「まさか、使徒だなんて思わないだろ、普通」
キングファイルをめくりながら、ごちる。
「月齢なんてさ、あんまり気にしないってーか。目の前に大きな月があったら、ああ、今日って満月だっけ、ってそう思うだろ?」
キングファイルにパンチで穴を開けた書類を綴じこむ。
「それがさ、かっこよく月に想いとか馳せてたらだよ?それがいきなり粉々に粉砕ってどういうことだよ」
キングファイルを棚に戻す。そして、となりのキングファイルを引き抜いた。
「オレは使徒に想いを馳せてしまったわけだよ。月を見上げるかっこいいお兄さんの図が、途端に使徒を見上げる間抜けなお兄さんの図になっちまったわけだよ。あ、これ、ラベルはがれちまってるぞ」
見出しラベルを探して、あちこちの引き出しを開ける。
お、あった、と引きだした引き出しの上に、明るい陽光が落ちた。
「オレだけじゃないぞ。あんなに大きな月の夜だ。月見酒としゃれこんでた奴もいたに違いない。そしたら、おまえ、うっかり使徒見酒だからね。あまつさえ、あれに愛を誓ったカップルとかいたらどうしてくれる?使徒に誓った愛だぞ。うわあ、破滅しそう」
あ、ラベル一枚足んねえよ、と舌打ちして、振り向く。
「おーい、ギル。ラベル足んないんだけど」
すると。
べちん、とラベルの束が飛んできて、フランシスの顔にぶち当たった。
「うるせえよ。おまえって奴は、静かに書類整理もできねーのか」
机に座ってパソコンに向かっていたギルベルトが椅子をこちらに向けて、フランシスを睨みつけた。
ラベルを拾い上げ、鼻の頭をおさえたフランシスが、ギルベルトを睨み返す。
「じゃ、言わせてもらうがな。これ、オレの仕事じゃないんだけど。おまえがどうしてもっつーから、手伝ってやってんでしょ」
「オレ様は忙しいんだよ。書類整理なんか、やってらんねえの」
「オレだって、忙しいんですけどー!」
「雑用でなんだろ?じゃ、オレの雑用もやれよ。コーヒー一杯おごってやるからよ」
「安っ!女の子の2,3人でも紹介してよ」
言ってから、あ、とフランシスがにやりと笑って口元に手をあてる。
「そんなアテ、ギルちゃんにはないかあ〜?」
ぴく、と青筋をたてたギルベルトが口の端を引き上げる。
「余計な御世話だ。てめえもんなこと言ってっと、アントーニョにあいそつかされっぞ」
ん、とフランシスが思わず目を瞬く。ギルベルトはパソコンに向き直った。
「ガキどもは、まだ寝てたか?」
「―ん、ああ。アルフレッド以外はな。早く病院から出たいってぶーぶー言ってたよ」
くす、とフランシスは笑う。そして、ぶつけられたラベルの束から一枚引きだした。
アルフレッドは完全に元気を取り戻していたが、念のためもう一日検査入院することを医者に言い渡されている。
菊とロマーノは昨日からの疲労と寝不足でネルフの仮眠室で朝から死んだように眠っているらしい。
そのため、アルフレッドは暇でぶーたれていたのだ。
そんなアルフレッドの病室を訪ね、ひまわりを中心とした大きな花束を渡してやった。
すると、いまいち不満そうな顔をして、ありがとう、というので。
思わず苦笑して、もう一つのお見舞いの品を取り出す。
月が割れてから、どうにも寝る気がなくなり、気持ちを落ち着けるために明け方におもむろに作り始めたマドレーヌを。
それを見て、わあい!気がきくじゃないか!とアルフレッドが目を輝かす。
見事な花より団子思考。
「花と手作りお菓子を持って行ったよ。喜んでた」
「ぬかりねーなー」
けけ、とギルベルトが笑う。
まあね、とフランシスが鼻を鳴らす。
「ついでに可愛いあの子のハートもゲットさ!」
「せいぜい、まゆげに呪い殺されないよう気をつけるんだな」
「まゆげが怖くてナンパができるか」
無意味に胸をはるフランシスに、そーかよ、とギルベルトが肩をすくめる。
「んじゃまあ、アントーニョにしばかれないようにな」
フランシスは、ギルベルトの銀色の後ろ頭を見つめる。そして、口を開いた。
「残念ながら、あいつがこの手のことで怒ってくれたこと、一回もないのよね〜」
「ああ、おまえ、やっぱ、ふび・・・ぐええええ」
「その言葉は口にすんなって、言っただろ」
「死ぬ死ぬ死ぬ、首もげる!」
NGワードを口にしようとしたギルベルトの首を、後ろからぐいっとはがいじめにし、フランシスがぎりぎりと締めあげたのだ。
「殺す気か!」
「いや、オレの魂の尊厳を守るためだからね」
「わけわかんねー理由で人殺すな!」
「ところで、ギル。おまえは寝なくていいのか?」
フランシスが腕を組む。ギルベルトも、昨日からほとんど寝てないはずだ。
「偉大なるオレ様は、3時間も仮眠すりゃ充分過ぎて釣りがくる。オレは別に戦ってたわけじゃねーしな。あんま長く寝るとリズムが崩れて返ってよくねえし」
そういうギルベルトは、確かに眠そうには見えない。
「他の奴らも、もうバリバリ働いてるよ。ネルフじゃ、睡眠不足は日常茶飯事だからな」
使徒は休み時間を狙ってくるわけではない。いつも飛び起きるつもりの浅い睡眠をとることに慣れている。
「やだやだ、寝不足はお肌の敵だよ。お兄さんの美しい肌が荒れちゃう」
「おまえ、監査部だろ。―てかよ、なら、なんで戻ってきたんだよ」
ギルベルトは、Enterキーを押し下げる。
「一応ここは最前線だ。肌荒れを気にする奴がいる場所じゃねえよ」
画面に映り込んだ友人の顔を見る。フランシスは無表情だった。
「それ、アントーニョにも聞かれたなあ」
―で?
靴をはく後ろ姿。
―おまえは、なんで戻ってきたん?
戻ってきた理由。
「んで?なんて答えた?」
「おまえに会いにってさ」
さらっと答えると。
そうか、と同じくらいさらっとした答えが返ってきた。
「つっこんでくれなの」
「なんだ、冗談だったのか?本気かと思ったぜ」
いや、人事異動だし。
軍の人事に異論を唱えるなんて出来ないし。
けれど。
別にアントーニョも、ギルベルトも、そんな当たり前の事情について言っているわけではない。
「おまえよー。オレと・・・まあ、一応アーサーとが軍に入ってさ。その後、すぐに姿を消したらしいじゃねえか?」
ある晴れた日。
入道雲がたちあがり。
部屋にあったわずかな荷物と共に。
あの部屋を出た。
一言も言わずに。
ただ、書き置きだけを残して。
「おかげで、あいつ地球防衛軍の隊長になっちまったぞ」
ふいに、積乱雲のように沸き上がる映像。
リアルに机代わりのみかん箱に向かうタンクトップ一枚の背中。
クーラーが壊れたと文句を言いながら、パソコンを叩く。
そのそばに寝転がっていると、少しでも涼をとるために開け放たれた窓から、青い空が見えた。
そして、その青い空をつっきっていく銀色の飛行機が。
湿気の多い日本に最適な床材、畳はやはり夏の気候に大きな力を発揮する。
そう思いながら、何やってんの?課題?と、聞くと。
収まりの悪い癖っ毛をかきまわしながら、片膝をたてて画面を見つめるアントーニョが、いや、と答える。
―地球防衛論や。
フランシスは思わず笑った。
―なにその、小学生の作文みたいなタイトル。あれだね、『20世紀少年』みたいだな。
少し前に見たDVDのタイトルを口にすると、せやな、とアントーニョも笑った。
フランシスは身体を起こす。
そして、一心にパソコンに向かうアントーニョの剥き出しの肩に頭を載せる。
―暑いわ。
迷惑そうなその声に、フランシスは、くす、と笑った。
―かまってよ。
すると。
―喉渇いた。なんか持ってきてーな。
というので。
へいへい、と立ち上がる。
ちりん、と風鈴が鳴った。
あの時の。
超適当そうに片手間に書いていた論文。
あれが。
発表された時の衝撃は忘れられない。
フランス支部で。
オレは一瞬音を失った。
周囲のざわめきが戻ってきたとき、オレは思った。
オレは何を見ていたのだろうと。
あいつの、何を。
「それ、オレのせいなの?」
聞くと。
ギルベルトは、さあな、と画面を閉じる。
「ただよ、おまえがあのままあいつと一緒にいたら、あの論文完成しなかったんじゃねえかって気がすんだ」
もしくは、完成しても発表しなかったか。
ずっと、アントーニョのパソコンの中に埋もれていたのではないだろうか。
ギルベルトは立ち上がった。
フランシスは友人の赤い瞳を見つめる。
アルビノであるのかどうか聞いたことはない。
ただ、彼の瞳の色は、体内を流れる血の色だ。
視力は常人と変わらないようだが。
銀の髪。雪のように白い肌。
旧約聖書に登場する箱舟のノアと同じ。
彼の手によってつくられたエヴァは、はたして箱舟のごとく人類を救うだろうか。
―いや、箱舟はごく一部の人間しか救わなかったか。
「それ、いいこと?悪いこと?」
すると、はっとギルベルトは笑った。
「知らねえよ。ま、オレとしちゃ、作戦部長があいつの方が、やりやすくていいけどな」
コーヒー飲みに行こうぜ、おごってやる、と白衣のポケットに手を突っ込んでギルベルトが歩き出す。
「ねえ、ギルちゃん」
「んだよ」
ギルベルトが振り返ると。
フランシスは、両手を組んで己の頬に沿うように持ち上げる。
そして、裏声で言った。
「ちょっと見ないうちに大人っぽくなってw」
「キモ。死んでよし」
資料室の扉を開けたギルベルトの背中を、笑いながらフランシスが追いかけた。*
「ヒーロー復活なんだぞ!」
病院を飛び出したアルフレッドが、空に向かって両手を上げる。
陽光がアルフレッドに降り注ぎ、金の髪がきらきらと輝いた。
「菊!アイス食べに行こう、アイス!バケツいっぱいアイスが食べたいんだぞ!」
うっはーい、と飛び跳ねるアルフレッドに、呆れた顔でロマーノがつっこむ。
「おまえなあ、また腹壊すぞ」
とても、昨日まで死にかけていた人間とは思えない。
「そうですよ。小さいのにしときましょう。ハーゲンダッツのカップとか」
えーとぶーたれたアルフレッドの後ろに一台の車が止まった。
丸みを帯びた青い車の中から、アルフレッドによく似た顔の青年が現れる。
マシューだ。
「ごめん、遅れて。気が付いたら、家を出る時間になっててさ…」
「マシューは、いつものんびりすぎるんだよ!」
アルフレッドが言うと、マシューは、ははは・・・と力なく笑って頭をかいた。
そして、ロマーノと菊を見る。
「もう、学校は終わり?」
「ええ。今日はアルフレッドさんが退院する日ですから、まっすぐこちらへ」
菊の言葉に、そう、とマシューが微笑む。
「じゃあ、僕は退院手続きをしてくるよ。よかったら、その後送っていくけど…」
あ、いえ、と菊が自転車置き場を指さす。
「私とロマーノさんは自転車で来ていまして」
ああ、そうなんだね、とマシューがうなずく。
ロマーノが口を開いた。
「そういや、指令はこねーの?あの人、アルフレッドが退院したら一番騒ぎそうだけどな。見舞いにきたとこも見なかったような」
その言葉に、わずかにアルフレッドの表情が変わる。
おや、と菊がそっとアルフレッドの顔色をうかがった。
マシューが穏やかに口を開いた。
「・・・あの人は、皆と一緒にいるのが苦手だから。それでタイミングはずしていくと、いつもアルが寝てたらしくてさ。ほんと、不器用だよねえ」
微笑みながら、アルフレッドを見る。
「後でいいからさ。会いに行ってあげて。元気な顔、見せてあげてよ」
どこかふてくされたような複雑な顔をしていたアルフレッドは、ちらりと斜めにマシューを見上げると、背中で手を組んで言った。
「アイスを用意しといてくれたら、行ってあげるよ」
伝えておくよ、とマシューはくすりと笑った。
じゃあね、とマシューは手を振って病院の中へと消えて行った。
じゃあ、行きましょうか、と菊が言う。
三人が自転車置き場につくと。
ロマーノが、え?と呟いて、あたりを見回し、それからはっとしたようにポケットを探った。
そして、あったあ、と下を向く。
「どうしたんだい?」
アルフレッドがきくと、ロマーノは、最悪だ・・とのろのろと顔を上げる。
「鍵かけ忘れた…ちくしょう、パクられた」
「おやおや・・・災難ですね。後で警察に届けましょう」
言いながら、菊は自分の自転車に鍵を差し入れた。
「ふむ、そうすると、三人乗りだな」
「え!?」
アルフレッドの呟きに、思わず二人が振り返った。
「あ、と、す、こ、しぃ!」
ぐぬぬ、と力を込めて、アルフレッドがぐっとペダルを踏む。
「ちょ、アルフレッドさん、無理ですよ。降りますって!」
「そうだよ、こええよ。うわあああ」
ゆるい下り坂で勢いをつけ、一気に三人を搭載した自転車は坂の上へと駆け上がった。その最後のひと押し。
勢いが死んできたところを、アルフレッドが強靭さを発揮してなんとか坂の上まで登り切ってしまった。
「ふえ・・・さすがに、つ、疲れたんだ、ぞ」
「当たり前ですよ〜。もう、アルフレッドさんは無茶なんですから」
「心臓にわりいよ!」
坂の上で自転車から降りた二人が息をつくアルフレッドに言う。しかし、アルフレッドは意に介さず、息を整えるとうーんと背伸びしつつ、坂の上から街を見下ろした。
夕暮れの光に赤く染まる第3新東京市。
その向こうに広がる赤い海。
それは、美しい光景だった。
戦闘の為に無駄を省かれた機能的な都市は、機能美というものを体現している。
人がしばしば兵器に感じる美しさと、それはどこか似ているかもしれなかった。
「なあ、菊、ロマーノ」
街を見下ろしながら。
アルフレッドがふいに口を開く。
菊とロマーノが、彼の横顔を左右から見つめる。
海からの風が、彼の前髪を揺らした。
「これが、オレ達が守る街なんだぞ」
な、と菊と、そしてロマーノを左右に見る。
菊は微笑み。
ロマーノは半眼になる。
「・・・恥ずかしい奴」
そう言って腕を組んでそっぽを向いたロマーノに、がばっと横からアルフレッドが抱きつく。
「うわ、なんだよ!」
「ありがとう」
へ、とロマーノがアルフレッドを見る。
「ロマーノと菊が助けてくれなきゃ、オレはきっと死んでただろ。昨日夜さ、思ったんだ。あーオレ、死ぬとこだったんだ、て」
白いベッドの上で。
「オレはヒーローだけどさ。一人じゃ駄目なことも・・・いっぱいあるなって」
アルフレッドは目を細めて言う。
「思った」
ロマーノはアルフレッドの青い目をまじまじと見つめ、それからたまらなくなって目を伏せた。
「オレじゃ…ねえよ。オレは…おまえが倒れて…どうしていいか、全然わかんなくなっちまって…怖くて…」
胸の奥に走る痛み。
「まともに戦うことなんて出来なくて…おまえを助けたのは、菊だよ」
必死で。
本当に必死で。
「そんなことはありませんよ」
菊が静かに言う。
ロマーノとアルフレッドが彼の方を見ると。
菊は暮れていく街を見下ろしている。
「ロマーノさんがいなきゃ、私一人じゃどうしようもありませんでした」
つまりは。
「結論としては、三人いなきゃダメってことだよな!」
アルフレッドが指を立てる。
「まあ、そうですね」
菊が微笑む。
というわけで、とアルフレッドがにこりと笑って、ぎゅっと腕に力を込めた。
「これからもよろしくなんだぞ、ロマーノ!」
アルフレッドの馬鹿力に、ロマーノは思わずぐえ、と呻く。
「おまえは手加減なさすぎなんだよ!」
手を離したアルフレッドに思わず抗議する。あはは、とアルフレッドが笑った。
「さあ、じゃあ、そろそろ行きましょうか」
言いながら、菊は自転車のハンドルに手を置く。
その後ろ姿をじっと見つめていたアルフレッドは、菊ににじり寄ると、またがばっと後ろから菊に抱きついた。
「ふえっ」
「菊菊。オレを助けてくれてありがとう。オレのこと心配してくれてありがとう。オレの為に泣いてくれてありがとう」
ぎゅうっと抱きしめて、それから。
驚いて振り向いた菊に、にこりと微笑みかけると。
「大好きだぞ」
そう言って。
ちゅ、と頬にキスした。
「ひゃああああああ」
青だか赤だかわからない顔色になって、珍妙な悲鳴を上げる菊を見ながら。
ロマーノは思わず呟く。
「・・・やっぱり、恥ずかしい奴・・・」
菊の反応にきょとんとするアルフレッドを見ながら、心から菊に同情するロマーノだった。

*
翌日。
夏休み前の試験結果が発表されていた。
いつだって夏の世界でも、夏休みは暦通りにやってくるのだ。セカンドインパクトの前にあった行事は、季節感が失われた今でも、なるべく踏襲されている。
頑なに、といえるほどに。
掲示板の前で。
5位に菊の名前を見つけ、ロマーノは隣にいる菊に話しかける。
「さすがだなあ、おまえ」
「ロマーノさんだって、20位内じゃないですか」
「微妙に中途半端なんだよな、オレって」
廊下に張り出されているのは、20位までの順位表。ロマーノの名前は、16位のところにあった。
「そういや、アルフレッドは?」
「外でドッチボールしてますよ。元気ですねえ」
「ホントだなあ」
老人のような会話をする二人の耳に、校庭ではしゃぐアルフレッドの声が聴こえてきた。
「しかしよ。なんかオレが来てから、使徒襲来多すぎねえ?」
カルピスを飲みながら、ロマーノが口を開く。その膝の上にかめが這い上がってくる。すっかり慣れたロマーノはその甲羅をちょっとなでてやる。
放課後、アルフレッドと菊はロマーノの家(正確にはアントーニョの家)に遊びに来ていた。
「オレがネルフに来てから、まだ10日満たないよな。それなのに、もう三体だぜ?ペース早くね?今まで現れた使徒は、この三体とおまえらが倒した二体だってアントーニョに聞いた。その二体の間は、かなり間が空いてたって聞いたけど」
ロマーノの疑問に、菊とアルフレッドが彼の顔を見る。
菊が口を開いた。
「ええ・・・確かに、一か月以上空いていましたね。ですが、二体目から三体目の使徒…ロマーノさんが初出撃した時の使徒ですが…が出現するまでの間は短かったです。私の怪我もまだ治りきってませんでしたし」
ロマーノはその言葉に、包帯をいたるところに巻いた菊の姿を思い出す。
「使徒ってさ…13体、なんだっけか」
ロマーノが呟くように言うと、菊がうなずいた。
「そう言われていますね。死海文書、というものがあるそうです。中東の遺跡から見つかったこの文書には、今日の状況が予言されていました。セカンドインパクト、そして13使徒の襲来」
菊は淡々と解説を続ける。
「13使徒が第1使徒であるアダムと接触した時、サードインパクトは起きると言われています。アダムと使徒との接触を阻止するため、この都市とそしてネルフは作られました」
アカデミーの中でも、最上級の才能を集めて。
人類防衛ラインを築き上げたのだ。
「アダム…か。まだ見たことねえな。アルと菊は、あんのか?」
「オレはないよ」
亀を一匹頭に載せたアルフレッドが、ポテトチップを食べながら言う。
「別に見たいとも思わないけどね。使徒の親玉みたいなもんなんだろ。てゆーかさ、アダム破壊しちゃえばいいんじゃないのかい?そうすれば、使徒がきたって、サードインパクトなんか起きないじゃないか」
アルの言葉に、菊は首を振った。
「アダムを破壊すれば、やはりサードインパクトは起こるであろうと言われています。セカンドインパクトがアダムによって引き起こされたと言われていますからね…あれがなんなのか、誰にもわかっていないんです。アダムは生きている、そうアーサーさんは言っていました。眠っているような状態なのだと。破壊する手段もわからない。眠らせておくのが精いっぱいなんですよ」
アルフレッドが目を細めた。亀を頭から下ろす。
「でも、アーサーはアダムからエヴァを造ったんだろ」
「え、そうなのか?」
知らなかった。エヴァがアダムから作られたことも。アーサーがエヴァンゲリオンを作ったということも。
「ええ。そうです。アーサーさんがエヴァの核となる部分をアダムをもとに作り上げました。それをスーパーコンピュータMAGIと接続し、戦闘機能を持たせ完成させたのは、ギルベルトさんですが」
「ええっ!?あいつ、そんなすげえ奴だったのか!?」
小鳥乗せた半遊び人みたいなあいつが。
「ネルフの技術責任者の名は伊達じゃないですよ。文字通り世界最高の頭脳です」
へええ、とロマーノは思わず呻いてソファに背中を預ける。
「ま、なんにしろ、もう使徒は5体倒したんだ。アダム入れて、これで6体。あと、たった7体じゃないか。これだけ防ぎきればいいんだろ?楽勝だよ」
アルフレッドは、ウィンクしながら自分を親指で指さす。
「オレがいれば、世界の危機なんて簡単に回避できるんだぞ☆」
「世界の危機や」
突如アルフレッドの背後に現れたアントーニョが、がしっとアルフレッドの肩に手を置いた。
「へ?」
アルフレッドが上を見上げると。
アントーニョが暗い顔でアルフレッドを見下ろした。
「アル・・・今日、学校に行ってきたんやけどな」
い、とアルフレッドが青ざめる。
「・・・あの成績はどういうことや?」
げ、とアルフレッドがあわあわと目をそらす。
「えっと、それは、あれで、これで」
「このままやと、夏休み中補習や先生ゆうとったで!おまえにはそんな暇あらへんやろ!?ヒーローが補習て、そんなんでええとおもっとんのかいな!?」
―数時間前。
学校の前に止まった真っ赤なスポーツカーから、一人の男が降りた。
黒いサングラスをはずした男を数人の生徒が振り返る。女生徒がきゃあ、と互いをつつき合う。
アントーニョは、硬い表情で進路指導室へと向かった。
「先生…うちの子、かなり悪いんですか」
アントーニョが真剣な顔で、机を挟んで向かい合う仮面の教師にそう尋ねると。
「手遅れだな」
足を組んでさらに腕組みをした仮面の教師が淡々と答えた。
「せ、先生!そこを何とか!うちの子、助けてやってください!」
「とは、言われてもなあ・・・」
乗り出したアントーニョの顔を見つつ、サディクは頬をかく。
ぺらり、と机の上にテスト用紙を数枚広げて見せる。惨憺たる結果である。
「うっわ〜・・・」
「これでただで進級させるわけにゃ、教師としてはいかねえな。夏休みいっぱいの補習が必要だろ」
「うちの子、そんな暇ないんです!世界の為に戦わなあかんのですわ!」
あっちゃあ、と片手で顔を覆っていたアントーニョが、はっとしたように立ち上がる。
「いやいや、世界救う前に自分の成績救えってやつだろ」
む〜と、アントーニョは難しい顔で腕を組む。アルフレッド達エヴァパイロット三人には、夏休みの間集中的に訓練させる予定なのだ。しかも、明らかに使徒の出現スピードが速まっている。誰かがどこかでスイッチを押したかのように。何かが動き始めてる。
補習なんてしている場合ではない。
「それやったら、これでどうやろ」
そして、アントーニョは一つの提案をしたのだった。
「と、いうわけでや。特別に一週間後に再テストをしてもらうことにした。これに合格すれば、補習はなしや。ええか?絶対受かるんやで」
目の前に回り、仁王立ちしたアントーニョを見上げ、うへえとアルフレッドがしょぼくれた。
「ぜ、全教科やるのかい・・・?」
「当たり前や。一つでも落としたら、補習やからな」
ふえええ、とアルフレッドが情けない声を上げる。
そして、アントーニョは、菊!ロマーノ!と、二人の名を呼んだ。
「え、はい」
「な、なんだよ」
びくっとなった二人をアントーニョが振り返る。
「お前ら二人は、アルの勉強見たり。ええか?連帯責任やで」
「そ、そんな」
「な、なんだよ、それ〜」
「問答無用や!これから一週間、菊とアルはうちに泊りこみや。勉強合宿決行やで!あ、それから、受からなかったら8月いっぱいアイス抜きやから。ええね?」
一瞬アルフレッドが呆け。それから、アントーニョの鬼いいいいいいっ!と叫ぶ。しかし、アントーニョは耳に指を突っ込んで耳栓をして、やり過ごした。
「じゃ、オレは夕飯の買い物してくるからな。アルと菊は家から勉強道具とか着がえとか持ってきとき」
そういうと、パタン、と扉を閉めて現れた時と同じくらい唐突にアントーニョは出て行った。
アントーニョを見送って、ロマーノと菊はこわごわアルフレッドを振り返る。
案の定、アルフレッドは白くなって固まっている。
「あ、アルフレッドさん。大丈夫ですよ。受かればいいんです、受かれば」
「そ、そうだぞ。一週間あるじゃねえか」
菊とロマーノの慰めを聞きながら、しかしアルフレッドは、アイス〜と呻いてテーブルに突っ伏す。
その頬を、亀がつっついた。
菊のマンションから着替えと勉強道具を持ってきて、三人はロマーノの部屋で補習対策の準備を始めていた。
「そういやさ、なんでアルの成績についての呼び出しが、アントーニョに行ったんだ?指令か副司令じゃねえの?おまえの保護者って」
「あ〜多分、それはネルフの手続きのせいだと思いますよ。私たちは一括でアントーニョさんを保証人として学校へ登録されているはずですので」
「・・・アーサーやマシューを呼びだされるよりは、アントーニョのほうがマシなんだぞ」
口をへの字におりまげて、アルフレッドがいかにも仕方なさそうにノートを開く。見事に真っ白なノートを。
(なんっか、指令への反応が過剰だな)
ロマーノはなんとなく菊を見る。すると、菊と目があった。菊は、知りませんよ、というように少し肩をすくめた。
(まあ、いつものことか)
自分ではそうでもないと思っているかもしれないが、アルフレッドの過剰なアーサーへのこだわりは傍目に見てても明らかだ。
アーサーの愛情表現があまりにあんまりなので、基本邪険にしてはいるが。
アルフレッドのそれは、親への愛情に似たものなのか。
―それとも別のものなのか。
(オレがあいつに対して持ってるような…)
感情なのか、と思ったところで、はっと我に返った。
「や、ない!ないない、恋とかないから、そんなんじゃないから、マジで!」
「え!?なんだい、ロマーノ!?」
いきなり顔を赤くして下を向いたロマーノに、アルフレッドがびくっと反応する。
ロマーノの隣で、にや、と菊が笑った。
その時、教科書を開きかけたアルフレッドの鼻がひく、と動く。
「なんか、いい匂いがするんだぞ」
「あ、多分、これ」
「親分特製パエリア完成したでww」
ロマーノが赤い顔をあげて言葉を紡ごうとした時、エプロンをつけ、肩に亀を乗せたアントーニョがロマーノ部屋のドアを開けて覗き込む。
「おお、やっとるな。感心、感心。その調子やで♪夜ごはんには、パエリアとサラダとスープ作っといたからな〜」
「あ?作っといたって、おまえ、どっか行くのかよ」
仕事か?と言いかけたロマーノに、おう、とアントーニョが答える。
そして、エプロンをはずしながらきっぱりと言った。
「飲みに行ってくる」
じゃあな、とひらりと手を振って扉を閉める。
その閉じられた扉に。
一瞬固まった子供たち三人は。
え―――――――!と一斉に声を上げる。
「なんだ、あいつー!人にアルの勉強押しつけやがってー!」
「ずるいんだぞ、アントーニョ!!」
「大人って汚いですよね…」
とはいえ。
カレンダーに大きく○のつけられた日まで後6日。
「・・・しかたありません。始めましょうか」
「そうだな・・・。いいな、アル。アイスの為だかんな」
「うえーん、わかったんだぞ」
「じゃあ、まず試験範囲の確認ですが…」
そうして。
三人の勉強合宿は始まったのだった。
*
ぴんぽーん、とチャイムが鳴る。
はーい、とちょうどトイレに行くため玄関の方まで来ていたフランシスが、サンダルをひっかけて防犯レンズを覗き込む。
すると。
「アントーニョ・・・」
思わずフランシスが扉を開けると。
もわ、とするめの匂いが飛び込んできた。
「うわ、イカ臭っ」
「お邪魔すんで〜」
するめを口にくわえて缶ビールを入れたコンビニの袋を抱えたアントーニョが入ってくる。
思わず一歩下がると、アントーニョがフランシスの顔を見上げる。
「なに、変な顔してんねん。また来いゆーたの、自分やろ」
(え?)
思わず目を見開いた時。
「オレ様も来てやったぜ〜」
「突然おしかけてすいません。僕ら、アントーニョさんにほとんど拉致られまして・・・」
「あ、アイス買ってきたんで冷やしてもいいですか」
「お、お邪魔します〜」
アントーニョの後ろから、ギルベルト、トーリス、エド、ライヴィスがどどっと入ってきた。
「え、えと」
―また、来いよ。
―また来いゆーたの、自分やろ。
昨日の明け方の自分の声に、アントーニョのさきほどの台詞が重なる。
そして。
サーっと青ざめると、フランシスはその場にがくっと膝と両手をついた。
(全然通じてねええええええええ)
「あん?どないしたん?するめ食う?」
「いえ、遠慮します…」
頭上から降ってきたアントーニョの声に、涙を拭って立ち上がる。
「うん、知ってる。わかってる。お兄さん、おまえがそういう奴だって、最初から知ってたから。負けないから」
「何わけわからんこと言うとんのや」
するめをがじがじ噛みながら、アントーニョが首をかしげる。
ため息をつきながらその顔を見つめ、そしてフランシスはアントーニョの手からビール入りのビニール袋を受け取る。
「おまえ、ロマーノは?ほっといていいのか?」
「ああ、大丈夫や。今日から菊とアルもうちで一週間泊まり込みやから。アルの成績が悪過ぎてな。勉強合宿やねん。あの三人には、親分特製パエリアつくってきたった。勉強会にはオレはおらんほうがええやろ。三人できゃぴきゃぴやっとる思うわ」
「あらあら、それ、楽しそうね」
学生時代のお泊り会というのは、特別なわくわく感があるものだ。
「せやから、今日は大人飲みしよう思うてな。アーサーとマシューも誘ったったんやけど、『あ?なんでオレがおまえらとフランシスんちで飲まなきゃなんねんだよ。わけわかんねーよ。てか、おまえ、作戦部長としての自覚がうんぬんかんぬん』とか言うもんやから、また喧嘩別れしてもーた」
はは、とアントーニョが笑う。
「ん〜ネルフメンバーの全員がのんだくれてる状態は、まずいとは思うけどね…」
「今夜は使徒も来おへんよ」
「何その自信?お得意の勘?」
呆れたように言うと。
まあな、とアントーニョがふふんと笑った。
「ま、おまえの勘は良く当たるけどね〜」
「よく飲んで、よく食って。そんでよく寝んと、ええ仕事はできんよ」
「それによく愛し合う、も入れといて」
「言うと思ったわ」
うひゃひゃ、と笑うとアントーニョはリビングに続く扉を開ける。
中からギルベルトが「おーい、グラスどこ?」と尋ねる声が聴こえてくる。
はいよ〜と言いながらリビングに足を踏み入れつつ、これもこれで悪くはないか、とフランシスは思った。

次号へ続く
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