早く。
 感じる、確かな手ごたえ。
 その重み。

「頼みましたよ」 

 菊の声を聞きながら。
 ロマーノは弾かれるように走り出した。
 前へ。
 ただ、前へ。

 だが。

 うおおおおおお、という雄叫びと共に。
(げっ)
 振り向くことはできない。
 が、わかる。
 確実に。
 あいつが追い上げてきている。猛スピードで。
 さすがに、アルと張り合おうというだけのことはある。
(こいつ、本物だ…!)
 必死で足を動かす。
 だが、いつしか地面はふわふわと。
 まるでスポンジの上を走っているようなもどかしさ。
 絡まる足。
 悪夢の中のように。
 遅く感じる。
(くそ、くそ・・・っ!)
 コーナー。
 必死で走りこむ。
 が。
「オレが一番だっぺ!」
 その声をと共に。
 横を抜ける影。
(抜かれた!)
 紅組の応援が盛り上がる。
 目の前が暗くなる。
 いつしか、追う背中。
(ちくしょう・・・) 
 ちくしょう。やっぱりなのか。やっぱり、だめなのか。オレじゃ、だめなのか。
 オレに、アルの代わりなんて…。
 その時だった。
「ロマーノ!」
 たくさんの声の中から。
 届く声。
 
 アントーニョ。

「あきらめんな!おまえなら、やれんで!」
 さっき言った通り、ゴールの先で。
 手をメガホンのようにして、叫ぶ。
 ―ゴールの先で、見てるからな。
 だけど。
 だけど、オレ。
 だけど、オレ、やっぱり。

 だめだよ。

「ちくしょー。まあた、えらい目に遭ったぞ。これ以上炎天下で伸びてたら、ミイラになるとこだった・・・しっかし、あいつ、どっかで見たような気がすんだよなあ・・・あれ?なんだ?盛り上がってんな、そろそろクライマックスか?」
 顎をさすりながら、さきほどの男が人混みの中を歩く。
 そして。
 はっとして顔を上げる。
(あれは・・・)
「みっけw」
 昔よくやったように驚かしてやろう。
 くひひ、と笑って男は足音を忍ばせて歩き出した。
 そして、見慣れたブルネットの後ろ姿に近づき。
 おい、アントーニョ、と呼びかける。
 ん?と振り返りかけたアントーニョの肩に手をかけると。
 その唇に。
 すばやく己のそれを重ねた。

「また大富豪は僕だね、ふふ」
「江戸は大貧民強すぎだね」
「僕、ずっと大貧民なんですけど・・・」
 トーリスは時計を見る。
「そろそろ運動会もおしまいだから、みんな帰ってくるかな」
「ロマーノ君たち、優勝してるといいですね」
「うん、それから、あの人、アントーニョさんたちに会えたかな」
 エドの言葉に、トーリスが、ああ、と答える。
「フランシスさんね。今日付けでフランス支部から本部に異動になったってのに、誰もいないんじゃねえ。パイロット三人の運動会の応援で皆いませんよって言ったら、なんだそりゃ、って呆れて、じゃあ、探しに行くって出てっちゃったけど・・・」
「会えてるといいですねえ・・・」
 そうだね、と言いながら。
 じゃ、次、ババ抜きやる?とトーリスがカードを集めながら言った。

* 

 だめだよ。

 そう思いながら、前を見る。

 そして。

 絶句した。

「うわあああああああっ!!」

 その瞬間。
 絶叫しながら、ロマーノはそれまでとは比べ物にならないスピードで走り出した。
「なななな、なんだっぺ!?」
 突然雄牛のように突進してきたロマーノを、慌ててデンが避ける。
 て、テープテープ、とベルとセーシェルが用意したテープを、おおおお、と走り続けるロマーノがぶち切る。
 そして。
「へ?」
 アントーニョから顔を離した男が、顔をひきつらせる。
(え、もしかして)
「また、この展開いぃぃぃぃー!?」
「死にやがれ、このやろー!!!!」
 ロマーノの膝蹴りが、男の顔にクリーンヒットした。
 ばっかり倒れる男。
「え、えっと、一位、白組、ロマーノ・ヴァルガス!!この時点で白組の優勝が決まりました!!」
 一瞬の沈黙の後。
 うおおおおお、と割れんばかりの歓声と拍手。
「へ?」
 我に返ったロマーノがはっとして周りと見回すと同時に、アントーニョがロマーノに抱きつく。
「やったやん!やっぱ、やれば出来る子やで、ロマーノは!」 
「やりましたね、ロマーノさん!」
「すごいんだぞ、ロマーノ!」
 菊と、そして薬を飲んでなんとか復活してきたアルフレッドが駆け寄ってくる。
「え、え、オレ…」
「勝ったんやで、ロマーノ」
 勝った。オレがか。オレが…。
 じんわりと心の中にこみあげる熱。

 ロマーノを中心とした人だかりの輪の外。
 ギルベルトが気絶した男の横にしゃがみこむ。
「てか、これ、フランシスじゃね?」
「え?」
 ロマーノから体を離してアントーニョが振り返った。

        

「じゃ、オレ、こいつ医務室に連れてくわ。先に帰っててや」
「おう」
 フランシス、とギルベルトが呼んだ男をよっこらせ、と背負ってアントーニョが歩き出す。
 残されたパイロット三人が、無言でギルベルトを見る。
「ん?なんだ?」
「なんだじゃないですよ」
「あの変態さん、知り合いなのかい?」
「あのやろー、アントーニョの何なんだよ」
 三人の質問に、ああ、とギルベルトが頭をかく。
 そして、衝撃の爆弾を落とした。

「フランシス?アントーニョの元カレだよ」

 一瞬の沈黙ののち。

「えええええええええっ」

 という叫びが、帰宅しようとする人々の耳に飛び込んできたのだった。

 
 

 後日。
 ビデオをテレビ画面に映しながら、一同は感嘆の声を上げる。
「すっげえ、完璧だな・・・」
「お、このロマーノの走り、よお撮れとるわ!ダビングさせてえな」
「いいアングルですねえ・・・編集もお上手だ」
「オレの活躍、ばっちりだな!」
「オレがうつってねーんだけど」
 で、とロマーノが声を上げる。
「これ、誰が撮ったんだ?」

 その後ろで。

 マシューが呟く。

「僕ですよ…」

「マシュー来てたの!?」

 全員の驚きの声に。
(ずっといたんだけどな・・・)
 静かに涙を落とすマシューであった。





 次号へ続く
 

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