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 はあ・・・はあ。
 あまりに急いだために、足がもつれそうになりながらエレベーターに飛び込む。
 イライラしながらレベル表示を見上げ、エレベーターの開くのももどかしく、開きかけた隙間から飛び出した。
 一番奥の扉。
「アーサー!」
 扉を開けながら、彼の名を呼ぶ。
 スニーカーを放り投げるように脱いで。
 リビングへと飛び込む。
 金色の頭が動いた。
 紅茶を注ごうとしていた家主が、こちらを向く。
「アル」
「オレ、マルドゥック機関に選ばれたんだよ!」
 こらえきれない喜びを持ってそう叫ぶ。自分と同じように喜んでくれるだろうことを疑わずに。
「あ・・・?」
 一瞬呆けたアーサーの顔が次の瞬間、みるみるうちに強張った。
 アルフレッドは、自分の予想が外れたことに驚く。
「アーサー・・・?」
 思わず彼の名を呟く。
「ダメだ!」
 ふいにアーサーが大声を上げた。
 びくっとしてアルフレッドが立ち止まる。
 がちゃん、と陶器のティーポットが床に落ちて転がった。
 琥珀色の熱い液体が、フローリングの溝を流れていく。
「ア・・・」
「ダメだダメだダメだ!」
 が、と強く肩を掴まれる。アーサーにこんな剣幕で詰め寄られたことなどなく、アルフレッドは混乱して恐怖すら覚えた。
 アルフレッドの青い瞳に、アーサーの碧の瞳が映る。
「おまえは、エヴァに乗る必要なんてない!」
 アルフレッドは目を見開く。
 今、なんて?
 エヴァに乗る必要なんて…?
 はっとして、アルフレッドが口を開く。
「な、なんでだよ?世界中の子どもから選ばれたんだぞ。オレが世界で一番エヴァのパイロットにふさわしい人間なんだ。世界を守るヒーローになるんだぞ!?なんで喜んでくれないんだよ、アーサー!」
 どうして。
 どうして。
 驚きを超えて、段々と腹が立ってきたアルフレッドがそう言うと。
 アーサーが忌々しげに呻く。
 そして、ここにいない何者かに怒りをぶつけるように強い調子で言う。
「・・・とにかく、ダメだ。オレは、許さない。おまえは、ヒーローになんて、なる必要はない」
 ヒーローになんて。
 アルフレッドは再び大きく目を見開く。
 全身が震えた。
 そして、ぎゅっと拳を握りしめ、生まれて初めて―7歳の頃から親代わりとして育ててくれたアーサーを睨みつけた。
「アーサー・・・」
 肩に置かれたアーサーの手が。
 震えていることに、アルフレッドは気づかない。
 頭の中が真っ白になっていく。
 喜んでほしかったのに。
 君に。
 期待の大きさは、そのまま強い怒りへと変わっていく。
「たとえ君だって、マルドゥック機関の決定は覆せない。そのくらい、オレだって知ってるんだぞ。オレは、君が何と言おうとエヴァに乗る」
 アルフレッドは、ばっとアーサーの手を振り払う。
 そして、右手の親指で己を指し示す。
「オレは、エヴァのパイロットだ!」
 そう言うと。
 こみあげてきた涙を隠すようにきびすを返して、家を飛び出した。

 残されたアーサーは一人立ちつくす。
 なんてことだ。
 なんて、意地の悪い神の采配。
 よりにもよって、アルがエヴァに乗るだと―?
「・・・はっ・・・」
 突如息の仕方を忘れたように呼吸困難に陥って、喉をかきむしるようにしながら、紅茶でぬれた床へと膝をつく。
 ぜい、と息をついて、アーサーは顔を上げる。
 そして、アル・・・と呻いた。
 その苦悶の表情は、どこか恐怖に似ていた。

 トゲに覆われた球体が、脱皮するように皮をふるい落とし。
 弐号機を一つのトゲに刺したまま、浮かび上がる。
 モズの早贄。
 そんなものを連想させる光景。
 絶叫を上げた後、沈黙した弐号機の手足はだらりと垂れ下がっている。
「あ・・・あ・・・」
 初号機の中で、ロマーノはがたがたと震えていた。
 こんな。
 こんな。
 アルが。
 アルフレッドが。
 よりにもよって、あいつが。
 どうしよう、どうしよう。
 どくん、どくんと心臓がわめきたてる。
 その時。
「ああああああっ」
 シャキン、とナイフを取り出した零号機がA.T.フィールドを解除した。
(本田!?)
 まさか。
『ロマーノ!菊を止めえっ!』
 アントーニョの声が耳に突き刺さる。ロマーノは飛び出した。
 初号機が零号機に体当たりした時、球体のトゲがびん、と伸びた。
 零号機をかばって倒れた初号機の肩をトゲがかすめる。
「うわっ」
 びり、と痺れるような痛み。
 痛い。
『ロマーノさんっ』
「大丈夫だ」
 肩を押さえながら、答える。
 痛い。
 肩をかすめただけで、これだけ痛いのだ。
 胸を貫かれた弐号機。
 腹の底から、ぞっとしたものが這い上がる。
(アルフレッド…!)
『菊、気持ちはわかるが、落ち着け!アルフレッドを助け出すには、あいつを倒すしかない。もう一度やるんや。あいつの動きを止めて、核を壊す。アルのつけた傷は浅うはない。亀裂が入ったままや。そこから核を狙う』
 アントーニョの声は、さすがにいつもより固い。噴き出してこようとしているものを必死に押さえつけている感じがした。
 菊が深呼吸するのがわかる。
『はい。・・・わかりました。ロマーノさん、行きますよ』
 え、とロマーノが起き上がる
 零号機も立ち上がり、使徒に向き合う。
『A.T.フィールドの強度とコントロールは私の方が上です。ロマーノさん、アルフレッドさんがやったように核を破壊してください』
 アルフレッドのやったように―?
 ロマーノは目を見開く。
「そ、そんなの、無理だ!おまえが・・・っ」
 しかし、ロマーノの抗議が届く前に零号機は動きだしていた。
 まさに回転を始めようとしていた使徒のトゲを二つ、がしっと両手で掴むと。
『A.T.フィールド全開!』
 菊の声と共に、光の壁が現れる。
 それはまるで枷をはめるかのごとく、使徒を拘束した。
 遠目には、悪趣味なレリーフに見えるだろう。
『ロマーノさん!』
 菊の声で、はっと我に帰る。
 ぐぐぐ、と使徒が振動していた。
 光の枷をはずそうともがいているのだ。
 菊と使徒との力比べが展開されている。
 どくん。
 ロマーノは使徒を見つめながら、ナイフを取り出した。
 訓練では使ったことがある。
 だが、実戦では初めてだった。
 銃で撃つのとは違う。
 使徒そのものに―触れるのだ。
 ごくり、と喉が鳴った。
『早く!』
 菊の焦った声。
 弐号機の指が、ぴくりと動いた。
 ロマーノの目が見開かれる。
「うわあああああ!」
 初号機が走り出した。

「使徒・・・?」
 学生服のアルフレッドは、司令室の入り口で呟いた。
 スクリーンに映し出された異形の者。
 それはやじろべえのような形をしていた。
 田んぼにあるスズメを追い払う目のような渦巻を持つ球体。
 それを黒い腕が支え、胴体へと続いている。
 アル、と、入口の少年に気づいたのは、アントーニョ。
 ネルフの作戦部長だ。
「あれが・・・使徒なのか」
 アルフレッドは、スクリーンを食い入るように見つめる。
 予言されていた人類の敵。
 そのために、エヴァは作られ、自分はパイロットとして選出された。
 だが。
 本当に。
 ぶるっと内臓が震えた気がした。
 おそらく、その場にいたネルフメンバー全員が同じ気持であったろう。
 地下にあるアダム。
 その存在感は圧倒的で、メンバー全員の意識の底に常にある。
 それと同じものがアダムを目指し、飛来する。
 そして、使徒と名付けられたそれがアダムと接触した時、サード・インパクトが起こる。
 セカンド・インパクトの引き金となったアダムを調べた結果、ゼーレが出した結論。
 その防衛のための機関、ネルフ。
 その初めての戦いが、今まさに行われようとしていた。
 魅入られたように使徒を見つめていたアルフレッドは、キッと顔を引き締める。そして。
「出るよ」
 と短く言った。
 画面の中では、自衛隊がさまざまな攻撃を加えている。だが、使徒は微動だにしない。炎の向こうから傷一つない姿をのぞかせる。
 アントーニョが振り返る。
「おまえ、まだ昨日初めてエヴァに乗ったばっかりやんか!」
 無茶だ、という顔をするアントーニョに、アルフレッドは苦笑する。
「そんなこと言ったって、他にどうしようもないだろ?行くよ」
 その通りだな、とアントーニョの隣でギルベルトがうなずく。
「アルとエヴァ弐号機のシンクロは完璧だった。手足も動かせてる。いけないレベルじゃない」
 せやけど・・・と、まだ不安そうなアントーニョを横目に、アルフレッドは走り出した。
 走り出したアルフレッドの耳に、アーサーはどこや?というアントーニョの声が飛び込んできた。

 ほとんど目をつぶらんばかりにして、つっこんだロマーノの一撃はトゲの根元に当たってはじかれた。
「うわっ」
『ロマーノ、ちゃんと狙え!アルの作った裂け目は、もうちょい左や!』
(ひ、ひだり、左・・・)
 アントーニョの声に苛立ちを感じ取り、ロマーノはますます慌てる。
 その時、ぐおん、と大きく球体が身をよじった。
「ひっ」
 思わず後ずさる。
 そこへ菊の怒声が飛んだ。
『何やってるんです!長・・・くは、押さえていられな・・・っ』
 菊の声が歪む。
 A.T.フィールドの維持はそれなりの力と集中力が必要となる。
 これだけのパワーを持つものを押さえつつとなれば、かなり疲労するだろう。
「わ、わかってる。わかってるよ」
 初号機の手が、振動を続けるトゲの一つをつかむ。
 ぱっくりと開いた裂け目。
(こ、ここにナイフを)
 ぐっとナイフを握り締め。
 思い切ってナイフを突き立てた。
 その瞬間。
 球体が膨らんだように感じた。
 ブオオオ・・・・ン
 謎の振動音が空気を揺らす。
 ロマーノが思わず手を離そうとした瞬間。
 ぶしゃあああああ、と真っ赤な液体が裂け目から噴き出し、初号機の視界を覆った。
「う」
 ロマーノは真っ赤な視界に硬直し。
「うわあああああああ!」
 と、叫んだ。
『ロマーノ、核を!核を探すんや!手をつっこめ!』
 つっこめ?
 ロマーノは耳を疑う。
 今にも暴れだしそうな使徒。
「無理!無理だよ!」  
『ロマーノ!』
『ロマーノさん!』
 無理だって言ってんだろ!

 視界が、真っ赤に染まっていた。

       

 フリーフォールで上にあがっていく時の感覚。
 ぐっと腹に力を入れて耐える。
 ごうん、と音がして、がくん、と機体が揺れる。
 光。
 エヴァ弐号機が地上へと射出された。
 相変わらずやじろべえは空中に浮かんでいる。
 その下の街はめちゃくちゃになっていた。
「くっそ、オレが退治してやるんだぞ・・・!」
 その時。
 やじろべえが、こちらを向いた。
「!」
 やじろべえの両腕の先にあるオレンジと黄色のうずまきと同じものが、胴体の真ん中にもにょっと現れる。
 そして。
『アル!よけ!』
 アントーニョの声に突き飛ばされるように、アルフレッドは転げた。
 一瞬後に、弐号機のいた空間を光の矢が走っていく。光の矢が通り過ぎた後、エヴァの射出台が黒こげになって崩れ落ちた。
「!!」
『アル!動け!来るで!』
 はっとして見上げると、頭上にやじろべえが移動してきていた。
(早い!)
 やじろべえの黒い胴体の底は、実際のやじろべえと同じく鋭くとがっていた。
(刺される!)
 地面に転がったまま、さらに横に転がる。そこへ、やじろべえがどしんと落ちてきた。
「・・・・っ」
 家が、建物が、車がひしゃげる音。
 アルフレッドは、思わず目の前のやじろべえの腕にしがみついた。
 ふわり、とやじろべえが浮きあがる。
 弐号機は腕にとりすがったまま、宙へと一緒に浮き上がった。
「うわあっ」
『アル、おまえ、何やってんのや!そのまま宙吊りにされたら・・・』
 アントーニョの声はほとんど耳に入らない。地上が一瞬のうちに遠くなる。まるで、おもちゃのように小さくなっていく街。
 すごいスピードで空中へと飛んでいく。
「うわうわうわうわっ!」
 アルフレッドは、必死で腕にしがみつく。もう既に降りるとかいうレベルではなくなっていた。
(どどど、どうしよう!?)
 しゅ、と視界が白くなる。
 雲に突入したのだ。
「うわわっ」
 しゅぽん、と雲の上に抜ける。 
 その瞬間、目の前に広がる真っ青な空。
 白々とした太陽。
(きれ・・・)
 綺麗だ、と思った瞬間。
 それは、始まった。

 落下、だ。

 ふわ、と下への移動が始まった瞬間。
 すがりついていた手が、するっとはずれた。
「!」
 目を見開く。
「う、わあああああああっ!」
 落ちる。
 落ちる落ちる落ちる。
 みるみるうちに迫る地上。
 緑の、山。
 激突する。
 ばきばきばきっ
 木々をなぎ倒しながら、エヴァ弐号機が山の上へと落ちた。
 一度、大きくバウンドする。
 鳥が一斉に山から飛び立っていった。
「ぐっ」
『アル!』
 一瞬息ができなかった。強く打ちつけた背骨が悲鳴を上げる。
 アルフレッドは、はっと前を見る。

 使徒が。

 使徒の渦巻の目が、こちらを見つめていた。

 無慈悲に。

「はは・・・くそっ」
 どくん、どくん。
 心臓をわしづかみにされたような痛み。
 アルフレッドは乾いた笑いをもらし、起き上がろうとした時だった。
「あれ?」
 弐号機は微動だにしない。
(え・・・?)
『アル!逃げるんや!』
 アントーニョの必死の声。目の前では、オレンジと黄色の目に、光が宿り始めていた。
 アレを、撃つ気だ。
 こんな至近距離でくらったら、死んでしまう!
 さきほど黒こげになった射出台が目に浮かぶ。
 あんなふうに・・・。
「ちっくしょ!動け!動けってば!!」
 しかし、焦れば焦るほど、弐号機とずれていくような気がした。
 動かない。
 冷や汗が流れた。
 どくん。

 光が。

 アルは目を見開く。

 ―おまえは、エヴァに乗る必要なんて…。

「アーサー…っ」

 呟いた時だった。

 見入るように見つめていたオレンジと黄色のうずまきが、斜めにずれた。
「え?」
 光が、小さくなりやがて、消え。
 そうして。
 斜めに胴体を切り裂かれたやじろべえは、ずるり、とバランスを崩し。
 右側へと倒れこんだ。
 アルはわけがわからず、唖然とする。
 倒れた使徒の背後に。
 立つ影。

 エヴァンゲリオン。

『エヴァ弐号機パイロット、アルフレッドさんですね。私はエヴァ零号機パイロット、本田菊』

 低い静かな声が、冷たい雨のようにアルフレッドの体に注ぐ。

『はじめまして』

 彼がそう名乗った時―。

 真っ二つにされた使徒が、弾けるように光の砂になった。

 エヴァンゲリオン零号機の上空に、一台のヘリが飛んでいるのにアルフレッドは気づく。
 扉を開けて見下ろしているのが、アーサーだと気付いた途端―アルフレッドは気を失った。

 嘘だよ。
 冗談だろ。
 思ってもいなかったんだ。
 お前が倒れるなんてこと。
 だって、お前は言ったじゃないか。
 自分はヒーローだって。
 オレが皆を守ってやるって。
 ヒーローは…不死身なはずなんじゃないのかよ?

 がくがくと震える身体。
 目の前の使徒は圧倒的で。
 怖かった。
 ―こんなに、怖いんだ。
 気付かなかった。
 いつも、あいつが前に出て戦っていたから。
 遠くで援護するだけ。
 それで、戦っている気になっていた。

 ―貴方は、いつもあの人が無傷で戦ってきたと思ってるんですか?

 だって。
 だって・・・。

 その時だった。

『しっかりしてください!』

 それは、怒声だった。
 初めて聞く、菊の本気の怒鳴り声だった。
 本田・・・と力なく呟く。

『しゃんとなさい!あなたがすくんだ時間だけ、アルフレッドさんの死が近づくんです!』

 死―――――。

 初めてエヴァで出撃した時を思い出す。
 死を初めて間近に感じた。
 いつ死んだっていいじゃないかと思ってた。
 でも、実際に相対したそれは、とんでもなく恐ろしかった。
 アルが、死ぬ―・・・。

「う、ぐ・・・っ」
 ナイフを握り直す。そして、もう一度ぐっとトゲをしっかりとつかんだ。
 液体が流れ、核が姿を見せていた。
 赤い、煌めく球体。
 あれだ。
「うわああああっ」
 ナイフを差し込もうとした時、再びぶるん、と激しく使徒が動いた。
 A.T.フィールドの一角がパリン、と割れる。
 突き出したトゲが、零号機の脇をかすめた。
『ぐっ』
「本田!」
『大丈夫です、続けて!』
(そ、そんなこと、言ったって)
 トゲをつかんでいるだけで精いっぱいだった。
「くそ!止まれ!止まれよ!」
 もたもたしていたからだ。
 頭をかすめる。
 菊が止めてくれていた間に、仕留められなかったから。
 明らかにくびきが弱まっている。
 痛みで精神力がかき乱されているのだ。
 ―ええな、タイミングよくやらな、使徒が反撃を始めるで
 アントーニョの言葉がよみがえる。
 迅速さこそ、作戦の要だったのだ。
『ロマーノ!落ち着くんや!菊、もうちょい頑張れ!・・・アルの、心音が小そうなっとる・・・!時間がない・・・っ』
 呻くようなアントーニョの声に、どくんと心臓が跳ねる。
 アル。
『…押さえこみます。A.T.フィールド最大出力!』
 命を燃やすように、光の壁が大きく広がった。

「不安定なんだな、あいつのシンクロは」
 ぼんやりとする頭は、その声をようやくギルベルトのものだと判断する。
「不安定て、どういうことや」
 アントーニョ。
「そのまんまの意味だ。あいつのシンクロ率は、どうやら精神状態に大きく左右される。普段は問題ないシンクロ率だが、精神が乱れると途端に下がる。ヘタしたら、エヴァを動かせなくなるレベルまで」
 なんやて、とアントーニョが声を上げる。
「戦闘中に精神が乱れない奴なんて、おるかいな」
「そうだな。よっぽど経験のある強靭な兵士か、何も考えない馬鹿か」
「あのなあ!こいつ、14歳なんやで」
「わあってるよ」
 二人の声が遠ざかる。
 シンクロ…率の低下。
 エヴァが…動かせなくなる。
 体を動かそうとしたが、うまくいかなかった。
 なんてことだ。
 エヴァどころか、自分の体さえ満足に動かせないじゃないか。
 ストレッチャーに乗せられて運ばれている。
 それだけは、どうやら気配でわかった。
「アル」
 どくん。
 アーサー。
 大丈夫なのか、と医療班に尋ねる声。
「問題はありません。ショックで気絶しているのと、背中を強く打ちつけているだけです」
 そうか、とアーサーがほっとした声を出す。
 そして、誰かほかの人間に話しかけた。

「よくやってくれた、菊」

 菊。

 はい、とあの声が答えた。

(まずい・・・っ)
 アントーニョは、ぎゅっと拳を握りしめる。
 ロマーノはすっかり混乱して、萎縮している。
 焦っていきり立つ菊と、怯えるロマーノの連携はちぐはぐだった。
 ロマーノは再び使徒の傷口へと手を押し込む。だが、こちらから見ていても、手が震えているのがわかる。
 しかも、さきほど浴びた体液で滑るらしく、ナイフをもてあましているようだ。
「アルフレッド君の生命反応が・・・っ!」
 ライヴィスが悲鳴じみた声を上げる。
「!」
 ロマーノ!
 二人の攻守を変えた方がいいか。いや、今A.T.フィールドを解除すれば、二人ともトゲにやられる。
 そうなれば、万事休すだ。
 ロマーノがやるしかない。
 ロマーノが…。
(頼むで・・・!)
 その時。
 あ、という声がして、ロマーノがつるり、とナイフを落とした。
「!」
「あんの、馬鹿!」
 ギルベルトが横で悪態をつく。
 慌てて拾おうとかがむ初号機。その時、半分消えかけたA.T.フィールドを補うように零号機ががしっと球体にしがみつく。
『早く!』
 初号機がようやくナイフを拾い上げた。
 アントーニョは、すうっと身体の芯が冷えていくのを感じていた。
 初めての感覚。
 自分は戦えないのだ、と身体の深いところで自覚する。
 血を流して戦うのは、結局あいつらなのだ。
 どれほど作戦をたてても、それを実行できるものがいなければ…。
(アルが)
 碧の瞳に、異形の者たちの戦いが映る。
(アルフレッドがいたら―・・・)
 そう思った瞬間。
 はっとしてアントーニョは我に返る。
 遠ざかっていた音が戻ってくる。
(オレは、オレは何を)
 目を見開く。
(オレは、どれほどあいつに頼ってたんや!)
 アントーニョが愕然とした瞬間、初号機のナイフがようやっと核を正確に貫いた。

 白い天井を見上げる。
 夕日が、差し込んでいた。
 腕を上げる。
 感覚は戻ってきていた。
 額の上に手を載せる。
 多少熱があった。
 今日は入院することになっている。
 ありがたかった。
 少なくとも、今夜はあの家に帰らずに済む。
 アーサーのいるあの家に。
 人が来ると、寝た振りでやり過ごした。
 誰とも話したくなかった。
 
 カナカナカナ・・・・

 ひぐらしの、物悲しい啼き声。

 ―オレが世界で一番エヴァのパイロットにふさわしい人間なんだ。

 自分の声が蘇る。

 ―世界を守るヒーローになるんだぞ!?

 ヒーローになんて。

 ―なんで喜んでくれないんだよ、アーサー!

 なれなかったじゃないか。

 何もできなかった。

「くそ、馬鹿みたいだな、オレ…」

 ダメだ、と見たこともない剣幕で怒鳴ったアーサー。ヘリから見下ろしていたアーサー。アル、と心配そうに呼びかけた声。
 そして。

 ―よくやってくれた、菊。

 菊。

 アルフレッドの手が、ぎゅっと白いシーツを握る。
 押し殺した嗚咽が、一人きりの病室に響いた。

「アルフレッドさん!アルフレッドさん!!」
 再び、今度こそ何も残さずぐずぐずになって使徒が消えると同時に、零号機からエントリープラグが射出され、エヴァを脱ぎ棄てるように菊が飛び出した。
 そして、貫いていたトゲが消え、地面に倒れこんだエヴァ弐号機へと走る。
「ほ、本田・・・」
 まだ茫然としていたロマーノは、目で菊の動きを追う。そして、はっとして強張ったままの手から、ナイフを手放した。
 弐号機の頸椎部分に近い背中には、穴が開いていた。
 エントリープラグの矯正射出が行えなかったのは、エントリープラグのすぐ脇をトゲが貫いていたかららしかった。
 剥き出しになったエントリープラグ。
 菊が、弐号機の内部に潜り込むようにして、むりやりプラグの入り口をこじ開けた。L.C.Lが流れ出る。
 使徒の体液とL.C.Lとでずぶぬれになりながら、ほとんど半狂乱になって菊が金切り声でアルフレッドの名を呼び続ける。
 その様子に、ロマーノは息を飲む。
「本田・・・」
 菊の呼びかけに、アルフレッドの答えはなかった。

「救護班!早うしいや!」
 アントーニョが怒鳴りつける。すぐ近くに待機されていた救護班がようやく弐号機の下へとたどり着いた。
「アル・・・頼むで、無事でいてや・・・」
 祈るような想いで呟く。

「お前の場合は、シンクロ率を安定させるのが第一だ、いいな?」
 エヴァの中でギルベルトの声を聞く。
 隣の零号機には、あいつがいる。
 本田菊が。
(安定させろって言ったって)
 心が波打つのをどうやって止めろっていうんだ。   
 オレンジと黄色の渦巻きが、目を閉じると浮かんでくる。
 だめだ。
 怖がるな。
 恐れるな。
 そうだ、まるで、テレビジョンヒーローのように。
 ゆっくりと目を閉じる。
 ヒーローになるんだ。
 何も、怖くなんてない。
 上がっていくシンクロ率。
 お、すげえな、とギルベルトの呟きが聞えてくる。
「初の領域突破だ」
 
 目を開ける。

 やられっぱなしでなんかいるものか。
 死んだりなんてするもんか。
 あいつにだって・・・負けたりしない。
 いつか、認めさせてやる。
 そうさ。

 オレは、ヒーロー。

「アーサーさん」
 報告を受けて、ずっとアーサーの背後に立っていたマシューが遠慮がちに声をかける。
 戦闘の間中、微動だにしなかった背中に。
「アルの心拍が元に戻ったそうです。強いショックを受けてはいますが、命に別条はなさそうだと…」
 言いながら、声が小さくなっていく。
 アーサーの背中から、起ち上る黒いオーラ。
 それは、まるで。

「わかった」

 狂気のごとく。

 アルフレッドの処置が終わり、ひとまず胸をなでおろしたアントーニョが司令室へと戻ろうと歩いていると。
 薄暗い廊下に、人影が見えた。
「アーサー・・・」
 そういえば、あいつは病室へ来ていなかった。
 一番に飛び込んでくるだろう、あいつが。
 それに。
(そういえば、あいつは戦闘中、何も言わへんかった)
 アルフレッド、と名を呼ぶことすら。

「ア―サ」
「ロマーノをもっと鍛えろ」
 名を呼びかけたアントーニョの声を鉈を振り下ろすように、アーサーがさえぎる。
 え、とアントーニョが怪訝な顔をすると。
 アーサーの碧の目が、猫のように光った。
「あれじゃ話にならねえ。いいか」
 ひたと、見据える。
「ロマーノを盾にしてでも、アルを守れ」
 は?
 アントーニョは最初意味がわからず、目を瞬く。
 盾に・・・て。
 それから、じわじわと沸いてくる怒り。
「な、おまえ、何言ってんのや!」
 アルが心配なのはわかる。だが、その為にロマーノを犠牲にしていいというのか。
 しかし、アーサーの瞳は微動だにしない。
(本気か…!?)
「自分、何言うてんのか、わかっとるんかいな!?」
 その時。
 ずっと感じていた違和感が、噴き出す。
 ネルフで再会した時。
 思ったのだ。
 ―こんな男だったか、と。
(こいつ、やっぱなんかおかしい。昔はこんなやなかったのに・・・)
 ひねくれものではあったが。
 平気で子供を犠牲にしろと言うような奴ではなかった。
「おまえ、なんかおかしいで。なあ、どうしたんや?」
 アントーニョが近づいた時だった。
 アーサーの手がアントーニョの胸ぐらをつかむ。
「!」
 アーサーの眼光が息がかかりそうなほど至近距離でアントーニョを捉える。
「ア―・・・」
「いいか」
 アーサーの声が冷たく、廊下に木霊する。
「本気で守りたいものがあるなら、他のすべてを捨てる気で守れ」
 腹の底から響く、低い声。
 アントーニョは、ぞくっと背筋に冷たいものが這うのを感じる。
「でなければ、守れるものなんて何一つねーんだよ」
 何一つ。
 アーサーの手が、ゆっくりと離れる。
 それから、何も言えずにいるアントーニョを見つめると、ふいっときびすを返し、地下へと続く階段を下りはじめた。
「アーサー…」
 アントーニョは、強く掴まれしわになった襟元に触れて呻いた。

 階段の途中で。
 壁にもたれて腕組みをしていた男が、階段を下りてきたアーサーをちらりと見上げる。
 一瞬目を合わせるが、アーサーはそのまま無言で階段を下りた。
 アーサーの背中を見送り。
 フランシスは、ゆっくりと階段を上がり始めた。

 ぱしん、と頬が鳴った。
 菊が自分の頬を叩いたのだと気づいて、アルフレッドは呆然とする。
 エスカレーターの真ん中で。
 菊がその黒い瞳に怒りを宿して、初めてまっすぐにアルフレッドを見上げていた。
「あの人が信じられないなら、もうエヴァに乗るのはおよしなさい」
 そう言うと。
 菊はさっさとエスカレーターを歩いて降りて行った。

 残されたアルフレッドは頬に触れる。
 じんわりと熱い。

「信じてるさ…」

 誰よりも。

 信じてる。

 ターミナルドグマ。
 白い巨人の見下ろす空間で。
 アーサーは一人たたずむ。

 目を閉じれば。
 浮かぶ光景。
 かすかに震える手を握りこむ。
 ポケットから金の鎖の付いた懐中時計を取り出すと、それを開く。
 透明の文字盤の向こうにいくつもの歯車が絡み合って時を刻む。
 12の数字。

 時計の針は進んで行く。

 残酷な時の翁。

 時計の針が13の文字を指す時。

 アーサーは目を開く。
 ―自分、何言うてんのか、わかっとるんかいな!?
「ああ・・・わかってるさ」
 アーサーは口をゆがめる。
 そうさ。
 すべては、この計画の為。
 すべてを置いても、守ると決めたもの。







「すべては、アルフレッドの為に」

 




 

 始祖の巨人は、沈黙をもって哀れなる末裔を見下ろしていた。

                              


 次号へ続く
 

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