(あっちー)
 ロマーノは自転車を引きながら坂を登りつつ、空を見上げる。
 いつも通りのまっさらな空。
 ぎらぎら光る太陽。
 ロマーノはこの風景しか知らないが。
 どうやらロマーノが生まれる前には、春だとか秋だとか、そういうすごしやすい季節も存在したらしい。
 あまつさえ、冬っていう雪まで降るような季節もあったんだとか。
 セカンドインパクトでずれた地軸のせいで、日本は夏以外の季節を失ってしまった。
(ま、失ったのはそれだけじゃねえけど・・・)
 今、こうして国が維持されているだけで奇跡に近い。
 もっと体力のない国々はもっと悲惨で。
 国の体をなしていない国もある。いまだに内戦が続いてる国も少なくない。
(宇宙から使徒がやってくるってのに)
 人間はまだ身内の争いを止められない。
「お、ロマーノじゃないか」
 え、とロマーノはふいにかけられた声に、がばっと顔を上げる。
 すると、坂の脇の一段高いところから、フランシスが見下ろしていた。
 しかも。
「お、おまえ、なんだよ、そのかっこ」
 ロマーノは思わずフランシスを指さす。
 布の日よけつきの麦わら帽子、長そでシャツ、首にかけたタオル、作業ズボン。
 全体的に土埃にまみれたその姿は、完全なる農家の人である。
 いつもの洒脱なスーツとはかけ離れていた。
「なんだって。畑に出るのにスーツってわけにはいかないでしょ」
 ほれ、と脇に置いていた収穫したてのスイカを持ち上げた。
 まるまると大きく、つやつやと輝いている。
「今、ヒマ?暇だよな、使徒来てないし。ちょっとスイカ運ぶの手伝ってくんない?」
「え、ちょ、」
「自転車、坂上がって左側の空き地にとめてきな」
 そういうと、フランシスはさっさと畑の奥へと消えて行った。
「おいいっ」
(オレ、手伝うなんて、言ってねえぞ!!)
 と、叫ぼうとした時には、すでにフランシスはいない。
「ったく、なんでオレの周りは勝手な奴ばっかなんだ!!」
 と、言いつつも。逡巡しつつ、結局ロマーノは指定された場所に自転車を止めると、背の高いトウモロコシをかきわけ、スイカ畑へと向かった。

             

 十数分後。
 近所の農家の軒先で、ロマーノは麦茶を呷っていた。
「お兄ちゃんたち、悪いねえ。今、まんじゅう、持ってくるけえね」
 麦茶を出してくれたおばあちゃんがにこにこしながらそう言うと、よっこいせと立ち上がる。
「気ぃ使わなくていいよ、おばちゃん」
「ええよー。お兄ちゃんが来てくれるようになったから、全然楽になったからねえ。おまんじゅうくらい食べてって。ばあちゃん手作りだから」
 そう言うと、ゆっくりと奥へと消えて行った。
 その背中を、フランシスが笑みを浮かべて見守る。
 麦茶のグラスをおろしながら、ロマーノはフランシスの横顔を見つめた。
「おばあちゃんの旦那さんね、まあ、ここのおじいちゃんだけど。ちょっと前に熱射病で倒れちゃってさ。おばあちゃんはあの通りあんまり身体がきかないから、せっかく出来た農作物の収穫もできなくてさ」
 フランシスがひねっていた上半身を前に戻し、庭の方を向いた。
「・・・それで、おまえが手伝うようになったのか」
「ん〜たまたまね。難儀してるようだから、声かけたの。まあ、こっちでも趣味でなんか作ろうと思ってたからさ。フィフティフィフティだよ」
 しゅみぃ?とロマーノは変な声を出す。
「おまえ、農業が趣味なのか」
「料理が好きなんだけど、それが高じてね。どうせなら、土から食材を作ろうって方向に。意外か?」
 視線を向けられて、ロマーノは逆に視線をはずす。
「意外っつーか・・・なんつーか。なんか、汚れることなんかしなそうってか・・・」
「土の汚れは嫌いじゃない。それにな、アーサーの趣味なんか、もっと意外だぞ。あいつの趣味はガーデニングと刺繍だから」
 ガーデニング!?
 刺繍!?
「ま、マジか!?」
「ああ、マジマジ。うまいよ〜」
 ロマーノは頭を抱える。あの仏頂面でちくちく刺繍してるのか。怖すぎる。
「あの人、いろんな意味で予想外すぎるんだけど・・・」
 ははは、と足を組みながらフランシスが笑う。
 その時、おばあちゃんがあいかわらずにこにこしながら現れて、二人の間にほっこりと蒸し上がった白いまんじゅうを盛り付けた皿を置いた。
「ゆっくり食べてってねえ」
「うん、ありがと」
 それから、おばあちゃんはお茶を出す。そして、少し雑談した後、雨が来そうだから洗濯物とりこんでくるわ、と席を立った。
 手伝おうか、とフランシスが言うと、このくらい平気だから、とやんわりと断られた。
 その為、再びロマーノはフランシスと二人になる。
 確かに東の空が暗くなってきていた。
「夕立かなあ」
 のんびりとした声で、フランシスが言う。
 そして。
「アルの勉強は?進んでる?」と、聞いてきた。
 アルフレッドの勉強合宿4日目である。
 今頃菊とアルは勉強していることだろう。
 ロマーノはトイレットペーパーが切れかかっているのに気づいて、買いに出たところをフランシスに捕まったのだった。
「ぐだぐだ言いながらも頑張ってるよ。あいつ、別に頭悪いわけじゃねえからな。ちゃんとやりゃあ出来る」
 湯気の立つまんじゅうを手に取る。吸いつくようなしっとりやわらかないまんじゅうの皮。
「そうかそうか。よかったよかった」
 フランシスも、まんじゅうを手に取る。
 そして。
 沈黙が流れた。
 フランシスはどこかぼんやりと庭を眺めている。
 ロマーノは段々と落ち着かなくなってきた。というか、元々落ち着いてなどいないのだが。
 既に初対面、とは言えなくなっているが、よく知らない奴と近くにいるだけで緊張する性質だ。
 考えてみれば、よくほぼ初対面と言っていいアントーニョと暮らしはじめられたものだ。
(まあ・・・あいつ、あんなんだからな)
 アントーニョはおそらくこんな気まずさとは無縁の人間だろう。
 ロマーノは、はくっとまんじゅうをほうばった。
 ほのかに甘い皮。そして、あったかいあんこ。
 まんじゅうは、優しい味がした。
 もくもく、とまんじゅうを噛んで、それからごっくんと飲み込むと。
 ロマーノは、まんじゅうをおろす。
 そして、口を開いた。
「・・・おまえ、なんであいつと別れたんだよ」
 言ってから後悔した。
 だが、もう遅い。
 フランシスが、こちらを向いた。
 ロマーノは目をそらす。
「色々あるんだよ、大人にはね」
「・・・なんだよ、それ」
 なんか、ずるくねえか、その答え。
 子供にはわからない、と言われた気がしてむっとする。
 フランシスがそんなロマーノを見て苦笑した。
「なんか、別れたってのも変な感じだけどな。だいたいあいつ、最初オレと付き合ってることもわかってなかったしなあ」
「はあ?」
 ロマーノが顔をしかめる。
「なんだそりゃ」
「オレは当然付き合ってるもんだと思ってたのに、そう言ったら腹の底から驚かれた」
「・・・・・」
 ロマーノは半眼になる。
(まあ、あいつらしいっちゃ、あいつらしいけど・・・)
「なんか・・・うかつにもおまえが不憫に思えてきたぞ」
「やめてくんない」
 どこか琴線に触れてしまったらしく、フランシスは不快そうにそう言った。

 え?オレ、おまえと付き合ってるん?
 アントーニョは、目を瞬いた。
 軽く絶句した。
「え、うん?いや?そうだよね?この関係、そう言うでしょ、普通?」
 そう言うと、アントーニョはうーん、と唸ってあぐらをかくと、裸足のつま先を両手で掴む。
「せやかて、おまえ、オレ一人やないやん」
「え、うん、まあ。そういうこともなくはないけど。なんつーか、それは人生の彩りっつーかなんつーか」
 なぜか正座してしまったフランシスの顔を、アントーニョが覗き込む。
「何?おまえ、オレのこと好きなん?」
 好きなん?てね。
 フランシスが顔を上げる。
「あ―好きです。好きですよ、それが何か?」
 半ばやけくそでそう言うと。
 アントーニョはつま先を持ったまま、起き上がりこぼしのようにゆらゆら揺れた。
「へ〜おまえ、おれのこと好きなん。ほーへーはー?」
「何、感心してんだよ」
 半眼になってゆらゆら揺れるアントーニョを見つめ、それから、こほんと咳払いをする。
「で?おまえは?オレのこと、好き?」
 真正面からそう聞いてみると。
「うん、好きやな」
 と、えらいあっさりと答えが返ってきた。
 肩すかしをくったような手ごたえのなさを感じつつも、めげずに畳みかける。
「オレといるの好き?」
「好きや」
「じゃあ、オレとHすんの好き?」
「好きやねえ」
 ゆらゆらしながら答えるアントーニョ。
 じゃあ、とさらにフランシスが身を乗り出す。
「オレ以外に好きな奴は?」
 ちょっと考えて。
 アントーニョは、おらん、と答えた。
 フランシスは、ほっと息をついて腕を伸ばす。
 そして、ゆらゆらしているアントーニョの膝を押さえた。
「じゃ、オレと付き合ってる、でよくない?」
 フランシスのいつにない真剣な目を見ながら、アントーニョはまた少し考えるような顔をする。
「うむむ、なんか、ええ気がしてきた」
「じゃあ、おまえ、オレと付き合ってるのね。決まり」
 言いながら、押さえていた手を離し、ぽんと膝がしらを叩く。
 すると、一瞬間が空いて、ふへ、とアントーニョが笑った。
「なんだよ」
「やって、なあ。はは、そうかあ、オレ、おまえと付き合うとんのかあ」
 ふへ、ふへへへ、とこらえきれなくなったようにアントーニョが笑いだす。
「あはは、オレ、おまえと付き合ってんのやなあ。あははははは」
 とうとう手足を解いて爆笑しだしたアントーニョに、フランシスはさすがに顔をしかめる。
「ははは・・・あのねえ、いくらオレでも、その反応傷つくんですけど」
 ははは、と笑い続けるアントーニョが腹を押さえて息苦しそうに口を開く。
「いや、せやかて、おまえがオレの彼氏やて」
 ふへへ、と笑いが入る。
「ホンマ、おかしゅうておかしゅうて・・・」
 目がしらの涙を拭う。
「オレの人生最大の面白エピソードなんやけど」
「傷つくぞ!?」
 涙目になって叫ぶと。
 いやいや、とアントーニョが手をひらひらさせた。
「嬉しいわ、ホンマやで。おまえ、オレのこと好きやってんなあ」
 フランシスは思わず浮かしかけた腰を下ろす。
 アントーニョは、にこりと微笑んだ。
 そして、手をついてフランシスの顔を覗き込む。
「よーし、そうとわかったら、いちゃいちゃしようや」
「賛成だけど、何その色気のない誘い」
「そうか?色気あるつもりやってんけどな。ラブラブやんな。ねーダーリン」
 どうにも『恋人』とは思えない色気のなさだが。
 フランシスは苦笑すると。
 はいはい、愛してるよ、と呟いた。

「何ぼっとしたんだよ、それで?」
 ロマーノが怪訝な顔で覗き込んでいた。
「え、ああ、うん。まあ、頑張って説明して、なんとか付き合ってることは納得してくれたんだけどさ」
 それもどうかと思うけど、と書いてあるロマーノの顔を見つつ。
 過去に思いをはせる。
「面白がって人にオレと付き合ってるって話すたんびに爆笑するもんだからさ」 
 遠い目をする。
「周りの奴らがオレにつけたあだ名が、カレシ(笑)」
 ぶ、とロマーノが茶を噴き出した。
「おまえ、やっぱ、ふび・・・」
「みなまで言わなくていいから」
 言いながら、やや冷めたまんじゅうを口いっぱいほうばった。 

 ロマーノは一口まんじゅうを食べると。
 少し迷って口を開いた。
「まあ・・・でも、あれじゃねえか」
 ん?とフランシスがロマーノを見る。
 ロマーノは、手もとのまんじゅうをいじりながら続ける。
「なんか、幸せそうじゃねえか」
 フランシスと、そしてアントーニョ。
 きっと。
 楽しかっただろう。
 きっと。
 幸せ・・・だったろう。
 うん、とフランシスがうなずいた。
「幸せだったよ。多分オレの人生の中で一番幸せだったんじゃないかな」
 ロマーノは思わず顔を上げた。
 フランシスは前を向いている。近づいてくる暗い雲を。
「なら・・・なら、なんで、別れたりしたんだよ!?」
 思わず声を荒げると。
 フランシスはこちらを見ずに、だから色々あるんだよ、と苦笑した。
 ロマーノは口をつぐむ。
 それから、ぼそっと呟くように言った。
「あいつは・・・おまえにふられたって言ってたぞ」
 え、とフランシスは驚いた顔でロマーノを見る。
 ロマーノはその驚きの顔に苛立ちを覚えた。
 段々と感情がコントロールできなくなってきているのはわかっていたが。
 止まらない。
「でも、おまえ、あいつのこと好きじゃねえか。まだ全然好きじゃねえか」
 なのに。
 なんで。

 ふられたって、なんで。
 思わず声を上げた。
 どうして、アントーニョはフランシスと別れたんだい?と。
 相変わらずの直球を投げたのは、アルフレッドだった。
 ん?と、テーブルにポテトサラダの皿を置きながら、アントーニョがアルフレッドを見て。
 そして、言ったのだ。
 ―ああ、ふられたんや、と。
「なんでって言われてもなあ」
 エプロンを外しながら、アントーニョが苦笑する。
「フランシスさんの浮気でアントーニョさんが切れたのかと思ってました」
 菊が言うと、アントーニョは、はは、と笑った。
「そら、違うなあ。あいつの浮気なんか気にしてたら、三日も付き合えんで。大体、浮気って、どっからを言うんやろ」
 キスしたら浮気かな、とかぶつぶつ言うアントーニョ。
 しかし、三人がこちらを見ていることに気づいて頭をかく。
「まあ・・・でも、別れた理由なんて、あってないようなもんやろ」
 エプロンを棚の上に置いて。
 席に着く。
「あいつにはオレより大事なもんがあった」
 言いながら、手を合わせる。
「ただ、それだけや」
 そう言うと。
 いただきます、と頭を下げた。

「・・・ふったつもりは、ないよ」
 フランシスがぽつんと言った。
「あいつが嫌いになったわけじゃない。好きでなくなったわけでもない。・・・ただ」
 目を細める。
「オレが卑怯だっただけだよ」
 ごろごろごろ・・・遠くで雷が鳴った。
「なんだよ・・・それ」
 ロマーノは立ち上がる。
「なんなんだよ、それ」
 ロマーノはきびすを返す。
「帰る」
 走り出そうとしたロマーノの背中に、あ、ロマーノ、とフランシスが声をかける。
 思わず振り返ると。
 その腕にずしっと何かが渡された。
 スイカ。
 一抱えもある大きなスイカだった。
「今日のオレのバイト代。どうせおまえらんとこ持ってこうと思ってたからさ。持ってってくれ」
 ロマーノは口をパクパクさせたが、やがて口をつぐむと、農家に向かって「ごちそうさまでした!」と大声で言うと。
 スイカを抱えたまま、走り出した。
 その後ろ姿を見送りながら、フランシスは苦笑する。
 そして、呟いた。
「今も…卑怯なのは、変わんないんだけどね」
 ぽつ、と最初の雨の一滴が庭の向日葵の上に落ちた。

「ロマーノ、遅かったじゃないか・・・て」
「トイレットペーパー買えました?って、あれ?」
 菊とアルフレッドが部屋から顔を出し、絶句する。
 トイレットペーパーの代わりに大きなスイカを抱えたロマーノがずぶぬれになって立っていた。
「あ、さっきの通り雨、もろにくらっちゃったんですね」
「っていうか、すいか!すいかなんだぞ!!」
 靴を脱いで上がったロマーノは、すいかをアルフレッドの手に渡す。
「食っていいぞ。…オレ、風呂入ってくるわ」
「あ、ええ、ごゆっくり。あの、このスイカは…」
「フランシスがくれた」
 はい?フランシス?
 顔を見合わせたアルフレッドと菊を置いて、ロマーノはバスルームへと向かった。
 
 湯船につかって。
 ロマーノは目を閉じる。
 ―あいつにはオレより大事なもんがあった。ただ、それだけや。
 ―あいつが嫌いになったわけじゃない。好きでなくなったわけでもない。・・・ただ、オレが卑怯だっただけだよ。
「なんだよ・・・」
 ぶくぶく、と口元まで沈む。
「なんなんだよ、ちくしょー」
 
 全然わかんねえよ。

 それが大人ってものなのだろうか。
 ロマーノは、ため息をついた。

 五日目。
「今日はアーサーさんは、いないよ」
 司令室を覗き込んだアルフレッドは、後ろからかけられた声にびくっとして振り返る。
「なんだ、マシューか…」
「なんだって、ひどいな」
 マシューはアルフレッドに近づく。
「アーサーさんは、上からの呼び出し。きっと不機嫌になって帰ってくるよ」
 待つ?と尋ねると、アルフレッドはぶんぶんと首を振った。
「会いに来たんじゃないの?」
「そ、そんなんじゃないんだぞ。ちょっと気分転換にトレーニングしにきただけさ!」
 ふうん、とマシューは従兄弟を見下ろした。
 一応退院した後、アーサーに会いには来たが、その様子はどこかぎこちなくて。
(まあ、アルがマルドゥック機関に選ばれた時から、ずっとといえば、ずっとなんだけどね・・・)
 マシューは心の中でため息をつく。
 とりあえず話題を変える。
「で、勉強は?はかどってるの?」
「な、なんで、マシューがそれ、知ってるんだい!?」
「そりゃ知ってるよ。勉強合宿してるんでしょ?アントーニョさんとこで。迷惑かけちゃだめだよ」
 アルフレッドは口をとがらせる。
「迷惑なんか、かけてないんだぞ。・・・あのさ、それ、アーサーも、知ってるのかい?」
 くす、とマシューは笑った。
「・・・言ってないよ。心配するだろ。あの人」
 アルフレッドは目に見えて、ほっとした。
「言うなよ」
「言わないよ。だから、ばれないように頑張って」
 うん、とアルフレッドはうなずく。
 ふふ、とマシューは微笑む。
「うちにいた頃は、アーサーさんが勉強見てくれてたからね。君がエヴァに乗り始める前までは」
 だから、今回は期末試験の対策に間に合わなかったのだ。
 基本的にアルフレッドは直前詰め込み型だから。
 授業は寝てばっかり。
 けれど、瞬発力と土壇場の記憶力、そして理解力の高さでテストを乗り切ってきていたのだ。
「アーサーさんに教えてもらってたから、君、絶対悪い点とれなかったからね」
 どんなに忙しい時でも、あの人はテスト前に絶対時間を作ってくれていた。
 マシューが顔を覗き込むと、アルフレッドは口をへの字に曲げた。
「そんなんじゃない。アーサーは関係ないんだぞ」
「はいはい」
 にこにこするマシューを見上げ、アルフレッドは口を開いた。
「なあ・・・マシュー」
「うん?」
「どうして・・・アーサーはオレ達を引き取ってくれたのかな」
 突然の質問に、マシューは目を瞬く。
 そうして、少しの間沈黙する。
 ―あの人が、僕らを引き取った理由。
 マシューは無意識に手を伸ばしていた。
 アルフレッドの金色の髪に触れる。
「・・・君が、可愛かったからじゃない?」
「オレは真面目に聞いてるんだぞ!まったく、君は話にならないな!オレはもう帰るんだぞ!」
 ぷりぷりしながら、アルフレッドはきびすを返した。
 廊下に残されたマシューはやがてゆっくりと肩をすくめる。
「・・・真面目に答えたんだけどな、これでも」
 だって。

「すべては君の為なんだよ、アル」

 そう呟くと。
 マシューは歩き出した。

 みーんみーん。
 ロマーノは、半眼になって立ち止まる。
「おまえ・・・何やってんの」
「お、お腹空いて動けないんだよ、兄ちゃん・・・」
 夕暮れに差し掛かる時間。
 道端に、『弟』が落ちていた。

「わー美味しいね〜これ、ラーメンっていうんだね、へ〜」
「おまえ、ラーメンも食べたことないのかよ。てか、何食べて生きてきたんだ、今まで」
 ラーメンをすすりながら感動の声をあげるフェリシアーノを見ながら、ロマーノは呆れた声を出す。
 自分自身は、半分のミニラーメンを食べていた。
 あまり食べると夕飯が入らなくなる。
 飯を残すと、アントーニョが激怒するのだ。
「ヴぇ、ヴぇ、美味しいよ、美味しいよ、神様〜www」
「・・・よかったな。オレがサンデーとジャンプ買うために持ってきた金だ。大事に食えよ」
 もちろん、アルフレッドの試験が終わるまではお預けにするつもりだったが、週刊誌というものはタイミングを逃すと買えなくなるのである。
「うん、ありがと、兄ちゃん。大好きww」
「ぶっ。い、いや、いいけどよ。おまえ、あんなとこで何してたんだよ」
 ヴェ〜と、なるとを眺めていたフェリシアーノがそれをぱくんと口に含んだ。
「うーん、一応仕事?」
「え?おまえ、仕事なんかしてんのかよ?オレと同い年じゃねえの?まだ成人してないだろ?」
 ロマーノが驚いて聞くと、うーん、とフェリシアーノが水をのんだ。
「でも、仕事してるんだよ〜」
「それ、なんか・・・やばいやつじゃねえだろうな?」
「やばいやつ?よくわかんないけど、上司が怖いんだよね〜」
 上司。
「おまえ・・・マジ、仕事してんのな」
「だから、そう言ってるじゃない。なんかね〜笑顔で怖いこと言うの。コルコル言うの。ブリザード吹かせるの」
「なんだそれ、怖ぇ!」 
 そういえばさ、とフェリシアーノが箸を置いた。
「で、何の仕事してんだ?」
 ん〜と、フェリシアーノが上を向く。
 そして、てへ、と笑うと、秘密、と言った。
 なんだよ、とロマーノが顔をしかめると、ねえねえ、とフェリシアーノが身体を寄せてくる。
「こないだ、すごかったね」
「え?」
「お月さま。あれ、撃ったの兄ちゃんでしょ」
 へ?とロマーノは目を瞬かせる。フェリシアーノはにこ〜と微笑んだ。
「かっこよかったよ」
「え?いや、なんで、おまえそんなこと・・・」
「ごちそうさまかい?しかし、よく似た兄弟だねえ。双子かい?」
 ラーメン屋の親父が、空になったフェリシアーノのどんぶりを持ち上げる。
「ヴェ〜美味しかったよ〜」
 嬉しそうに言って。
 それから、ロマーノの肩に手をかけてぐっと引き寄せる。
「オレの兄ちゃん、かっこいいでしょ」
「あのなっ」
「おう、ほんとにかっこいいな」
 親父はそう言って豪快に笑った。
 兄ちゃんじゃ、ないんだけど。
 うっかり、本当に弟がいるような気になってくる。
 どこかとぼけた不器用な弟が。
 ロマーノに微笑みかけるフェリシアーノを見ながら、ロマーノは変な奴、と呟いた。

 六日目。
 テスト前日。

 慣れた手つきで腕に採血用の針を刺すアーサーを見下ろしながら、菊は口を開いた。
「アーサーさん」
 ん?と、手元を見たまま、アーサーが反応する。
 菊の身体の定期検査。
 これだけは、医療班にも任せず。
 アーサーがすべて一人で行っている。
 針につけた採血器の中に勢いよく溜まっていく赤い液体。

「私は、何のために作られたんです?」
 
 一瞬の逡巡の後。
 菊は、己の中から抜けていく赤を見ながら、疑問を口に出した。
 すっと。
 針が抜かれ。
 脱脂綿があてがわれる。
 うながされ、それを自分で押さえる。
 アーサーが立ち上がった。
「そんなことを聞くのは、初めてじゃないか?」
 背を向け、ガラスのケースに血を収める。
 その背中を見つめながら、菊は静かに言った。
「・・・知りたくなったんです」
 ただエヴァに乗るためなら。
 普通の子供でも、十分だ。
 アルフレッドや、ロマーノのように。
 今までなら、知ろうとはしなかった。
 けれど。
「・・・知る必要はない。まだ、な」
 まだ。
 なら、いつか知る時が来ると言うのか。
 しかし、沈黙したアーサーがそれ以上語ることはないと。
 菊には、よくわかっていた。
 だから。
「わかりました」
 そう、答えた。

「菊・・・アルは、どうしてる?」
 すべての検査が終わり、シャツのボタンを止めていると、アーサーがためらいがちにそう聞いた。
 菊はアーサーを見上げる。
「お元気ですよ」
 元気過ぎるほどに。まあ、最近は明日のテストの為に疲弊してはいるが。
「身体は…なんともないのか」
「医療班から報告が行っているはずじゃないですか?身体的には何の問題もないと」
 ため息をついて、アーサーは壁にもたれた。
「あいつは…まだ、エヴァに乗る気なんだな」
 死ぬような目に遭っても。
 ショックを受けてエヴァに乗ることを恐れればよい。
 そういうことか。
 菊は立ち上がる。
「無理ですよ、アーサーさん」
 ん?とアーサーが菊を見る。
 菊は、まっすぐにアーサーを見つめ返す。
「あの人は、エヴァのパイロットです。多分死ぬまでそうであり続けようとするでしょう」
 どんなに怖くても。
 ―怖くない、怖くなんてない、と。
 自分に言い聞かせながら。
 けれど。
 菊は、複雑な顔をして黙りこむアーサーに微笑む。
「大丈夫ですよ。あの人のことは…私が守ります」 
 死なせはしない。
 絶対に。
 すると。
 アーサーはわずかに目を細めて。
 頼む、と呟くように言った。

 検査室を出ながら。
 ふと、菊は気づく。

 不思議だ。
 貴方は、一度も私に人類を守れ、世界を守れとは・・・言わなかった。
 ただ。
 アルフレッドを守れと。

 それだけ。

(わざわざ言うまでもないってことですかね・・・?)
 検査室の扉を振り返り。
 それから、菊はどこか釈然としない気持ちを抱いて歩き出した。

「およ」
 フランシスは立ち止った。
 リフレッシュルームのソファで。
 アルフレッドが壁にもたれて眠りこけていた。
「あらあら」
 勉強疲れだろう。
 そういえば、明日が試験だと言っていた。
 しかし。
「おーい、こんなとこで寝てると風邪ひくぞ〜」
 そっと肩を揺する。
 すると、むにゃ・・・とアルフレッドが顔をしかめる。
(あらら)
 フランシスはポケットに手を入れる。
「おーい、アルってば」
「ん・・・アーサー・・・?」
 目をこすってフランシスを見上げる。
「ごめんねえ、あんなにまゆげ立派じゃなくて」
「うわああああっ」
 目をぱっちりと開いたアルフレッドが悲鳴を上げた。
 フランシスは口に手を当て、うふふ、と嬉しそうに笑った。
「やー、うっかり何かに目覚めそうなくらい天使モードだったよ、アルフレッド君。まゆげ君が見たら、確実に色々と吹き出してたよ、うん」
 言いながら、ポケットからライターのようなものを取り出す。
「な、なんだい、それ」
「テープレコーダー」
 そう言うと、カチ、とスイッチを入れる。
 すると。
『ん・・・アーサー・・・?』
 という声が流れ出した。
「うわあああああっ!なんだよ、なんだよ、これ!?」
 アルフレッドが再び悲鳴を上げる。
「色っぽいねえ。末恐ろしい子w」
「消してよ!訴えるよ!?」
 やだよう、もったいない、とフランシスはテープレコーダーを胸ポケットにしまう。
 そして、フランシスはアルフレッドに顔を近づける。
「アルフレッド君は、アーサーが好きなんだねえ」
「なっ」
 アルフレッドは口をパクパクさせる。フランシスは、にこりと微笑んだ。
「いいと思うよ。あいつにはそれが必要だ」
「あ、あのねえ!オレは・・・っ」
 で、とフランシスはアルフレッドの隣に座る。
「君は、どんな風にあいつが好きなのかな?」 
 むう、とアルフレッドはフランシスを警戒するように壁際による。
「どういう意味だよ」
「そういう意味だよ」
 くすり、とフランシスが笑った。
 その視線に耐えかねたように、アルフレッドは視線をそらした。
 そして、呻くように言った。
「アーサーは…オレを、子供だと思ってるんだよ」
 ふうん、とフランシスは膝の上で頬杖を突く。
(子供だと思ってたけど)
 ふいにロマーノの顔が浮かぶ。
(そう思ってるのは、俺らだけかもね)
 フランシスは手を伸ばして、アルフレッドの頭に置く。
「怖いだけだよ。そのうち気づくさ。嫌でもね」
 フランシスの手の下で、アルフレッドが青い目を細めた。
 そう、そのうち嫌でも気づく。
 子供はいつまでも子供じゃないってこと。
「あれ、アルフレッドさん。迎えはいらないと言いましたのに」
 菊の声がして、フランシスは手を離す。
 あ、菊、とアルフレッドが立ち上がった。
「こんにちは、フランシスさん。この間は大きなスイカをいただきまして」
「ああ、うまかったろ」
 はい、と菊は微笑んだ。
 じゃあ、帰りましょうか、と菊がアルフレッドに言う。
「勉強、頑張れよ」
 そう言うと、アルフレッドはうん、とうなずいて、それから、あ、あれ、消しといてよ!と怒鳴った。
 あれってなんです?なんでもないよ!というやりとりをしながら去っていく菊とアルフレッドを見送りながら、フランシスは煙草に火をつけた。

 ちゃりん、とコインが落ちる音。
 缶コーヒーを手にとって、そのまま無言で去っていこうとする男に、フランシスは声をかけた。
「さすがに挨拶くらいはしてほしいなあ」
「おまえと挨拶するような暇はねえよ」
 ひどい、とフランシスはソファに座ったまま、首をひねってアーサーを見上げた。
「今、アルと会ったけどさ」
 ぴく、とアーサーの肩が動く。正直な奴め。
「あの子、可愛いねえ」
 ぎら、とアーサーの目が剣呑に光る。
「てめえ、あいつになんかしやがったら」
「しないしない。人のものには手を出さないよ。ただねえ、ついつい気になっちゃってさ。あのアーサー・カークランドが愛した子だからな」
 くす、と笑う。
 アカデミー始まって以来の天才。
 でも、いつもどこか孤独をまとっていた―こいつが。
 かし、と頭上でプルタブが引き抜かれる音。
「コーヒーおごってやろうか。飲ませてやるよ」
「や〜お兄さんの口、頭のてっぺんにはないからね?」
 フランシスは煙草を灰皿に押し付ける。
「おまえ、不器用だからねえ。お兄さん、心配よ。…愛は」
 フランシスは、自動販売機のランプを見つめる。
「押し付けるものじゃないからさ。あの子の気持ち、ちゃんと考えてやりなよ」
 しばらくの沈黙があって。
 フランシスがアーサーを見上げようとすると。
「オレは…」
 低い声でアーサーが呟く。
 しかし、その言葉は続くことなく。
「余計な御世話だ」
 そう言うと。
 アーサーは去って行った。
「ほらね、不器用だ…」
 ふっと笑いながらフランシスは呟くと。
 ソファから立ち上がり、脱いでいた上着を肩に引っ掛けた。

 ネルフの廊下を。
 アルフレッドは走っていた。
 カバンの中には、今日受けたばかりのテスト用紙。
(えっと、オレ、なんでここに来たんだっけ!?)
 走りながら。
 アルフレッドは自問する。
 テストが終わり、サディクがその場で採点するのを一緒に見守ってくれていた菊とロマーノ。
 満足そうな顔でサディクがすべての教科の採点をし終わり。
 返却されたテスト用紙を握り締めた。
 菊とロマーノが「やったな!」「今日はお祝いですね!」と喜んでくれるのを聞きながら。
 ―先に帰っててくれないか、と。
 言ったのだった。
(それで)
 走る。
(なんで、オレはここにいるんだってば!)
 そのとき。
 廊下を歩く後ろ姿に気づき、アルフレッドは思わず声を上げた。
「アーサー!」
 え?と、アーサーが驚いて振り返る。
 そして、アル・・・と呟いた。
 アーサーの前で立ち止まり、ぜいぜいと息を整えたアルフレッドは、ばっと顔を上げると。
 カバンの中からくしゃくしゃになった束を取り出した。
「な、なんだ?」
「テスト」
 え?と、またアーサーが戸惑った声を出す。
 なぜか怒ったような声で、アルフレッドがテスト用紙を広げる。
 そのすべてが90点以上だった。
「期末テスト、あったんだ」
「あ、ああ・・・そうか、もうそんな時期か」
 空色の目が、アーサーを見上げる。
「君がいなくたって、オレはちゃんとできるんだぞ」
 ん、とアーサーは目を瞬く。
「アル・・・」
 アーサーは、目を細めた。どこか、眩しそうに。どこか・・・寂しげに。
「ああ、そう、だな。そうだな・・・」
 その顔を見ながら。
 アルフレッドはぐっと唇を噛んだ。
 なんだか、よくわからない。
 ただ、感情の波がアルフレッドの身体を突き上げる。
(アーサー)
 その瞬間。
 アルフレッドは自分でもよくわからない行動に出た。
 どん、と勢いよく真正面からぶつかるように、アーサーに身体を押し付けたのだ。
「!」
 同年代から比べれば背の高いアルフレッドでも、アーサーの肩を少し超えたくらいの身長しかない。
 アルフレッドは、アーサーの肩に顔を押し付けた。
「あ、アル・・・?」 
 アーサーの焦った声。
(アーサーの匂いだ)
 アルフレッドは一瞬目を閉じると。
 顔を上げた。
 アーサーの碧の瞳が至近距離でしばたかれる。
 アルフレッドはじっとそれを見つめると。
 やがて、べっと舌を出した。
「!?」
「くたばれ、アーサー」
 絶句したアーサーから、さっと離れたアルフレッドは、にこりと微笑む。
 それから、2,3歩下がったアルフレッドは、じゃあね!というと。
 来た時と同じくらいの猛スピードで廊下を走り始めた。

 ぽかんとしたアーサーを残して。

          

「いやっほーい!」

 アルフレッドは本部から勢いよく外へ飛び出す。
 すると、あ、いたいた、と声がかけられる。
 見ると、赤いスポーツカーに乗ったアントーニョが手を振っていた。
「ようやったな、アル!今日はもう仕事はやめや!パーティーの準備すんで!お前の好きなもん、なんでも買ったるわ!」
 見ると、後部座席にはギルベルトとフランシスが座っている。
「オレ、よっぽど暇人だと思われてるよね…」
「暇だろ?」
 ため息をついたフランシスの横で、小鳥を手の上に乗せて撫でていたギルベルトが、ケケ、と笑う。

 車まで走ってきたアルフレッドは、助手席に乗り込みながら、嬉しそうに声を上げた。

 ―じゃあ、アイス!と。



 そして、夏休みが始まる。
 




 次号へ続く

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